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月亭方正さんインタビュー「芸人としての道を20年探して、ようやく落語に出会えた」 

「シドニーのモンキーベイで落語をやるのが、子供のころからの夢でねぇ!」

 

そんな一言から、1月7日(土)の「月亭方正独演会」はスタートした。「蝶野さんのビンタ、めっちゃ痛いんですよ!(※)」と、人気テレビ番組「ガキの使いやあらへんで!」の大晦日恒例企画「笑ってはいけない」シリーズのエピソードで約300人の観客を盛り上げる姿に、テレビでおなじみの“ヘタレキャラ”のイメージはない。軽快な語り口は、噺家そのものだ。

(※「笑ってはいけない」シリーズで、プロレスラーの蝶野正洋氏から毎年必ず理不尽な理由で平手打ちをくらっている)

 

「今日は落語が初めてのお客さんが多いやろなぁと思ったんで、わかりやすい落語を意識しました。最初に小噺を練習として聞いてもらって、徐々に長いお話にしていこう、と。それで、『看板のピン』、『手水廻し』、『しじみ売り』をやりました。最初からお客さんは明るかったんで、こりゃあ大丈夫だと思いましたね」

 

インタビューで、今回の独演会をこう振り返った方正さん。これまでオーストラリアではケアンズで2度の独演会を行っているが、シドニーではこれが初めてだ。

 

「シドニーには初めて来ましたが、キレイな都会だなぁという印象です。一番びっくりしたのは、物価の高さ。『ペプシが3.80ドル!? えっ、マジで?』って。スタバも限定の味があるし、独自の文化がある国で、そういうところが魅力なんだなと思いましたね」

2008年に落語を始め、2013年には芸名を「山崎邦正」から「月亭方正」に変更。落語に転身する以前から人気番組にレギュラー出演し、大御所芸人のダウンタウンからいじられて笑いを取る。そんな華やかに見えるテレビでの活躍とは予想外に、「落語に出会う前は、テレビ芸人としての自分が嫌だったんですよ」と語る。

 

「テレビというのは団体芸で、僕の席は“いじられ芸”とか“リアクション芸”に決まってるんですね。MCもスタッフもお客さんも、みんながそういう僕を期待してる。でも、それを完全に良しと思っていたわけじゃなくて、自分を殺してみんなを楽しませていたところがあったんです。若いときは、『ええやん、自分が死んでもみんなが楽しければ。それが芸人ちゃうの?』って思ってたけど、歳を取るにつれて、だんだんつらくなってきたんですね」

 

そんな方正さんを変えたのが、40歳を目前としたころに東野幸治さんからすすめられた落語だった。「めっちゃおもろいやん!」とすっかり落語に魅せられ、まもなく落語家として生きていくことを決意。「四十にして惑わず」の真逆を行くように見えるこの決断に、周囲から寄せられるのは「テレビで名前が売れていて収入もあるのに、もったいない」という反応だった。だが当の本人は、「何がもったいないのかピンとこなかった」と振り返る。

 

「それまでずっと『これだ!』というものに出会えなくて、俺はどういうタイプの芸人になんねんっていうのをずっと考えてたから、『ようやく見つけたぞ!』っていううれしさだけで、怖いとかそういうのはなかったですね。これで食っていくんだ、これを軸にするんだっていう思いしかない。それに、落語は“笑い”というカテゴリーは同じなんで、不安はなかったですよ」

落語家としての活動を本格化させると、活動の拠点を東京から大阪に移し、仕事や生活スタイルは一転した。そして、なにより大きく変わったのが、人生観そのものだった。

 

「こんなん言ったら大げさかもわからんけど、テレビが中心だったころは、いつ死んでもいいなっていう感じだったんですよ。周りは長生きしたいっていうけど、よくわからなくて。でも落語に出会って、『あ、こういうこと? 人生って、みんなこういう感じに生きてんの?』って思った瞬間がありました。そりゃあ楽しいわ、長生きしたいよなぁって。あと、おもろいもんで、落語に出会ってから、全然お金を使わなくなったんですよ。テレビのときは、とにかくお金を使って自分の精神をまぎらわせてたけど、今は精神的に満たされてるんでしょうね。人生の幸せを本気で感じれているのはすごく幸せなことですから、その幸せにあぐらかかんと、頑張らなあかんなって思ってます」

 

これまでは江戸落語を中心に活動をしてきたが、2017年の目標は上方落語をやること。「人生あと20年か25年かわからんけど、やることが山のようにあることがめっちゃ幸せ」と話す姿からも、落語への情熱が伺える。それだけ打ち込める“何か”は、どうやったら見つかるのだろうか?

 

「ぶっちゃけた話、僕は20年探しましたよ。大学に30歳から行ったり、ピアノ習ったり、英語の学校に行ったり、20歳で芸人としてデビューして以来、ずーっと探してました。例えば大学で心理学を学んだら、それを糧に芸人としてなんかできるんじゃないか、とかね。そうやって芸人としての道を探す中で、ようやく落語にたどり着いたんです。きっと、落語の神様が与えてくれたんだと思いますよ」

最後を「またぜひシドニーで落語がしたい」の言葉で締め、2時間の独演会はあっという間に終了した。きっと、多くの観客が“落語をやっている月亭方正”と“テレビで見る月亭方正”のギャップに驚いたはずだ。

 

「テレビに出ている僕は子供の僕で、落語やっているときは大人の僕なんですよ。落語は、200年前のネタを先人たちが磨き上げてできたもの。それをやらせてもらってる。テレビでは『笑いの神様、お願いします!』なんて思うこともあるけど、落語ではそういうのはなくて、落語の神様にやらせていただいてる、という感覚ですね」

 

「今は20歳でこの世界に入ったときの思いと一緒。『やったるぞ!』です」と明るく話すその表情は、笑いの神様に愛され、落語の神様の後押しを受け、ようやく見つけた「芸人として目指すべき姿」に向かって、まっすぐに、力強く歩んでいく決意に満ちていた。

 

取材・文:天野夏海(編集部)

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