Y子のファーム日記 – JAMS.TV https://www.jams.tv オーストラリア生活情報ウェブサイト Sun, 22 Oct 2017 22:55:42 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.7.2 その30 [旅立ちの日] https://www.jams.tv/education/34443 Thu, 03 Mar 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/34443 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがあ る。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイク アップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコ ンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうとい う経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

見送りにきてくれた仲間たちと

その日はウキウキしてなかなか眠りにつけなかった。明日の朝、待ちに待ったセカンドワーキングホリデービザ申請に必要な番号がもらえるからだ。そして3ヵ月 お世話になったガトンを旅立つからだ。淋しい気持ちとうれしい気持ちが入り混じり複雑な心境だった。翌日の大魔人は機嫌が良く、すんなりと申請のための番 号を発行してくれた。私は人目も気にせず『やった~!』と素直に喜んだ。さらにその後、いっしょに働いた仲間が大勢見送りにきてくれたのだ。こみ上げるうれしい気持ちがさらにふくらんだ。ここにいる人たちとは、プライドや偏見などに左右されることなく素直な自分で接することができた気がする。年齢も、職業もまったく違い、日本では絶対に知り合わない人たち。しかしここではみんないっしょ。日本からワーホリで来た、上も下もないただの日本人なのだ。そんな仲間と共に働き、酒を酌み交わし、あらゆることをたくさん語った。いつかまた会おうという約束を交わして、泣きたい気持ちを必死で抑えて車を発信させた。 バックミラーを見るとふざけながら走って追いかけてくる人もいる。『がんばれよ~!』という声が聞こえてきた。ありがとう、ガトン。そして、さようなら。 車を走らせながらスピッツの「チェリー」を聴いていた。“ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ。いつかまたこの場所で君と巡り会いたい“

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Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがあ る。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイク アップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコ ンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうとい う経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。


見送りにきてくれた仲間たちと

その日はウキウキしてなかなか眠りにつけなかった。明日の朝、待ちに待ったセカンドワーキングホリデービザ申請に必要な番号がもらえるからだ。そして3ヵ月 お世話になったガトンを旅立つからだ。淋しい気持ちとうれしい気持ちが入り混じり複雑な心境だった。翌日の大魔人は機嫌が良く、すんなりと申請のための番 号を発行してくれた。私は人目も気にせず『やった~!』と素直に喜んだ。さらにその後、いっしょに働いた仲間が大勢見送りにきてくれたのだ。こみ上げるうれしい気持ちがさらにふくらんだ。ここにいる人たちとは、プライドや偏見などに左右されることなく素直な自分で接することができた気がする。年齢も、職業もまったく違い、日本では絶対に知り合わない人たち。しかしここではみんないっしょ。日本からワーホリで来た、上も下もないただの日本人なのだ。そんな仲間と共に働き、酒を酌み交わし、あらゆることをたくさん語った。いつかまた会おうという約束を交わして、泣きたい気持ちを必死で抑えて車を発信させた。 バックミラーを見るとふざけながら走って追いかけてくる人もいる。『がんばれよ~!』という声が聞こえてきた。ありがとう、ガトン。そして、さようなら。 車を走らせながらスピッツの「チェリー」を聴いていた。“ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ。いつかまたこの場所で君と巡り会いたい“

曲が追い討ちをかけたのかしばらく涙が止まらなかった…。

一喜一憂。状況が変わるたび喜んだり、心配したりして落ち着かないこと。今までこの言葉はあまり好きではなかった。感情を表に出すのはかっこ悪いし、恥ずかしいと思っていた。理想を言えば、どんなことが起きても気持ちが揺らがずドンと構えている人。そんな人間が立派なんだと思い、長い間ずっと気持ちを押し殺 すようにしてきた。いつでも笑顔をつくり周囲の顔色を伺っていたような気がする。しかし、ここに来てからの私は、毎日あきらかに一喜一憂していた。浮かれる日もあれば、クビになりそうになって落ち込んだり、本気で喧嘩をしたこともあった。無事セカンドビザの番号をゲットした時には、うれしさのあまりRさんや仕事仲間の人たちへ電話で報告してしまったほど。ここでは喜怒哀楽すべての感情を大げさなくらいさらけ出していたと思う。自分自身でそうしていたのか周りの影響がそうさせたのかそれはわからないが、今まで信じていた理想は、あっさりと打ち砕かれてしまった。しかし、あることに気がついた。こうやっていろんな感情が沸いてきてそれを包み隠さず表に出す。考えていること、思ったことをそのまま口にする。時には相手を傷つけてしまうかもしれない。でも、それが人間らしいということではないかと思えてきたのだ。それに我慢などしなければストレスなんて溜まらない。素直な自分を出すことで、それが他人に受け入れられようが受け入れられまいが気にしない。何らかの心の結びつきさえあれば、ここで出会った仲間のように本物の友達になれるのだから。だから、一喜一憂することは恥ずかしくなんかないと今は思う。感情や思っていることを外に出さないということは、自分の殻に閉じこもり、人と会うときはいつでも鎧をかぶらなければならない。そんなことをしてたらいつまで経っても自分のことを好きになってくれる友人なんてできないと思う。そのことをこのファーム生活で学んだような気がする。ここで体験した数々のできごとは、私の凝り固まった考え方を大いに変えてくれた。日本では間違いなく縁がなかった経験。ギンギンと照りつける太陽の下でドロだらけになって野菜を収穫したり、虫がウヨウヨと出てくるキャンピングカーに住んだり、権力で何でも押し通そうとする大魔人と戦ったり。つらいことの方が多かったのかもしれないが、これらの体験は確実にオーバー30の私を成長させてくれた。自分を成長させるために費やす時間というのは贅沢で 有意義な時間だと思う。だからここで起こったこと、出会った人たちのことはきっと宝物になるだろう。出会いは偶然、別れは必然という。なんだか淋しい言葉のような気もするけど、出会いに別れはつきもの。だから別れは長い人生を思ったらプラスになると信じたい。ファーム作業でドロだらけになった長靴は心の中にしまい込んで、今日からはピカピカの高いヒールに履き代えて都会の街を歩き出すのだ。

“君を忘れない曲がりくねった道をゆく、きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる”

終わり。

今回をもちまして「Y子のファーム日記/自由になれた気がした30の夜」は、終了となります。

これまでおつきあいいただきありがとうございました。

またいずれどこかでお会いできる日までさようなら。

Y子

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その29 [呪われた家] https://www.jams.tv/education/34273 Sun, 27 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/34273 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

いやな予感が的中してしまった送別パーティーでのワンショット(中央の人が透明になっている)

人は死んだらどこへ行くのだろう。これはよく聞く言葉。死んだら天国か地獄、どちらかしかないのだろうか。おそらくどちらにも行っていない霊は存在し、その霊はこの世を彷徨い続けていると、私は思う。なぜそう思うのか…、じつは私は非常に霊感が強いのです。子供のころは風邪をひいて体の免疫が落ちる度に家の中や病院で死んだ人を見ていた。私にとってはごく当たり前のことだったが『あそこのおじいちゃんがこっちを見ているよ』と言うと周りにいる人は奇妙がっていた。学生のころパリへ旅行に行った時には、滞在先のホテルの部屋で大勢の兵隊さんが行進していた。窓から入ってきてドアの方に向かって歩いているのだ。おそらく戦争か何かで大勢亡くなったのだろう。外人の霊を見たのはその時が初めてだった。ずいぶん昔の人たちだったので大変な衝撃を受けた。OLの時は、オフィスのトイレでいつも髪の長い女の人が鏡越しに私を見ていた。霊感の強い同僚も、同じ人を見たと言っていたので間違いないだろう。それくらい私には日常茶飯事なことなのだ。嫌なことに見えるだけではなく、その霊の感情まで察知してしまうことがある。ここで感情移入してしまったら最後、離れなくなってしまうのだ。常に毅然とした態度でいなければいけない。絶対に突き放さなければダメなのだ。そんな私がガトンでも強

