ワーホリお仕事図鑑 – JAMS.TV https://www.jams.tv オーストラリア生活情報ウェブサイト Wed, 13 Nov 2019 10:07:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.7.2 日本の学校体育を変える、教育界のインフルエンサー/古田映布 https://www.jams.tv/japanese-community/161575 Wed, 13 Nov 2019 00:47:41 +0000 https://www.jams.tv/?p=161575 英語を第二言語とする難民や移民の子どもたちをスポーツの力でサポートする団体「Football United」と「Creating Chances」、さらに「NSW州大学(UNSW)」のユース・リサーチャーとして、合わせて […]

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英語を第二言語とする難民や移民の子どもたちをスポーツの力でサポートする団体「Football United」と「Creating Chances」、さらに「NSW州大学(UNSW)」のユース・リサーチャーとして、合わせて3つの団体でインターンシップをする古田映布(ふるたゆう)さん。

姉兄に鍛えられた持ち前の親しみやすさで、子どもの頃からの夢は教師になること。日本の教育に違和感を感じていた時に彼女が見つけたのは、海外の学校体育だった。

それから大学院で日本と海外の体育について学び、日本の学校体育では外国人児童が馴染めていないことに疑問を持った映布さん。

その疑問を解消したいと、多様性を受け入れる学校体育を学ぶために向かったイギリスでは、1日で帰国というハプニングに見舞われ、偶然オーストラリアに来ることに。現在は日々難民・移民の子どもたちと接しながら、スポーツと教育の可能性を探る研究に励んでいる。

さらに日本では『青少年育成団体 PEAB.』という団体を運営し、研究した体育論を実践して今後も活躍していく予定。常に全力だと、凛とした姿勢で語る映布さんの日本の学校体育に対する熱い思いを伺った。

自己紹介をお願いします

古田映布(ふるたゆう)、出身は茨城で、大阪と北海道のハーフです(笑)日本の大学院で学校体育について研究をしながら、オーストラリアでは英語を第二言語とする難民や移民の子どもたちをスポーツ面からサポートする団体でインターンシップをしています。

小学生の頃から教師になりたくて、それと同時に「海外に出て思いっきりワールドワイドな人間になる!」とも思っていました。その思いが強くて、高校3年の春までは高校を卒業したらすぐに海外に出るつもりでしたが、今となっては大学進学してよかったです。そこから先生になるっていうのが職業でのゴールで、海外に出るっていうのは人生でのゴールになりました。

日本の学校でも、さまざまなマイノリティ(言語・文化の違う外国人児童、障害のある児童、LGBTQなど)の子たちがいて当たり前。
そんなダイバーシティ共生の状態をうまく活用できる授業作りのために、日々研究に勤しんでいます。最終的には「先生方のための教員研修」を先生方の負担を減らすために実施するのが、私の使命だと思っています。

教師を目指したきっかけはありますか?

姉がどちらかというと非行に走っているタイプで、兄がいわゆるいじめられっ子の引きこもり。二人とも性格が全く真逆で、毎日ケンカが絶えなかったんです。でもそのギャルっぽい姉とも、冴えない兄ともうまく話せたのは家族の中で私だけで、おかげで「自分は結構いろんな人と話せるな〜」って小学生で気づきました(笑)

その頃から漠然と学校の先生になりたいと思いはじめたんです。いろんな子と接することができるし、学校が嫌いな姉にもうちょっと学校を好きになって欲しい、兄みたいな子も活躍の場を増やして欲しいと思ってたんです。

英語と体育が好きだったのでどっちか迷いましたが、私は運動が得意な子と苦手な子で体育の好き嫌いがハッキリ分かれてしまっていたのがとても残念で、「みんなが協力して楽しめる体育を作りたい」と体育教師を目指して大学に進学しました。

それからどういう経緯で「海外の体育」に興味を持ったんですか?

