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「体を使うジョッキーに、頭を使う会計士」賀谷祥平さんが両極端な専門職を両立するに至った経緯とは(競馬騎手/公認会計士)

毎朝調教のために馬に乗り、日中は会計事務所でオフィスワーク、週末は競馬レースにジョッキーとして参戦――。そんな異色の二足のわらじを履く生活を10年以上続けているのが、競馬騎手と公認会計士としてケアンズで活動する賀谷祥平さん。体を使うジョッキーに、頭を使う会計士。両極端な専門職を両立するに至った経緯とは?

 

競馬ジョッキーになるためにオーストラリアへ

2001年の大学在学中に、オーストラリアに渡って現地の競馬学校に入りました。高校時代から競馬が好きでジョッキーになりたかったけど、日本だと視力の規定をクリアできなかった。オーストラリアであれば僕の視力でも問題ないと聞いたのが来豪の理由です。

競馬学校には1年間通いましたが、精神的にハードでしたね。日本人なんてひとりもいないし、マクドナルドがかろうじてあるくらいで、見渡す限り何もない。空港はプレハブだし、えらいところに来てしまったな、と。

ウェブ自体がまだまだ普及していないころだったので、FacebookやYoutubeがないのはもちろん、日本語の情報が全然手に入らない。当然日本語は使えないし、ものすごい田舎だし、孤独でした。それが一番つらかったかな。

学校卒業後、ジョッキーとしての下積み期間を経て、レースに出られるようになったのは2年後の2003年。好きな人はすごく好きだけど、それ以外の人は無関心というのが日本の競馬ですが、オーストラリアでは競馬に興味がなくても競馬場に行く人が多いんです。特に田舎の方だと競馬が街の一大イベントになっていて、家族でレースを見に行ったり、女の子同士がドレスアップしてお酒飲みに行ったりと、コミュニティーのイベントになっている。「ちょっと暇だから競馬に行こう」というのは、日本にはない感覚ですよね。

 

会計士を目指したきっかけは「暇だった」から

一方の会計士については、ジョッキーになって間もないころに勉強を始めました。レースがないと空き時間が多いのですが、田舎町にいたのでとにかく暇だったんですよ。大学時代に東京の企業に就職するのもいいなと思っていたので、帰国後に仕事をするときの役に立てばと、当時日本で注目されていたアメリカの会計士の資格勉強を始めました。その当時はもっと早く日本に帰るつもりだったので、まさかこっちで会計士になるなんて思いもしなかったですけどね。

会計士の資格取得は、日本の方が難しいと思います。オーストラリアの場合は、普通にやっていれば資格自体は取れる。ジョッキーも同じで、体重さえクリアして、トレーニングを積めば誰でもなれる。その分なってからが大変ですが、受け皿の広さはオーストラリアのいいところですね。

 

こっちのジョッキーにとって“二足のわらじ”は普通のこと

平日は朝4時に起きて、5時~8時位まで調教のために騎乗。いったん家に帰ったあと、9時~17時まで会計事務所で仕事をし、土日は昼から夕方にかけてレースに参戦、という生活を現在は送っています。どちらも興味があって、始めるきっかけがあって、そして今も続けている、というだけのこと。何か特別な理由やメリットがあって両立しているわけではありません。それに、こっちではジョッキーが別の分野で仕事をするのが珍しくないんですよ。毎日レースがあるシドニーのような大きい都市は別ですが、田舎の方だとレースは週末しかないので、年収2000万円あるようなジョッキーでも別の仕事をしていたりします。

忙しい毎日ですが、プライベートの時間を作ろうと意識することはあまりないですね。子供が3人いるので本当はもっと意識しないといけないんですけど(笑)。何というか、仕事がプライベートみたいな感じなんですよ。どちらも好きで始めたし、義務感でやっているわけではないので。こう言うと軽く聞こえてしまうかもしれませんが、趣味の延長に仕事があるような感覚です。

それに、自分のビジネスなので、時間や働き方の融通が利くんです。レースやオフィスに子供を連れて行くことも多いですよ。会議中に隣で絵を描いていたりとか。まあ、すべては奥さんの理解とサポートあってのおかげですね。

 

「一流ではない」から組み合わせで勝負する

そもそも、ひとつのことをずっとやっていると飽きてきませんか? 僕はイチロー選手や武豊騎手と違って一流ではないんです。「ひとつに流れる」という漢字の通り、その道を突き詰めている人を一流というのだと思うのですが、僕にはひとつのことでやっていけるほどの能力がないし、ジョッキー一本で生きていく選択肢も考えられなかった。だからといって適当に仕事をしているわけではないですが、大学4年まで普通に生きてきたので、大学生のチャラチャラした感じとか、バイトとか、就活とか、そういう普通のことを知っている分、興味が分散しちゃったんですよね。丸の内で働いている同期の姿を見て、憧れることもありますし。

だから僕みたいな人間は、組み合わせで勝負していかないといけないんです。ビジネスもそうですが、ひとつひとつは普通のものでも、組み合わせによっては1+1が3になることだってある。僕がそんな感じなので、うちの会計事務所では、元ダイバーなど会計と全く関係ない畑からきている人もスタッフとして受け入れています。会計学部を出てないとダメ、経験がないとダメ、ではなくて、やる気のある人に門戸を開いてあげたいんです。