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Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

いやな予感が的中してしまった送別パーティーでのワンショット(中央の人が透明になっている)

人は死んだらどこへ行くのだろう。これはよく聞く言葉。死んだら天国か地獄、どちらかしかないのだろうか。おそらくどちらにも行っていない霊は存在し、その霊はこの世を彷徨い続けていると、私は思う。なぜそう思うのか…、じつは私は非常に霊感が強いのです。子供のころは風邪をひいて体の免疫が落ちる度に家の中や病院で死んだ人を見ていた。私にとってはごく当たり前のことだったが『あそこのおじいちゃんがこっちを見ているよ』と言うと周りにいる人は奇妙がっていた。学生のころパリへ旅行に行った時には、滞在先のホテルの部屋で大勢の兵隊さんが行進していた。窓から入ってきてドアの方に向かって歩いているのだ。おそらく戦争か何かで大勢亡くなったのだろう。外人の霊を見たのはその時が初めてだった。ずいぶん昔の人たちだったので大変な衝撃を受けた。OLの時は、オフィスのトイレでいつも髪の長い女の人が鏡越しに私を見ていた。霊感の強い同僚も、同じ人を見たと言っていたので間違いないだろう。それくらい私には日常茶飯事なことなのだ。嫌なことに見えるだけではなく、その霊の感情まで察知してしまうことがある。ここで感情移入してしまったら最後、離れなくなってしまうのだ。常に毅然とした態度でいなければいけない。絶対に突き放さなければダメなのだ。そんな私がガトンでも強烈な悪霊と出会うことになった。これは私を含めた何人かの送別会が催されることになった時のこと。ガトンに来てからもうすぐ3ヵ月になるので、少し早いが同じ時期にここを旅立つ人たちの送別会をしてくれることになった。場所は私の住んでいた家から少し離れたシェアハウス。自分のための“催し物”はあまり好きではなかったが、せっかく機会だし手土産にワインを持って訪れることに。ガトンはねずみが多いせいか、ねずみ返しの付いた高床式の家が多く、その家もそういう造りだった。なぜだか着いた時から湿気を含んだ嫌な空気が漂っている。いわゆる一階の床下部分には雑草が生い茂り、くもの巣がびっしり張っていた。長い間手入れがされてないのがひと目でわかり、それだけで薄気味悪い。階段を上ったところにバルコニータイプの玄関があった。バルコニーにはなぜか古い日本人形が置いてある。髪の毛の長さが疎らなのが気になった。家の奥の方に目を向けると、キラッと何かが光った。次の瞬間、それは黒い猫だとわかった。聞くと、だいぶ前からこの家に住み着いているらしい。瞬時にここを離れたいと強く思った。バスルームの辺りから嫌な空気が漂ってくるのだ。殺気のようなものまで感じられる。しかも年配の男性らしいことまで感じられた。しかし、来たばかりですぐに帰るわけにもいかず、送別会のパーティーで楽しい雰囲気を壊すのも申し訳ないので黙っていることにした。しばらくの間おとなしく飲んでいたが、アルコールを摂取しているためトイレに行きたくなってしまった。しかし、そっちの方へは行きたくない…。だがこの生理現象は止められず、仕方がなく薄暗いトイレで用を足した。トイレから出ようとすると、突然電球がバチンと音をたてて切れてしまった。嫌な予感が脳裏を横切る。すぐ背後で人の気配がするのだ。しかし振り返ることができず、手も動かないし声も出ない。そう、金縛りにあってしまったのだ。これはまずい…、とっさに“ブッカンセイキ”という言葉を心の中で繰り返し唱えた。これは昔、霊感の強いおばあちゃんから教わった呪文で悪霊が寄ってきたらこの言葉を繰り返し唱えなさいと教えられた。心の中でこの呪文を何度も繰り返す。加えて、私に憑かないでくれと心の中で祈った。“かわいそう”とか“助けてあげる”という同情は絶対してはいけないらしい。そんなことを思ったら、頼って憑いてきてしまうのだ。だんだん手に力が戻ってくる。怖くて目は開けられないが、思い切ってドアを開けた。暗闇から出たばかりで目が慣れるまで時間がかかったが、みんな何ごともなかったように、お酒を飲んで騒いでいる。よかった…、助かった。この以前と変わりのない光景を目にして少し気分が落ち着いてきた。しかし、とにかく早くここを出たい。きっとまた来るに違いない。急いで同じシェアハウスに住んでいる娘のところへ行き、帰ろうと促してみたが、あと30分待ってと言われてしまった。一人で帰る勇気がない私は、仕方なく待つことに。すると誰かが『これどうしたの?』と聞いてきた。むし暑い日だったので、キャミソールを着て肩を出している私に向かって指さしている。何のこと?という顔をしていると、彼女は言った…。 『肩のところに手の跡があるよ』

数日後、わかったこと。あの家は大魔人が破格の安さで借りている家だった。その破格の安さには理由があった。以前、あの家で殺人事件があったのだそう。殺されたのはその家に住んでいた中年男性だという。その遺体は家の下に埋められていたのだそうだ。供養などされていないのだろう。その霊は何かを訴えたかったのだろうか…。しかし、私にはどうにもできない。どうか、誰も苦しめずあの世といわれる場所へ旅立ってくれることを心から祈った。ガトン最後の思い出はこうやって幕が閉じられたのだった。

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その28 [廃車にしようと思った日] https://www.jams.tv/education/34133 Wed, 23 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/34133 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

大好きなバイロンベイの海を見た後にドラマが…

せっかく車を購入したのに最近は家と作業場の往復しかしていないことに気がついた私は、意を決して遠出をすることにした。かといって車を購入した時に道に迷って大変な思いをした経験もあるので(その13参照)、知らない土地は避けたい。日帰りできる近場で良い場所がないか考えてみたところ以前住んでいたバイロンベイが思い浮かんだ。バイロンベイは、ブリスベンを抜け、ゴールドコーストからさらに1時間ほど南へ向かったところ。そこならなんとか行けそうだ。さっそくファームで仲良くなった3人を引き連れて旅をすることになった。早朝からお弁当を作り、日が昇る前に集合。みんなこの旅行を楽しみにしていたようだ。道中サンドウィッチで腹ごしらえ。音楽が流れる車内のテンションはMAXに達していた。ガトンから運転すること3時間ほど。いよいよバイロンベイの海が見えてきた。この街は信号もなく、開放的。裸足や水着で歩いてる人も多く独特の雰囲気がある。う~ん、ハワイに似ていて好きだ。アイスを頬張りながらのショップ巡り。地元の人が『こんにちは』とか『日本大好き』など声をかけてくれる。そう、なぜかバイロンベイの人たちはフレンドリーで暖かい人が多いのだ。ビーチへ行き、フィッシュ&チップスを食べながらゴロゴロと昼寝をする。お気に入りの街なのでもう少しステイしたかったが、日も暮れ出したのでそろそろ帰ること

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31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