大学に入学したら、教員採用試験のためにしかならない勉強にがっかりして、このまま教師になるべきか悩んだ時期があったんです。

そんな時、ある授業で発展途上国の体育が紹介されているのを見て、日本の体育は質が高いんだと分かったんです。それから「日本の体育を発展途上国で生かしたい!」と思うようになり、先ずは海外の体育を知るこから始めようと、「スポーツ 体育 国際」で検索してみたんです。そして、その時に見つけた大学院に進むことを決意しました。

初めは「日本の体育を海外に活かしたい」と思ったのですが、大学院で海外と日本の体育の良いところと悪いところを学ぶ中で、日本の教育は外国人児童に対応できてないことに気が付いたんです。

言語が関わってくる授業では難しいかもしれないけど、体育ならチームワークや体を動かすことで、外国人児童も馴染めるようなダイバーシティ共生の授業ができるんじゃないかなと思い、最終的にそれが自分の研究テーマになりました。

なぜオーストラリアでワーホリしようと思ったんですか?

自分の研究のためにも多文化共生の学校体育を学びたくて、最初はイギリスにある団体でインターンをしようと準備していたんです。でも、いざイギリスに行ったら、「ビザが違う!」って言われて次の日に帰されたんですよ(笑)

それでどこか他にないかってもう必死に探しました。イギリスで行く予定だった団体の人やアメリカの知り合いの先生に「どこかいい団体ないですか?」って聞いて。どうにか知り合いの知り合いにオーストラリアの団体を教えていただいて、完全に受け入れていただくのに3ヶ月かかりました。

だから最初はオーストラリアに来るとは思ってなかったんです(笑)

オーストラリアではどのような活動をされているのか教えて下さい

今は「NSW州大学(UNSW)」でユース・リサーチャー(研究生)として、「Football United」と「Creating Chances」という2つの団体でもインターンしています。どの団体も、難民・移民の子たちのトラウマ改善やライフスキルの向上、社会参加の促進のためのプログラムをスポーツを通して支援し、その成果を研究しています。

オーストラリアはベトナムやシリア、イラクからの難民へビザを発行していて、年間約1万8000人もの難民を受け入れているんです。*1

「Football United」ではそんな難民の子どもたちのトラウマ改善やリーダーシップスキルの構築など、社会に参加する手助けをして、最終的には地元のサッカークラブに子どもたちを繋いでいくサポートをしています。その団体が「Rugby Youth Foundation」という団体と連携して始めたのが「Creating Chances」で、そこではサッカーだけじゃなくて、他にもいろいろなスポーツを通して社会で役立つスキルを教えています。

この2つの団体ではほぼ同時並行で活動しており、そのプログラムの効果があるのかどうかを調べるのが「NSW州大学(UNSW)」のユース・リサーチャーとしてのインターンなんです。そこでは、どういった場面で効果があるのか、逆にどんな場面では効果がないのかなどを明らかにして、プログラムのさらなる改善やスポンサーへの情報提供など、今後の活動に活かす研究をしています。

*1 「How many refugees does Australia settle each year?」Settlement services international

インターンシップの中で印象に残るエピソードはありますか?

活動の一環で行ったキャンプで、キャンプファイヤーを囲みながら「今、世界に必要で自分にも必要なものは何か」っていう話をしたんです。その時に、難民や移民の子の中には「今を生きることが世界的にも大事」って言ってる子がいて、「わぁ〜これは日本ではでてこないアイディアかもなぁ…」と思って。

私は日本人だから「心に余裕を持つことが大事」ということを話しました。日本人って全体的に常にせかせかしてるし、目の前のことでいっぱいいっぱいになっちゃう人も多い。心に余裕を持つことで相手のことをリスペクトできるし、相手の話も聞けるし、全然違う価値観を持った人でも理解出来ると思うんです。

これはオーストラリアに来たからこそ気づけたことかなと。その時はみんな納得してくれたけど、難しいトピックですよね。

 難民の子ども達と接する時に、気をつけていることはありますか?