そして会計士として、日本人が手掛けるビジネスをオーストラリアで繁栄させていきたい。日本人の良さを生かしたビジネスをすることでこっちでの存在感を示し、オーストラリア人と在豪中の日本人の双方が幸せになる。そんなビジネスが増えるようにサポートしていきたいですね。

 

日本は“should”の社会

複数の仕事を持つ生き方は日本だと難しそうですよね。日本は「こうあるべき」という考え方が強い“should”の社会ですから、いい高校、大学を出て大手企業に就職して……、という既定路線に疑問を持ちにくいのではないでしょうか。子供のころから植え付けられている価値観ですから、「本当に自分がやりたいこと」を考える機会を残念ながら多くの人が逃していると思います。

仮に何かやりたいことが見つかったとしても、2つやるという発想にはなかなかならないですよね。思いついても、そんなのは無理だと諦めてしまう人が多そうです。もちろん副業禁止の社内規定などの問題はありますが、それを差し引いても本人たちが勝手に壁を作ってしまっていると思います。

馬に乗っていると、世の中のたいていのことは簡単だと思えてくるんです。なぜなら僕にとって一番難しいことは、「怪我せず馬に乗ってレースに勝つこと」だから。試験はやれば受かるし、仕事も続けていればできるようになる。でも馬は、正しく乗っても勝てるとは限らない。生き物ですから、「こうすればこうなる」というセオリーがないわけです。だから困難な場面に直面しても「あの時の馬であのレースに勝てたから、何だってできる」と思える。

 

“既定路線を外れた生き方”のモデルケースになりたい

もちろん僕のような生き方をみんながする必要はありません。ただ、日本だと社会のプレッシャーからそもそもあきらめている人も多いと思うので、そういう人のモデルケースになりたいとは思っています。日本だと、いい大学を出ている人に限って規定路線に走りがち。レールを外れることで失うものが多いし、賢いからこそ利益を考えてリスクを取らない。長い目で見たらリスクを取る人生の方が面白いと思うんですけどね。

オーストラリアは、そういう意味では楽です。大学に行かなくても給料が高い仕事につけるし、トラックドライバーからサラリーマンに転身したり、スーパーのレジ打ちのおばちゃんがジョッキーになったり、そういう“なんでもあり“という良さがある国だと思います。こっちの人は日本人より能天気というか、ポジティブというか、何とかなるだろうっていう考え方。例えば「会社辞めてミュージシャンを目指す」と言っても、“That’s good”みたいな感じです。それが良いか悪いかは別として、こっちの方が多様性はありますね。

 

「好きじゃない」オーストラリアにそれでも居続ける理由

こう言っちゃ何なんですけど、オーストラリアはあまり好きじゃないんですよ(笑)。もともと思い入れがあってきたわけじゃないし、僕は日本人なので本当は日本に住みたい。

そう言いながら、何だかんだ15年もいるのはやっぱり馬です。ここで辞めたら負けかな、もうちょっと続けよう、もうちょっと……の繰り返し。意地だけが自分を動かしている気がします。お金がほしいから仕事をやっているわけじゃないし、立派な家や車がほしいという欲もない。周りの人に喜んでもらうためにジョッキーも会計士もやっていて、自分も楽しんで、そうしたら時間がいつの間にか経っていました。

 

日本に戻るのは物理的には簡単ですが、精神的な部分で難しいんです。自分が納得できるだけの実績を持って帰国したいのですが、なかなか満足がいかない。こっちでやり残したことがある状態だと、体は帰れても心がオーストラリアに取り残されちゃうと思うんですよ。

ただ、今の生活を続けることによって失うものもあるんです。こっちに来て得たものはたくさんあるけど、同時に失ったものも多い。例えば、東京でサラリーマンをやるという20代もそのひとつです。シドニーにもオフィスを構えたいけど、馬の仕事の兼ね合いでできないというのも機会損失。人生80年、若い時期なんて50歳くらいまでと考えたら、やりたいことと、それをやることによって失うものとのバランスを考えないといけない。ただ単にやればいいってものではないのが難しいところです。

ジョッキーとしての自分に満足できた日が、僕の騎手人生のゴールになるでしょうね。もしくは怪我するとか(笑)。でも、25歳と35歳で感じ方が変わるように、来年になったらきっと考え方は変わる。少なくとも今の時点では、もうちょっと続けたいと思っています。当座の目標は200勝。あと4つなんです。今年中に達成したいですね。

 

賀谷祥平(Shohei Kaya)

競馬騎手/Ezy Tax Solutions 代表/Forward Promotions plus代表。2001年、上智大学在学中に、騎手を志しオーストラリア NSW 州 Armidale の競馬学校に入学。2003年 NSW 州 Coffs Harbour 競馬場にて騎手デビューし、ここまで2056戦196勝。騎手と並行しながら、公認会計士事務所勤務、豪米公認会計士、税理士、MBA、宅建取引主任者などの資格も取得。現在はオーストラリアのケアンズで公認会計士の事務所も経営するなど、マルチな才能を発揮している。

 

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