大好きなバイロンベイの海を見た後にドラマが…

せっかく車を購入したのに最近は家と作業場の往復しかしていないことに気がついた私は、意を決して遠出をすることにした。かといって車を購入した時に道に迷って大変な思いをした経験もあるので(その13参照)、知らない土地は避けたい。日帰りできる近場で良い場所がないか考えてみたところ以前住んでいたバイロンベイが思い浮かんだ。バイロンベイは、ブリスベンを抜け、ゴールドコーストからさらに1時間ほど南へ向かったところ。そこならなんとか行けそうだ。さっそくファームで仲良くなった3人を引き連れて旅をすることになった。早朝からお弁当を作り、日が昇る前に集合。みんなこの旅行を楽しみにしていたようだ。道中サンドウィッチで腹ごしらえ。音楽が流れる車内のテンションはMAXに達していた。ガトンから運転すること3時間ほど。いよいよバイロンベイの海が見えてきた。この街は信号もなく、開放的。裸足や水着で歩いてる人も多く独特の雰囲気がある。う~ん、ハワイに似ていて好きだ。アイスを頬張りながらのショップ巡り。地元の人が『こんにちは』とか『日本大好き』など声をかけてくれる。そう、なぜかバイロンベイの人たちはフレンドリーで暖かい人が多いのだ。ビーチへ行き、フィッシュ&チップスを食べながらゴロゴロと昼寝をする。お気に入りの街なのでもう少しステイしたかったが、日も暮れ出したのでそろそろ帰ることにした。そして、ここからがドラマの始まりだ。駐車場に戻るとエンジンがかからない…。どうしたことか、みんな車の知識がまったくといっていいほどないので原因がわからない。だが不幸中の幸いか、駐車していた場所が以前通っていた学校だったので、仲のよかった先生を呼び出して見てもらうことに。なんとバッテリーが上がってしまったという。なんてこった。先生の車と私の車をブースターケーブルでつなげて充電が始まった。よかった~、これで帰れる…。先生に何度もお礼を言い、いざ出発。早朝からの旅で疲れがたまっていたのか、各自睡眠タイムとなった。みんなに少しでも寝てもらおうと安全運転しながら走っていると、突然パンッっという破裂音が聞こえた。何ごとか?! 次の瞬間、ハンドルが遊び始めコントロールが効かない。車は右に左に蛇行している。すでにハイウェイに乗っていて、ビュンビュン飛ばしていたので揺れも半端ではない。とりあえず道の傍らに車を止めて外へ出てみると、なんとタイヤがパンクしているではないか…。この非常事態にパニックを起こし冷静さを失ってしまった私とはうらはらに、冷静な友達であるN美がトランクに入っていたスペアタイヤを見つけ出し、自力でタイヤを交換することになった。タイヤを固定するネジは長年いじってなかったようで錆びて硬くなっていたが、なんとか交換することができた。オイルで汚れた手を見ていると、映画のワンシーンのようで感動してしまった。さすがオーストラリアだ。再度出発。車は走り出し、無事ゴールドコースト、ブリスベンを通り越した。あと1時間もしないうちにガトンに帰れるだろう。私たちは陽気に歌など歌いながら残りの帰路を楽しんでいた。しかし、あることに気がついてしまった。なにやらボンネットから煙がでているような…。気のせいだろうと見て見ぬふりをしていると、隣に座っていたN美が『煙出てない…?』と聞いてきた。『やっぱりそうだよね…』と私が言った瞬間、車がプスプスと音を立て始めた。そして、だんだんスピードが落ちていく。これは本当にやばいと思い、また道の傍らに止めることに。だが、この時は誰もが確信していた。もうタイヤ交換のレベルではなく、私たちの手に負える問題ではないということを。これは大変な事態だということを…。車を止めたはいいが、怖くてボンネットには誰も近づけない。日も落ちて辺りは暗くなっている。なんてことだ、今夜はこのハイウェイで過ごすのかと誰もが思っていたが、怖くて口には出さなかった。そしてこの数々のトラブルに疲れきって誰も良い案が浮かばなかった。車を購入して道に迷った時の悪夢が蘇ってくる…。しばらくボーッと突っ立っていると、一台の乗用車が私の車の前で止まった。車にはオーストラリアの国旗がついている。国旗…政治家? と思っていると、車からおじさんらしき人が出てきた。疲れきった私には車のライトを浴びたおじさんがスローモーションでこっちに向かって来るように見えた。そう、あのダイハードのブルース・ウィルスのように。そのくらいおじさんが、まぶしく英雄に見えたのだ。事情を話した後、おじさんは親切にボンネットを調べてくれたが、やはり手には負えなかったらしくレッカー車を呼んでくれた。そしてレッカー到着後も、英語がままならない私たちの代わりにレッカー車の人と話しをつけてくれたのだ。さらに、なんと私たちをガトンまで運んでくれるというではないか。夫婦で旅行中だったおじさんは本当にいい人だった。無力な私たちは、申し訳なく思いながらもこのご好意に甘えるしかなかった。無事、家まで送り届けてもらったがどうやってお礼をしたらいいかわからない。とりあえず家にある野菜を手渡すことしかできなかったが、おじさん夫妻は喜んで受け取ってくれた。なんて素晴らしい人たちだろう…、こんな夫婦になりたいと思ってしまった。本当にありがたかった。感謝、感謝だ。それにしても、購入して間もない愛車が、こんなポンコツだとは思わなかった。300kmほどでこの様だ…、オーストラリア一周など夢のまた夢の話しとなった。なにはともあれ、オーストラリアの国旗を付けたブルース・ウィルスは、現実の世界でも人助けをする良い人だった。

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その27 [目には見えない怪物たち] https://www.jams.tv/education/34087 Sun, 20 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/34087 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

こんなものが私の身体に住み着いていたとは…

小学校の夏休みの宿題に自由研究というものがある。私はこの宿題だけは結構好きだった。自分でテーマを決めて勝手に研究しなさいという個性を大切にしてくれる宿題だからだ。5年生の夏休み、[田んぼの生き物]というテーマで研究することにした。田んぼに興味はなかったが、当時住んでいた家の近くには田んぼしか見当たらず、なぜか顕微鏡が大好きだったのでそれを使える研究にしたかったのだ。そしていよいよ夏休みがやってきて、研究を始めることにした。田んぼの水を汲んできて水をスポイトで吸い、スライドガラスに2、3滴垂らす。後はレンズを覗いてピントを合わせるだけ。さて、この中にはどんな生き物がいるのだろう。少し怖いが興味深々だった。段々ピントが合ってきて何か生き物のようなものが見える。そしてピントが合った瞬間、私はこの世のものとは思えないほど、恐ろしいものを目にした。それは足がびっしり生えていて透明な芋虫のようなものだった。次の瞬間、大声で『ギャーっ!』と叫んでいた。隣の三軒先の家まで聞こえていただろう。そのあとは顕微鏡に近づくのも恐ろしく、私の自由研究は初日で幕を閉じた。あんな2、3滴の田んぼの水の中にこんな恐ろしい怪物がいたとは…。私の敵はゴキブリ程度の大きさからだと思っていたが、その時から目には見えない微生物も敵の一部に加わったのだ。そう、目には見えない

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31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