自分はとにかくみんな対等に扱いますね。それに難民の子は私よりも強いパッションを持っていると思うし、やっぱり経験してきたことが違うんだなって、リスペクトしています。

でも怒りを制御できないところが彼らの苦手なところなので、スポーツでフェアプレーを意識させて、落ちつくように声をかけたりもしています。

そんな風に気を使いながらも私は全力で当たります。移動する時のダッシュも、はじめは一番後ろの子についてたのに、もう全力で一番前の子を抜くみたいなことしちゃう(笑)

子どもたちがダラダラやっていても、私は真剣に。英語でうまく伝えられないからこそ態度で示すのが大事だなと意識しています。私、日本で教育実習でやったときのドッジボールも「先生、手加減しないからね」って全力でやってたし(笑)

インターンの活動の中で日本の体育に活かせることはありますか?

「Creating Chances」のプログラムの中で私がいちばん活動している「クリエイティング・コーチ」と「フューチャー・パスウェイ」というパートでは、中・高校生くらいまでの難民の子どもたちを、社会で生きていける人材に育成して、さらにその子たちの将来の就職支援もします。つまり、スポーツが社会参加に直結しているんです。そこがすごいなと思って。日本ではまだ聞いたことがないので、絶対に持ち帰りたい内容です。

社会で生きていける人材って、どうやって育てるのか分らなかったのですが、難民や移民の高校生が同じ難民や移民である小学生の子たちに対してスポーツを教えるという方法で、社会で生きていく上で必要なスキルを教えています。もちろん彼らは英語が第二言語だからお互いに英語のパブリックスピーキングの練習にもなるし、「人に教える」というコーチングスキルの向上や、「自分たちが引っ張って教える」というリーダーシップの向上にもつながると思います。

そしてその過程で彼らの履歴書を作って、子ども自身がどういうスキルを持っていて、何ができるのかということを教えてあげる。そうやって子どもたちの自信に繋げているんですよね。

あと「NSW州大学(UNSW)」ではインターンとしての仕事の他に、自分独自の研究もさせてもらっています。団体自体は子どもたちに焦点を当てていますが、自分は「指導者」に焦点を当てて研究しています。

それは今後、日本にもこうした学校体育の機会を増やしていくために、指導者がどのような経験を持っていて、どのようなことを考えながら指導しているのか、その部分を明らかにしたいから。この研究によって、自分が日本で運営している団体の質を高めて、さらに将来の教員研修や教員養成に活かしていけたらベストだなと考えています。

日本ではその学びを活かせる『青少年育成団体 PEAB.』の代表を務められているそうですね?

はい。大学院で研究している学校体育や、「インクルーシブ体育」という子どもたちの多様性を受け入れる体育科教育を自分で実践する場所として、オーストラリアに来る前に立ち上げました。基本的には小・中学生くらいの子たちに「協力する」ことでゴールにつながる、ミッションゲーム形式の体育教室を開いています。

身体を動かすスポーツなら、楽しみながら、リーダーシップとか、リスペクト、お互いに意見を出し合うことや、人の話をきちんと聞くこと、というような、社会で役立つコミュニケーションスキルを身につけられる。そういうプログラムを心がけていて、オーストラリアのインターンで学んでいることもまさにここに繋がってきます。

団体は4人で運営しているんですけど、今は学童クラブと提携して活動させてもらったり、ありがたいことに今度サッカークラブ2つと共同で国際交流イベントにも呼んでいただいています。もっとこの団体の活動を広げていきたいと頑張っています!

最後に、今後の目標を教えてください。 

私は、オーストラリアには自分にとって新しい教育の方法論を学びに来ているので、日本での研究を進める下準備だと考えています。

日本に帰ってからはこの経験を活かして、「新しい学校体育」を広められたらいいなと。そのためには、博士課程を目指してさらに研究を突き詰め、その知識や経験を、教員養成課程の学生たちや既に学校の先生になってる方々に新しい方法論や価値観、世界観を伝えることで還元したいと思っています。

日本にはない新しい教育のあり方を伝えて、現場の先生方と一緒に学校教育の質を高めていきたいです!そして世界に貢献したいとも思っています。

日本の教育の質を高めるのが前提で、プラスアルファで海外にも目を向ける。そこは私の日本人としてのアイデンティティかなと思います。

 

