sportsg
未分類

第8回 プロサッカー選手 森安洋文さん 1

1995年に誕生したサッカーのオーストラリア・プロリーグ「Aリーグ」。6年目となる2010/2011年シーズンを控えた7月21日、同リーグのシドニーFCが日本人の森安洋文選手の入団を発表、三浦知良(横浜C)以来となる4人目のAリーガーが誕生した。日本ではJFL(ジャパン・フットボール・リーグ=3部に相当)選手として活躍していたものの1年目にして所属先クラブが廃部。サッカーを諦めるつもりだったが、「最後は海外に挑戦したい」という思いを断ち切れず、ワーキングホリデービザを片手にオーストラリアにやってきた。人生最大の賭けは5カ月後に悲願のプロ契約という形で実を結ぶに至った。ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアン・ドリームを実現し、新天地シドニーでプロ選手としての生活をスタートさせた同選手に話を伺った。

取材・文・写真:飯田裕子

シドニーFCへの入団、おめでとうございました。まずは感想をお聞かせください。

ありがとうございます。素直にうれしかったです。5カ月前には、オーストラリアに来てこんな風になるとは思ってもいませんでした。もちろんAリーグに入るという野望をもって日本から来たのですが、こんなにうまくことが進むとは思ってもなかったですし、こんな短期間でここまで登り詰められるとは思ってもなかったので、うれしい限りです。(取材日はファン感謝デーで、多くのファンに囲まれていますが?)この規模で(ファンとのふれあい)は経験がありません。新鮮で楽しい気持ちですし、面白いです。(背番号は)勝手に「6でいいか?」と言われたので、別にいいかなと思って「6でお願いします」と言いました。

日本での選手生活に終止符を打ち、Aリーグに挑戦しようと思ったきっかけを教えてください。

日本のJFLの三菱水島でやっていたのですが、昨年9月か10月ぐらいに廃部になるということを聞かされました。もうサッカーを辞めようと思っていましたし、サッカーを続けるか就職するかをずっと迷っていましたが、最後に海外でやってみたいと思いました。小さい頃に父の仕事で米国に住んでいたため英語が話せるということもあり、英語圏で『オーストラリア』となりました。代理人とかまったくいない中で、こちらにきてNSWプレミアシップ(セミプロリーグ)の APIAライカートに入団しました。それからシドニーFCのトライアルを6週間に渡って受けました。毎日、まだかな、まだかなと思って結果を待ち続けました。

なぜオーストラリアのAリーグを選んだのですか?

オーストラリアは簡単に来られるというのがありました。ワーキングホリデーでも来られるというのがありましたので、そ れが一番大きかったです。実は今もワーキングホリデービザですよ(笑)。オンラインでの申請で、全部簡単でしたから自分でやりました。(今後は)シドニーFC側からビジネスビザを発行してもらえるとのことなので、ビジネスビザに切り替えますが・・・。

3月8日にオーストラリアに来てからは、こちらに日本人の知り合いの方がいたので、その方を通じて突撃練習参加みたいな感じでAPIAライカートに入っていきました。本来ならトライアウトなどがあるので、シーズンの途中で練習生といった受け入れはしないのですが、結局1日やって契約という形になりました。 4月のリーグ7、8節目ぐらいで初出場しました。

APIAのオーナーの方が「活躍すればAリーグの道が開けるかもよ」と言っていました。もちろんそれがメインの目的でこちらに来たので、がんばって点を取ったり、アピールをしました。そのオーナーの方がシドニーFCのスタッフを1人知っており、その人に連絡すると、試合を見に来てくれました。ある程度評価してくれたのかは分からないですが、そこからトライアルを受けることになりました。

6週間のトライアルはとても辛かったですが、練習は楽しくできていたのでストレスなどは特に感じなかったです。プレッシャーも感じなかったのですが、「いつ合否が出るのかな」という気持ちは大きかったです。でもトライアル受けている中で「絶対にいける」という気持ちはありました。その気持ちがなかったらやっていけないと思います。

サッカーを始めたきっかけを教えてください。

兄がサッカーをやっていたということもあり、その影響で始めました。小さな頃からボールは蹴っていましたが、真面目にやり始めたのは小学校1年生の時で、チームに入ってやり始めました。中学校時代は米国テキサス州ダラスにあるクラブに所属していて、高校は日本に戻って清水エスパルスのユースで3年間お世話になっていました。その後新潟にあるジャパン・サッカー・カレッジを経て、岡山にある三菱水島に入団しました。サッカーのために転々としました。(三菱水島の廃部を受けて)本当に辞めようと思っていたので、最後の覚悟を持って、「これでだめだったら本当に諦めよう」という思いでオーストラリアに来たので、最後にこういう形になれたのは本当に運があったのかなと思います。この25年間運がなかった分、この5カ月で運を使い切ったのかなとも思います(笑)。

トライアル期間中だった7月10日には、英プレミアシップの名門エバートンとの親善試合でも途中出場を果たしました。その時の印象をお聞かせください。

人生の中でエバートンと試合することなど夢にも思っていませんでした。実際にそのような状況になって夢のようでした。でも実際に試合に出たら冷静にできて、緊張もまったくしなかったです。(4万人強の観客の前での試合でしたが?)こういう大観衆の前での試合は初めてでしたが普通にプレーできました。シドニーに来る前はエバートンと試合するなど考えてもいないことでした。本当に辞めようと思ってから、徐々にいい経験ができるようになってきていると思います。

(試合では特別出場したドワイト・ヨークとの交替となり、ヨークに肩を叩かれてピッチに送りだされましたが?)なかなかできない体験だと思います。エバートンの選手はとてもでかかったです。(オーストラリア代表の)ケーヒルはやはりうまかったです。ヨーク選手とは、カズさん(三浦知良)のネタを使わせていただいて会話しました。ヨーク選手は「今もカズと連絡を取っているよ」と話していました。

 

この記事をシェアする

この投稿者の記事一覧

その他の記事はこちら