こんなものが私の身体に住み着いていたとは…

小学校の夏休みの宿題に自由研究というものがある。私はこの宿題だけは結構好きだった。自分でテーマを決めて勝手に研究しなさいという個性を大切にしてくれる宿題だからだ。5年生の夏休み、[田んぼの生き物]というテーマで研究することにした。田んぼに興味はなかったが、当時住んでいた家の近くには田んぼしか見当たらず、なぜか顕微鏡が大好きだったのでそれを使える研究にしたかったのだ。そしていよいよ夏休みがやってきて、研究を始めることにした。田んぼの水を汲んできて水をスポイトで吸い、スライドガラスに2、3滴垂らす。後はレンズを覗いてピントを合わせるだけ。さて、この中にはどんな生き物がいるのだろう。少し怖いが興味深々だった。段々ピントが合ってきて何か生き物のようなものが見える。そしてピントが合った瞬間、私はこの世のものとは思えないほど、恐ろしいものを目にした。それは足がびっしり生えていて透明な芋虫のようなものだった。次の瞬間、大声で『ギャーっ!』と叫んでいた。隣の三軒先の家まで聞こえていただろう。そのあとは顕微鏡に近づくのも恐ろしく、私の自由研究は初日で幕を閉じた。あんな2、3滴の田んぼの水の中にこんな恐ろしい怪物がいたとは…。私の敵はゴキブリ程度の大きさからだと思っていたが、その時から目には見えない微生物も敵の一部に加わったのだ。そう、目には見えない生き物ほど怖いものはない。見えるものならスプレーやハタキで戦いようがあるが、見えないものは戦いようがないのだから。その恐ろしい敵とここファームで対峙することに。ダニだ。ダニを顕微鏡で見た時も悲鳴を上げたが、こんな生き物が私の皮膚を襲うのかと思うと鳥肌が立つほど恐ろしい。姿形でいえば蚊の方がまだマシだと思う。しかし、夏場のファームで生活するというのは、本当に大変なのだ。作業場で野菜や果物についた微生物が洋服や体に付着し、そのまま家に帰ってベッドで寝てしまうとその微生物がベッドに付着してしまうらしい。いくら清潔を保っていても、その微生物にいつ襲われるか解らないのだ。1月のガトンは夏真っ盛り。そして微生物がそこら中に徘徊しているらしく、とうとうその魔の手が私にも襲ってきたのだ。体じゅう何者かに刺され、真っ赤に腫れていた。背中に至ってはシェアメイトが同情するほど、無残な姿になっていたらしい。必死に日本から持ってきたムヒを塗っていたが症状は悪化するばかり。ただ、腫れているだけなら治まるのを待てばいいかもしれないが、痒くて皮膚を掻いてしまうので一向に治る気配がなかった。昼間は寝ているマットを天日干しにして、部屋はバルサンを2回撒いた。しかし、刺される箇所は増えるばかり。日本語の通訳のいる病院はブリスベン市街まで行かないとなかったが、これ以上ひどくならないうちに行くことにした。さっそく検査してもらうと驚くことを先生が口にした。 『これはもう皮膚の中にダニが住み着いていますね、いくら部屋を清潔にしてもまったく意味がないですね』 今、なんて? 私の体の中にダニが住んでいる? 先生は人ごとだからそんな落ち着いて説明しているけど、あの顕微鏡で見たような怪物が私の中に…。泡を吹いて失神しそうだ。今すぐ皮膚をはがして浄化してくれ! 先生は放心状態の私に『大丈夫、大丈夫。ハハハ』と笑っている。ハハハって…。大丈夫じゃないし、のん気に笑ってんじゃないよ、この鬼医者め。神様、これは何かの罰でしょうか? 私がこの世で一番キライなものをご存知ですよね。それを知ってのことでしょうか。皮膚の中に…。早くなんとかしなけば。とにかくこの鬼医者のいうことをよく聞いて帰らなければ。放心状態から戻った私はメモ帳を取り出した。先生は水のシャワーを浴びた後、体をよく拭いてから塗り薬を全身に塗れば2週間ほどで皮膚の中に住んでいるダニは死ぬという。2週間も皮膚の中にダニがいると思うとおぞましかったが、やるしかない。それから、私とダニたちの戦争は幕を開けた。その晩から言われたとおりシャワーの後、薬を塗って攻撃をしかけた。だが、ベッドで眠る私をダニが攻撃してくる。マットは毎日天日干しして、さらにそのあとも熱で退治するため真夏の部屋でドライヤーの熱風を延々と送り続けた。私の脳も部屋の温度もヒートアップし続けた。だが、ここまで仕掛ければ負ける気がしなかった。そしてこの作業を1週間続け、やっと終戦の時を迎えた。体の腫れと痒みは徐々にひいていき、ゆっくり眠れるようになってきたのだ。勝った…。この目には見えない怪物たちを倒したのだ。以前にも増してダニはこれからの私の人生でトラウマとなるだろう。しかし、この戦争に勝った経験も私の人生のちいさな勲章になるだろう。

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その26 [ファームの音楽隊] https://www.jams.tv/education/34085 Wed, 16 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/34085 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

プロ並みの腕前にみんなが酔いしれた

この国に来てからずっと思っていたことがある。それはどこにいても必ずといっていいほど、音楽が聴こえてくること。私がいた場所だけなのかもしれないが、最初に滞在していたバイロンベイではヒッピーが多いせいか、道でジェンベ(手で叩く太鼓)を叩いていたり、アボリジニの象徴でもあるディジュリドゥがそこらじゅうから聴こえてきた。ゴールドコーストでも、ナイトクラブで流れる音楽が外まで漏れて聴こえてくるし、本格的な路上ライブも頻繁に行われているので街じゅう音が鳴り響いてる感じだった。ここに来てからは今までよりは静かだなと思っていたが、ブロッコリーニの作業中でも常に音楽は流れていた。音楽は、聴いているだけで陽気な気分になったり、気分を安定させてくれたり、精神にすごく影響を与えてくれる。学生の頃からよく一人でカラオケに行って歌っていた。一人で入るのは恥ずかしいので、受付には『後で連れが来ますので…』などと言っておく。出る時は携帯電話で誰かと話しているフリをしてそそくさと退散する。これが私の手口だった。とても手間がかかって面倒だが、順番を待たずに歌い続けることができる贅沢感を満喫できるし、気分によってテンションの違う曲を選曲し自分のペースで歌えるので実に気分が良い。注意しなければいけないのは、常連になると顔を覚えられてしまうため別のカラオケ屋を探さなければいけないこと。そんな面

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Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

プロ並みの腕前にみんなが酔いしれた

この国に来てからずっと思っていたことがある。それはどこにいても必ずといっていいほど、音楽が聴こえてくること。私がいた場所だけなのかもしれないが、最初に滞在していたバイロンベイではヒッピーが多いせいか、道でジェンベ(手で叩く太鼓)を叩いていたり、アボリジニの象徴でもあるディジュリドゥがそこらじゅうから聴こえてきた。ゴールドコーストでも、ナイトクラブで流れる音楽が外まで漏れて聴こえてくるし、本格的な路上ライブも頻繁に行われているので街じゅう音が鳴り響いてる感じだった。ここに来てからは今までよりは静かだなと思っていたが、ブロッコリーニの作業中でも常に音楽は流れていた。音楽は、聴いているだけで陽気な気分になったり、気分を安定させてくれたり、精神にすごく影響を与えてくれる。学生の頃からよく一人でカラオケに行って歌っていた。一人で入るのは恥ずかしいので、受付には『後で連れが来ますので…』などと言っておく。出る時は携帯電話で誰かと話しているフリをしてそそくさと退散する。これが私の手口だった。とても手間がかかって面倒だが、順番を待たずに歌い続けることができる贅沢感を満喫できるし、気分によってテンションの違う曲を選曲し自分のペースで歌えるので実に気分が良い。注意しなければいけないのは、常連になると顔を覚えられてしまうため別のカラオケ屋を探さなければいけないこと。そんな面倒くさいことをしながらも自分なりに音楽とつきあってきた。ある日音楽好きの私に朗報が入ってきた。なんと、新しく入ってきた2人組みのワーカーがバンドマンだったのだ。日本にいた時は有名ミュージシャンのツアーに参加したこともあるほどの人たちで、ギターの腕前は相当なものらしい。さっそく彼らの演奏を聞こうと、家に遊びに行ってみるとそれは見事なものだった。楽器のことはよく解らないが、よくもまあそんなに指が動きますねと言わんばかりの速さで演奏している。それからはブロッコリーニの作業が終わると、彼らの家に遊びに行き演奏を聴くことが多くなった。シェアハウスの汚いバルコニーで沈みゆく夕陽を背に彼らの演奏に聴き入った。みんな節約のため安いワインを分け合って飲んだり、持ち帰った野菜で作ったおつまみをつまみながら。そういうところに集まる人というのは音楽が好きな人が多く、なかでも私と同年代の女性Hさんはかなり歌がうまかった。彼女はUAのような低くてボリュームのある声質で、聞いていて心地良く、なおかつ迫力もある。個人的に好きな声だった。2人のギターセッションとHさんの歌声によるライブに耳を傾けながら大好きな赤ワインを飲む。私にとっては最高に贅沢な時間。一度だけ2人のギターセッションに合わせて歌ったことがある。歌詞もないし、人前で歌うのは恥ずかしいという私に、何も考えずに声を出してみてと言われた。言われたとおり激しいギターの音を聴いているとホロ酔い加減も手伝って勝手に声が出てくる。曲名も何もない即興で作られていく楽曲。ギターが激しくなるに連れて腹筋に力が入り自然に声が出てくる。なんだろうこの感じ。歌うという意識ではなくて勝手に出てきた声が音程を作り音楽になっていく感じ。彼らは私の音階に合わせてくれているのだろう。お互いに次はこの音だよねと確認もしていないのに、自然に同じタイミングで私の音階に合う音を出してくれた。すごく気持ちがいい。カラオケの電子音やマイクのエコーもなく生音がそのまま耳に入ってくるのも新鮮だった。そのうち、バルコニーでは飽きたらずみんなでキャラバンパークへ行ったりもした。そこでは、ジェンベ(手で叩く太鼓)やハーモニカを持っている人もいて、みんな地べたに座り込んで演奏していた。楽器がない人はボイスパーカッションをして参加している。音楽に合わせてファイヤーダンスも行われた。いろんな国の人が奏でる音楽、なんだかこの雰囲気が好きだった。音楽に国境はないと誰かが言っていたけれど、まさにそうだと思う。音楽とは、音を楽しむと書くように、この人たちとの出会いで私も改めて音を楽しむことができたような気がする。