取材/文 返町萌

古田映布(ふるたゆう)

UNSW Youth Researcherとして
Football United, Creating Chances にてインターン中。
青少年育成団体 「PEAB.」代表

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日から豪へ!フィールドを変え走り続けるサッカー選手/和田倫季 https://www.jams.tv/entertainment/141348 Fri, 24 May 2019 00:00:48 +0000 https://www.jams.tv/?p=141348 NSW州のウーロンゴンに拠点をおく「コリマル・レンジャーズ(Corrimal Rangers FC)」に所属する、和田倫季(わだともき)選手。 元Jリーガーの父のもとに生まれ、サッカー・スクールに通う兄を見て育った彼にと […]

投稿 日から豪へ!フィールドを変え走り続けるサッカー選手/和田倫季JAMS.TV に最初に表示されました。

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NSW州のウーロンゴンに拠点をおく「コリマル・レンジャーズ(Corrimal Rangers FC)」に所属する、和田倫季(わだともき)選手。

元Jリーガーの父のもとに生まれ、サッカー・スクールに通う兄を見て育った彼にとって、サッカーの道へと進むのはごく自然なことだった。Jリーグ「ヴィッセル神戸」を経て、韓国、オーストラリアのチームへと移籍し、20年以上の間サッカーを続けてきた。

サッカー選手の平均引退年齢は20代半ば。生存競争も激しい世界だ。友人たちが第二のキャリアへと移る中、フィールドを変え走り続けてこられたのは「ただ純粋にサッカーが楽しいから」。

屈託のない笑顔でそう話す彼に、各国のチームの特徴やサッカーの面白さ、今後の目標について伺った。

自己紹介をお願いします

和田倫季、24歳、兵庫県出身です。Jリーグ「ヴィッセル神戸」から韓国のチームへ移籍し、現在はオーストラリアの「コリマル・レンジャーズ」に所属しています。ポジションはトップ下、ミッド・フィルダーです。

実はサッカーを始めたきっかけは覚えていないんですよね。気付いた時にはサッカーをしていたって言った方が近いかもしれないです。父が元Jリーガーで引退後も指導者をしていたのと、兄2人がサッカー・スクールに通っていたので、自分もサッカーをするのが自然な流れで。

1、2歳のころから兄たちがサッカーするのを見ていて、気付いたら電車で兄と一緒にサッカー・スクールに通うようになっていました。父にもサッカーをやるように言われたことはないんですよ。「ともきがやりたいならやればええやん」って言うだけで(笑)。

他のスポーツをしたいと思ったことはなかったですね。とにかく兄2人が好きなので自分も一緒にサッカーをやりたかったんです(笑)。2人に対してライバル心もなかったし、1番近くで見ている分、2人がどんなプレーをするのか分かるので、同じチームでやりたいと思っていました。

Jリーグへ進むまでの経緯を教えてください

小学生の時は「神戸FC」に通っていて、中学生になる時に試験を受けて「ヴィッセル神戸ジュニアユース」へ。その後高校3年間は「ヴィッセル神戸ユース」でプレイしていました。

ユースに入るための試験は、ヴィッセル神戸だけでなく別のチームからも集まってくるので、何百人って試験を受けるんですよ。そこで入れない人も多いですね。

高校3年生になり、2つ上の次男が通っていた大学を僕も受験したんですが、「ヴィッセル神戸」から契約のオファーがもらえたので、大学には行かず、サッカー一本に決めました。

母親には、大学進学してもサッカーをするチャンスはあるから、大学4年間でいろいろ経験を積んだ方がいいと言われたんですが、とにかく大好きなサッカーを続けたかったので。

日本から韓国のチームへ移籍したきっかけは?