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その25 [クリスマスの呪い] https://www.jams.tv/education/34036 Mon, 14 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/34036 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

楽しいクリスマスパーティーのあとに恐ろしいことが起こるとは知る由もない…

クリスマス。私はこの日があまり好きではない。社会人になってからは、いつも仕事をしていてパーティーなんてしたこともなかった。私はクリスチャンじゃないし、仏教徒だし! と自分に言い聞かせクリスマスなんて関係ないもんと高をくくっていた。だが、それにはちゃんとした理由があるのだ。幼い頃のこと、クリスマスプレゼントにリカちゃん人形がほしかった私は、サンタさんに手紙を書いて朝が来るのを待ち遠しく過ごした。しかし朝起きて枕元に置いてあった人形は、リカちゃん人形ではなくなぜか当時流行っていたキャベツ人形だった。このキャベツ人形は顔がキャベツの形をしたちっとも可愛くない人形だった。隣でクスクス笑っている姉が拍車をかけたこともあり、ショックで思い切り声をあげて泣いた。そのあと、父親が不覚にも『ゴメン間違えた』と謝ってきたときにサンタさんがいないことも知った。そしてクリスマスを一日泣いて過ごした。その数年後、小学生の時には好きな子にプレゼントを渡そうと思い、貴重なおこづかいをはたいてプレゼントを買った。それを抱え彼の家の近くでウロチョロしていたら彼のお母さんが出てきて、本人が怖がっているから帰ってくれと言われる始末。その時からクリスマスは特別でもなんでもなく、むしろ虫唾が走る一日となった。そんな経験が影響してか社会人になってからも絶対に

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31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

楽しいクリスマスパーティーのあとに恐ろしいことが起こるとは知る由もない…

クリスマス。私はこの日があまり好きではない。社会人になってからは、いつも仕事をしていてパーティーなんてしたこともなかった。私はクリスチャンじゃないし、仏教徒だし! と自分に言い聞かせクリスマスなんて関係ないもんと高をくくっていた。だが、それにはちゃんとした理由があるのだ。幼い頃のこと、クリスマスプレゼントにリカちゃん人形がほしかった私は、サンタさんに手紙を書いて朝が来るのを待ち遠しく過ごした。しかし朝起きて枕元に置いてあった人形は、リカちゃん人形ではなくなぜか当時流行っていたキャベツ人形だった。このキャベツ人形は顔がキャベツの形をしたちっとも可愛くない人形だった。隣でクスクス笑っている姉が拍車をかけたこともあり、ショックで思い切り声をあげて泣いた。そのあと、父親が不覚にも『ゴメン間違えた』と謝ってきたときにサンタさんがいないことも知った。そしてクリスマスを一日泣いて過ごした。その数年後、小学生の時には好きな子にプレゼントを渡そうと思い、貴重なおこづかいをはたいてプレゼントを買った。それを抱え彼の家の近くでウロチョロしていたら彼のお母さんが出てきて、本人が怖がっているから帰ってくれと言われる始末。その時からクリスマスは特別でもなんでもなく、むしろ虫唾が走る一日となった。そんな経験が影響してか社会人になってからも絶対にパーティーなんかには参加しなかった。期待しても結果は見えているのだ。はしゃいだって無駄だ。キリスト様の誕生を祝いたいならおとなしく教会で賛美歌を歌えばいいのだ。だが国が変われば気持ちも変わるもので、クリスマスに対してそんな卑屈な思いを持っていた私もここではパーティーでもなんでもやって楽しもうという気持ちになっていた。環境とは偉大なのだ。そして、オーストラリアに来て初めてのクリスマスがやってきた。きっと海外に来たという実感を体験することができるだろう。ここには畑以外何もない田舎ということもあってワーカーみんなで料理を持ち寄って、近くのシェアハウスでパーティーをすることになった。ケーキは誰かが作るだろうから私はめんつゆを使って豚の角煮を作ることにした。これなら絶対誰ともかぶらないだろう。仕事を早々に切り上げ、午後からはキッチンの取り合いとなった。このみんなではしゃいでる感じ、つまみ食いをしながらワイワイやりながら料理を作るのは楽しい。パーティーが行われる家に行くとすでにお酒を飲んで酔っ払っている人もいれば、料理を必死に食べている人もいる。総勢50人で歌を歌ったり、写真を撮ったり学生に戻った気分で楽しい時間はあっという間に流れていった。残念なことに次の日も早朝から仕事があったので、一足早く自分の家に引き上げることにした。歩いて帰れる距離なので酔い覚ましにはちょうど良い。やっぱりクリスマスに卑屈になってちゃダメね、などと思いながら部屋に入ると、なんとビックリ!私の部屋に大魔人が居るではないか…。え? 酔っ払って幻覚でも見ているのだろうか。しかし、何度目をこすっても事態は変わっていなかった。状況が把握できないまま、大魔人が話しかけてくる。まずい、みんなパーティーに参加しているので家には誰もいない。とりあえず家の中は危険なので、『暑いから外で話そう』と誘導してみた。大魔人はどこで飲んできたのか完全に酔っている。言葉など、もう通用しなそうだ。手を引っ張って外へ連れていく。次の対応を考えているといきなり腕を捕まれ無理やり抱きついてきた。ヒ~っ…。離せ! クソジジイ。ダメだ。力では勝てそうもない。こんな時スーパーサイヤ人にでもなれたらいいのに。すると天の助けか、一足遅く家の住民がパーティーから帰ってきた。私たちはちょうど玄関にいたので、運よく見つけてくれたのだ。よかった、助かった…。バツが悪くなった大魔人は『ファ●ク! 』と言って酔っ払ったまま車で帰っていった。やっぱりクリスマスには何かしらケチがつくようだ…。

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その24 [秘密のバルコニー] https://www.jams.tv/education/33973 Thu, 10 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/33973 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

なんとも愛らしい姿のピョン吉

12月も中旬に差しかかり、すっかり暑くなってきたガトン。1日の作業が終わる日中は屋外にはいられないほど太陽の陽射しが強い。ここにはクーラーも扇風機もない。家でダラダラと冷えたビールを飲んでも無駄に汗をかくだけなので、仕事の後はプールに行くことが日課になっていた。泳いだ後、程よく疲れた体で軽く夕食を食べる(ほぼブロッコリーニ料理)。涼しくなる日暮れ時はバルコニーで赤ワインを飲むことが楽しみになっていた。住んでいたシェアハウスは丘にあり、邪魔な建物もなくゆっくりと沈む夕陽を眺めることができた。空を眺めていると魔法がかかったように色が移ろいでゆく。オレンジからサーモンピンクになり、パープルになってきたと思ったらダークブルーに変わっていく。いったいこの短い時間にいくつくらいの色が空を染めるのだろう。グラデーションが美しかった。詩の心得でもあれば、素敵なフレーズのひとつやふたつは浮かんでくるんだろうなあ…。充実していた。こんなことを考えるということは間違いなく充実している。のんびりとした時間や草木の匂い、湿気も少なくカラッとしている空気が肌に心地良かった。贅沢な生活に満足していた。ここは平和だな~、ただひとつ大嫌いな虫たちを除けば…。小さい頃、虫を怖がる私に田舎のおばあちゃんが『家にいる虫は飼っているから怖くないのよ』と言っていたけど、申し訳ないがやっぱ

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Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

なんとも愛らしい姿のピョン吉

12月も中旬に差しかかり、すっかり暑くなってきたガトン。1日の作業が終わる日中は屋外にはいられないほど太陽の陽射しが強い。ここにはクーラーも扇風機もない。家でダラダラと冷えたビールを飲んでも無駄に汗をかくだけなので、仕事の後はプールに行くことが日課になっていた。泳いだ後、程よく疲れた体で軽く夕食を食べる(ほぼブロッコリーニ料理)。涼しくなる日暮れ時はバルコニーで赤ワインを飲むことが楽しみになっていた。住んでいたシェアハウスは丘にあり、邪魔な建物もなくゆっくりと沈む夕陽を眺めることができた。空を眺めていると魔法がかかったように色が移ろいでゆく。オレンジからサーモンピンクになり、パープルになってきたと思ったらダークブルーに変わっていく。いったいこの短い時間にいくつくらいの色が空を染めるのだろう。グラデーションが美しかった。詩の心得でもあれば、素敵なフレーズのひとつやふたつは浮かんでくるんだろうなあ…。充実していた。こんなことを考えるということは間違いなく充実している。のんびりとした時間や草木の匂い、湿気も少なくカラッとしている空気が肌に心地良かった。贅沢な生活に満足していた。ここは平和だな~、ただひとつ大嫌いな虫たちを除けば…。小さい頃、虫を怖がる私に田舎のおばあちゃんが『家にいる虫は飼っているから怖くないのよ』と言っていたけど、申し訳ないがやっぱりそうは思えない。怖いものは怖いのだ。しかし、そんな私にも少しづつ変化が出てきた。ここ1週間ほど、このバルコニー(屋外)で過ごす時間が楽しいのには訳があった。そこには癒される存在がいたのだ。それは握りこぶしほどの大きさのミドリガエルだ。発見した頃は怖くて悲鳴を上げ、シェアメイトを驚かせていた。しかしよく見ると、どこを見ているの解らないくらい大きくて黒目がちでウルウルした目をしている。そしてキレイなミドリ色のボディは両生類のせいか水分を多く含みテカテカと光っている。いつしかこのカエルを触ってみたいという衝動に駆られ、意を決して指でつついてみると皮膚が柔らかくプルプルしていた。なんてカワイイんだろう。皮膚呼吸バンサイだ! いつからかこのカエルをピョン吉と名付け可愛がるようになっていた。ピョン吉はとてもシャイで、見つめあっていると恥ずかしいのか目をそらすのだ。なんとイジラシイ。そして手のひらに載せると緊張するのかウ○コしてしまうのだ。性格はおっとりしていて跳ねる動きもノロい。時々、ピョンっと飛んで着地の瞬間にヨロけて転びそうになっている。ドジなところも愛おしい。見ていると本当に癒される。しかし好物のハエを見つけると違う生き物になったかのように鋭い目つきになる。そして目で追えないほど機敏な動きでパクっと口の中に収めてしまうのだ。目の当たりにした時はピョン吉やっぱり怖いよ…と思ったが、私の敵であるハエを食べてくれるなら間違いなくいいヤツなのだ。そのうちピョン吉の気持ちが知りたいと思えてきた。この子はいったい何を考えて生きているのだろう。ハエをどうやって捕らえるかを常に研究しているのだろうか。それに夜しか現れないピョン吉は昼間何をして過ごしているのだろう。カエル社会とはどうなっているのか。夜は自由時間なので私に会いに来るのだろうか?一人でそんな想像をしているのが楽しかった。私はその日にファームであった出来事や、思っていることを延々と話していた。ピョン吉は何も言わず黙って聞いていてくれる。聞いていなくてもそこに居てくれるだけで満足だった。家の住民から見れば独り言を言っている怪しい日本人と映っただろう。でもそんなことどうでもいい、私にとっては幸せな時間なのだ。しかしある日そんな有意義な時間を過ごしている私たちの前に邪魔者が現れた。もう一匹のミドリガエルだ。なんと、仲間がいたのか…。しかしそれはどうやらピョン吉の彼女らしかった。そうか、彼女がいたのか。じゃれ合っているのを見ているとなんだか切ない気持ちになってしまった。それから何日か経ち、家の前の道路で新鮮なカエルの死体が見つかった。心配した家の人が教えてくれたのだ。ピョン吉なの? 愕然となった。しかし、絶対違うと信じることにした。不安だったが、その晩もバルコニーに行ってみると、ピョン吉はそこにチョコンと座っていた。…良かった。しかし、亡くなったのは彼女の方だったのか、それ以来姿を見かけなくなってしまった。ピョン吉は少し淋しそうにも見える。 『ピョン吉…大丈夫、私がいるよ。一人者同士がんばろうね』  そして今宵も月をみながらピョン吉と酒を交わすのだった。

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その23 [ファームでの生活] https://www.jams.tv/education/33883 Mon, 07 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/33883 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

一日のスケジュール…

人は一生の中で何回くらい生活のスタイルが変わるのだろう。学校へ入った時、社会人になった時、引越しをした時などの節目節目で生活のスタイルは変わってくるもの。低血圧で早起きが苦手な人でも、組織に属したらルールに従わなければいけない。遅刻しないように自分でなんとかしなければいけない。しかしどんな苦手なことでも続けていれば体は慣れてくるもので、気がつけば目覚まし時計がなくても早起きできるようになったりする。また、大都会で生きてきた人でも、まったくビルもない田舎に数日間いればそこでの生活が普通に思えてくる。生活のスタイルが変化するということは、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなって、 新しいことがどんどん当たり前に変わっていくのだ。一つだった物の見方が二つ、三つへと増えていくことでもあるので、そのような変化は決してマイナスではないと思う。ここで私が体験している生活スタイルは、生まれてから今まで経験しているものとはまったく違う。早起きが嫌いな私でも、朝陽が昇る前の空気が心地よく感じるようになっている。初めて体験する田舎暮らしも今では当たり前のものになってきた。そんなファームでの生活が一体どんなものなのか、少し紹介しようと思う。

●1日の流れ

起床は早朝というかまだ日が昇らない時間。車を持っていれば自分で作業場へ

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Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

人は一生の中で何回くらい生活のスタイルが変わるのだろう。学校へ入った時、社会人になった時、引越しをした時などの節目節目で生活のスタイルは変わってくるもの。低血圧で早起きが苦手な人でも、組織に属したらルールに従わなければいけない。遅刻しないように自分でなんとかしなければいけない。しかしどんな苦手なことでも続けていれば体は慣れてくるもので、気がつけば目覚まし時計がなくても早起きできるようになったりする。また、大都会で生きてきた人でも、まったくビルもない田舎に数日間いればそこでの生活が普通に思えてくる。生活のスタイルが変化するということは、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなって、 新しいことがどんどん当たり前に変わっていくのだ。一つだった物の見方が二つ、三つへと増えていくことでもあるので、そのような変化は決してマイナスではないと思う。ここで私が体験している生活スタイルは、生まれてから今まで経験しているものとはまったく違う。早起きが嫌いな私でも、朝陽が昇る前の空気が心地よく感じるようになっている。初めて体験する田舎暮らしも今では当たり前のものになってきた。そんなファームでの生活が一体どんなものなのか、少し紹介しようと思う。

●1日の流れ

起床は早朝というかまだ日が昇らない時間。車を持っていれば自分で作業場へ向かう。通常は住んでいる家の前やキャラバンパークの前で、オーナーに車でピックアップ(有料)してもらう。ここで寝坊などして遅刻をしたら置いてかれるし、オーナーの信用もなくなる。作業への持ち物は、ビニール手袋、長ぐつ、日焼け止めなど。汚れてもいい作業着がお勧め。以前ネギ抜きの作業で白いワイシャツとお洒落なブーツを履いている人がいたが、ドロだらけになっていた。屋外の作業であれば、帽子、日焼け止め、タオル、水は必須。作業時間は時期や収穫量など、その時の状況によってバラバラ。3時間の日もあれば10時間の日もある。大抵は昼過ぎに終わり、作業の証明書を受け取って帰る。その後は自由時間。

●娯楽

インターネット状況は無線LANが飛んでいないのでモデムを購入しなければ使えない。インターネットを使わない場合でもパソコンかDVDプレイヤーを持っていくことをお勧めする(田舎すぎてすることがないため)。図書館が近くにある場合は、無料でパソコンが使えるし、DVDを借りることができる。市営プールは$2くらいで入場できるので暑い日はお勧め。

●食材

出荷できない野菜を持って帰れるが毎日だと飽きてしまうので、他の作業をしている人と野菜や果物を物々交換する。キャラバンパークでは100人近くの人たちがいろんなファームで働いているため、ゲットできる野菜や果物もそれぞれ。ジャガイモ、レタス、トマト、トウモロコシ、マンゴー、バナナなど種類が豊富なので野菜や果物を買うなんてとんでもない話。その他はスーパーで調達するが、日本の食材はないので、腐らない調味料は持って行った方が良い。住む家の場所によっては、歩いてスーパーに行けないが、ファームのオーナーが車で連れていってくれることもある。

●住居(シェアハウス、キャラバンパーク)

シェアハウスではほぼ2人部屋でキッチン、バス、トイレは共同。キャラバンパークはバス、トイレ、洗濯機(有料)は公衆だが、キッチン(冷蔵庫)はキャンピングカーに付いている。どちらもエアコンはなし。個人的にはキャンピングカーの方が楽しい。しかし、虫の出没率はキャンピングカーがダントツ。一番楽しいのは夕食時のキャラバンパーク。住民は多国籍なのでいろんな国の人と出会えるし、仲良くなればそれぞれの国の料理を食べることができる。一番印象的だったのは、モリシャス(アフリカの近く)人が作ってくれたカレーで今まで食べたことがないほどの辛さのものを右手ですくって食べたこと。手がヒリヒリして痛かった…。夜は比較的早く、みんな9時頃には寝てしまう。

これが基本的なファームの生活。小さい頃田舎暮らしをしていたおばあちゃんと過ごす時間が多く、冬はみかん畑で収穫の手伝いをしたり、庭の畑で育てていた野菜に水をやったりしていた。そのおかげでここでの生活にもすんなり馴染むことができたのだ。引越しが好きな私は、今までいろんなところで生活をしてきたが、このストレスのない生活スタイルが一番合っているのかもしれない。

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その22 [世の中捨てたもんじゃない?!] https://www.jams.tv/education/33794 Thu, 03 Feb 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/33794 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

これが噂の大魔人…

どうしたものか…。あまりの衝撃だったのかA子は一人でシェアハウスを出て行ってしまった。私はというと…、いま出て行ったら本当にすべての努力が水の泡になるので大魔人の怒りが静まるまでシェアハウスで待つことにした。思い返してみると、確かに私たちはわがままだった。一度スタンソープに行かせてもらったにも関わらず、ガトンへ戻してもらったのだ。そして、稼げる定番作業まで与えてもらったのに3ヵ月経った途端、もうここには用がないから辞めると言っているのだ。私たちにも充分に非がある。これは自業自得なのだろうか…。それにしても、夢の計画がここで終わってしまうのかと思うと本当に泣けてくるほど悲しかった。食べることが大好きな私も食事がのどを通らない。シェアハウスのみんなが寝静まっても一向に眠れなかった。クビになってから2日ほどずっと家にこもっていると、Rさんが心配して電話をしてきてくれた。ひと通り事情を話す私に『大魔人にまた仕事できるように交渉してあげるよ』と言ってくれた。こんな私たちのために時間を費やしてくれると思うと本当にありがたかった。しかし、いくらRさんでも大魔人の怒りを静めるのは至難の業なはず…。これ以上迷惑は掛けられない。もし交渉がうまくいかなかったとしても、おとなしくここを去ろう。1年しか滞在できないのならそれが私の運命だっ

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31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

これが噂の大魔人…

どうしたものか…。あまりの衝撃だったのかA子は一人でシェアハウスを出て行ってしまった。私はというと…、いま出て行ったら本当にすべての努力が水の泡になるので大魔人の怒りが静まるまでシェアハウスで待つことにした。思い返してみると、確かに私たちはわがままだった。一度スタンソープに行かせてもらったにも関わらず、ガトンへ戻してもらったのだ。そして、稼げる定番作業まで与えてもらったのに3ヵ月経った途端、もうここには用がないから辞めると言っているのだ。私たちにも充分に非がある。これは自業自得なのだろうか…。それにしても、夢の計画がここで終わってしまうのかと思うと本当に泣けてくるほど悲しかった。食べることが大好きな私も食事がのどを通らない。シェアハウスのみんなが寝静まっても一向に眠れなかった。クビになってから2日ほどずっと家にこもっていると、Rさんが心配して電話をしてきてくれた。ひと通り事情を話す私に『大魔人にまた仕事できるように交渉してあげるよ』と言ってくれた。こんな私たちのために時間を費やしてくれると思うと本当にありがたかった。しかし、いくらRさんでも大魔人の怒りを静めるのは至難の業なはず…。これ以上迷惑は掛けられない。もし交渉がうまくいかなかったとしても、おとなしくここを去ろう。1年しか滞在できないのならそれが私の運命だったのだろう。まだ帰る場所があるのだからそれだけでも幸せだと思わなければ! 結果はどうであれ、流れに身を任せようと心に決めた。それから数時間後Rさんがわざわざ部屋まで来てくれた。なんだか渋い顔をしている。やはりダメだったのだろうか…。今にも泣きそうな私に対し『ごめん、ダメだった』の一言。やっぱり…。この2ヵ月間何のためにがんばってきたのだろうか。涙が出そうだったが、Rさんの前で泣くわけにはいかない。これ以上心配をかけないよう何か言わなきゃ! そう思えば思うほど言葉が見つからなかった。うつむいたまま顔を上げない私に、Rさんはニンマリと笑って言った。  『ウソだよ~ん! もう大丈夫、明日からまたブロッコリーニの定番ができるようになったよ』 え…、今なんて? 幻聴だろうかと渋い顔をしている私などスルーして『彼は私には逆らえないからね』と言って笑った。話しを聞くとこういうことだった。彼はワーホリなどのワーカーを雇いRさんのように畑を持っている地主のところへワーカーを派遣している。大魔人にとってRさんは大切なお客様。Rさんなしでは大魔人の仕事は成り立たないのだ。その大切なお客様が私を指名すれば、大魔人は何も言えなくなるということだった。彼の愛人たちとも仲が良いRさんは、彼がA子にゾッコンなことは愛人たちには内緒にしてあげるから証明書を発行してあげてくれと頼んでくれたらしい。なんと、救世主がこんなところに! しかし、私を指名なんてしたら今度はRさんに負担をかけてしまうのではないだろうか。心配した私にRさんはケロッとした口調で『何言ってんの? 私は本当にY子が必要だからそれを言っただけだよ』と言った。…。涙が出そうなのを堪えて『…ありがとうございます』というのが精一杯だった。作業の遅い私が指名などされるはずない。しかも、ここに来て間もないワーカーを指名するなんてありえない話だった。彼女の気を遣わせない優しさが私の心をギュッと絞めつけた。 その後、A子は無事に証明書を受け取り、一足先にメルボルンへ向かった。私は、大魔人とは少し気まずくなったが、元通りブロッコリーニの定番に戻ることができた。これもすべてRさんのおかげだ。この人からは教えられることばかり。ここにいる間はRさんの下でしっかり働き、少しでも恩返しをしようと心に誓った。Rさん本当にありがとうございました。心の中でもう一度つぶやいた。

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その21 [セカンドゲット危うし] https://www.jams.tv/education/33701 Mon, 31 Jan 2011 00:00:00 +0000 /uncategorized/33701 Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

 

2年目はメルボルンでゆっくり過ごしたい…

ファーム生活も残すところあと1ヵ月ほど。ブロッコリーニの定番で落ち着いた私は、Rさんとも上手くやっていた。作業も楽しくなり、新しく来る人たちへ指導することも多くなっていた。このまま目立たないように大人しく誠実な態度で過ごしてやっていればきっと大丈夫。2年目もオーストラリアを満喫することができる。その頃私は、ファームが終わったらA子といっしょに車でメルボルンに行こうと計画していた。メルボルンは、昔イギリス領だった頃の面影を色濃く残し、郊外へ行くと建物は繊細な技術を用いた中世的なデザインのものが多いらしい。石畳やしゃれたアーケードなど、街並みも優雅な雰囲気らしい。シティには路面電車が走り、まるでヨーロッパへワープしたように感じると聞いていた。しかも大好きなワインのファームがたくさんあるので、しばらくそこにいればワインが樽で飲み放題できると信じていた。2年目はそんなところでゆっくり過ごそうと2人で計画していたのだ。しかしひとつ問題が…。私より1ヵ月ほど早くガトンに来ていたA子のファーム生活はすでに3ヵ月経とうとしていた。ワーホリは時間制限があるので、いかに有効に時間を過ごせるかが大切なポイント。少しでも無駄な時間は使っていられないということだ。A子はもう3ヵ月間働いたので、ガトンにいる必要はない。私がセカンドを取るまで待っていっしょに行く

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Y子

31歳。ものごとをあんまり深く考えていないのでストレスは少ない。自分の身に危険が迫ると恐怖のあまり脳がヒートしてしまい、笑い出してしまうクセがある。以前バンジージャンプをした時、飛び降りた瞬間からケラケラ笑っていた。お化け屋敷でも笑い出すので、お化けにビックリされてしまう。19歳でメイクアップアーティストに憧れて専門門学校へ。その後ファッションショーなどの現場で働くが、給料が安すぎて、家の電気、ガス、水道を止められる。それでもコンビニのトイレや銭湯に通いながら粘り強く続けるが、毎日ツナ缶だけで生活していたため、体重が40kgを切ってしまい最後は栄養失調で倒れてしまうという経験を持つ。彼氏ができると何よりも優先してしまうため友達はほぼいないという残念なタイプ。現在セカンドWHでシドニー滞在中。

2年目はメルボルンでゆっくり過ごしたい…

ファーム生活も残すところあと1ヵ月ほど。ブロッコリーニの定番で落ち着いた私は、Rさんとも上手くやっていた。作業も楽しくなり、新しく来る人たちへ指導することも多くなっていた。このまま目立たないように大人しく誠実な態度で過ごしてやっていればきっと大丈夫。2年目もオーストラリアを満喫することができる。その頃私は、ファームが終わったらA子といっしょに車でメルボルンに行こうと計画していた。メルボルンは、昔イギリス領だった頃の面影を色濃く残し、郊外へ行くと建物は繊細な技術を用いた中世的なデザインのものが多いらしい。石畳やしゃれたアーケードなど、街並みも優雅な雰囲気らしい。シティには路面電車が走り、まるでヨーロッパへワープしたように感じると聞いていた。しかも大好きなワインのファームがたくさんあるので、しばらくそこにいればワインが樽で飲み放題できると信じていた。2年目はそんなところでゆっくり過ごそうと2人で計画していたのだ。しかしひとつ問題が…。私より1ヵ月ほど早くガトンに来ていたA子のファーム生活はすでに3ヵ月経とうとしていた。ワーホリは時間制限があるので、いかに有効に時間を過ごせるかが大切なポイント。少しでも無駄な時間は使っていられないということだ。A子はもう3ヵ月間働いたので、ガトンにいる必要はない。私がセカンドを取るまで待っていっしょに行くと言ってくれたが、ここにいる必要もないし、大魔人がいつA子を襲ってくるかもわからない。そんな危険もあったので、まずはA子に先にメルボルンに行ってもらうことにした。さっそく私たちはA子の3ヵ月の就労証明書をもらいに大魔人の家に向かった。彼は愛人とけんかしてご機嫌ななめらしく、いつもに増して不機嫌そうだ。目がギョロッとしているので、目を合わせるとまるで催眠術にかかったように動けなくなってしまうほどの威圧感がある。そんな空気を察知したので出直そうかとA子に耳打ちしたが、私より天然な彼女は『なんで? 』という感じ。A子は、3ヵ月の就労を終えたのでビザ取得のための証明がほしいということを告げた。そのあとは想像したとおりだった。大魔人の一人劇が始まってしまった。最初のうちはA子に対しここに残ってくれと泣きそうな顔で懇願していたのだが、A子が頑なに拒否し続けていると今度は顔を真っ赤にして怒りだした。 『こんなに言っても言うことを聞かないのなら、おまえには就労証明は渡さない』 こうなったら止まらない。『今すぐここを出て行け! もう顔も見たくない』と言い出したのだ。さらになぜか隣にいた私にも『お前も今日中に出て行け』と言われてしまった。いったい何なんだ、このオッサンは(怒)。A子のことを本気で好きになってしまい感情的になったのかもしれないが、こっちもセカンドをもらうために今までせっせと働いてきたのだ。これでビザが貰えないのならここに来た意味がまったくないではないか。2人とも大魔人に反論したいのだが、彼の怒りは半端ではなく、まわりにいたワーカーたちも驚いている。今は何を言っても無理そうだと思い、私たちは家を出た。A子は彼の迫力に泣き出してしまい、私も慰めることができないくらい動転していた。もうメルボルンでのんびり過ごしたいどころではない。これから他のファームで3ヵ月間仕事をしても、タイミング的にもうセカンドをゲットできない。強制送還なのだろうか…。シェアハウスに戻った私たちは怒りの矛先も見つけられないまま荷づくりを始めたのだった。

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