ヴィッセル神戸で2年半プレーしたあと、他のチームを探していたら、知り合いが韓国チームの監督に僕のことを紹介してくれて。監督が日本までプレーを見に来てくれた時に、チームに誘ってもらいました。

韓国では、練習に参加させてもらったチームに誘われたり、トライアウトを受けて契約してもらえたりで、3チームに所属して合計2年半プレーしました。最後に所属したチームには兄が所属していたので、兄に紹介してもらって。

韓国のサッカーリーグはK1、K2とあるのですが、リーグ全体で見ても日本人選手は3、4人しかいないんですよ。日本のチームに来る韓国人選手は多いですが、逆に韓国のチームに行く日本人選手は珍しいです。

韓国と日本、感じた違いは?

日本人の選手は、テクニックと賢さがあります。頭を使ってサッカーをしている。

僕が所属していた韓国のチームは上のリーグにいたので、技術も高かったしプレーも賢かったですけど、日本と韓国で比べると韓国はどちらかというとパワーやスピードが優れています。瞬発力だったり、20~30mのダッシュが早い。

どちらかが劣っているというわけではなく、どっちにも良さがありますね。韓国のチームはとにかく負けず嫌いなので、他の国には負けたくないという気持ちが強いです。これもいいことですよね。

あとは、サッカーには賢いだけでなく、ずる賢さも必要だと思います。日本はずる賢さを覚えた方がいいとも言われているし。それはどちらの国にとっても難しいところなのかなと思います。

現在所属するオーストラリアのコリマル・レンジャーズへ移籍したきっかけは?

韓国のチームをやめてからは日本のチームでもう一度プレーしたあと、今所属しているオーストラリアのコリマル・レンジャーズに移りました。

スポーツはサッカーに限らず実力勝負じゃないですか。試合へ出るにも、契約してもらうにも、自分の実力を見せて認めてもらう必要がある。移籍するためには、チームの練習に参加してプレーを見てもらったり、紹介してもらったりするので結構時間がかかって大変な時もあります。

コリマル・レンジャーズの場合は、小学校からの親友が監督に僕のことを紹介してくれて、サッカーしている動画を監督に送ったらチームに来ないかと誘ってもらえたので、ワーホリビザを取って1月に来ました。運が良かったです。

今いるリーグの中だけでも日本人選手は10人以上いるし、オーストラリアに来ている日本人選手は多いと思います。僕を監督に紹介してくれた親友は、実は今一つ上のリーグで頑張っていて、いい目標にもなっているんですよ。

コリマル・レンジャーズについて教えてください

すごく団結していて、メンバーもみんないい人です。ご飯もみんなでよく行きますし、家族みたいな感じですね。日本と韓国では、試合や練習に行く時に車を自分で運転したり、他の選手の車に乗せてもらったりしていましたが、今のチームは監督が送り迎えしてくれるんですよ。

今までそんなことなかったのでびっくりしました。選手との距離がすごく近いし、本当に優しくてめちゃくちゃいい人です。オーストラリアでは、ずっと試合に出ているので一番充実していますね。

今はリーグ優勝を目指しています。リーグ戦のあと、上位のチームで争うグランドファイナルでの優勝が1番の目標ですね。リーグ戦も大事なんですけど、グランドファイナルがメインだし注目度も高いので。

言語の異なるチームでは、どのようにコミュニケーションをとっていますか?

韓国語は全く分からないので、日本語が話せる韓国人選手に通訳してもらっていました。でも、身振り手振りすればなんとかなるし、サッカーに言語はあまり関係ないかもしれないです。

サッカーしていれば、ある程度サッカー用語は分かるようになるし、言語が違ってもなんとかなるんですよね。英語は……、日常会話はそんなに聞いてないかもしれないですね(笑)。輪の中にいるのが大事なんで。

それに、自分のスキルの高さを見せることができれば自然と自分にボールも集まってくるし、プレーさえ見せられればなんとかなるだろうと思ってます(笑)。

海外のチームでやりづらさはありますか?

僕のポジションは、ゴールにつながるように、他のメンバーの動きに合わせてボールをパスする役目なので、自分で行くというよりは周りを見てプレーします。

ポジション的に自分が周りに合わせる方だから、海外でプレーしていても周りと合わないと感じたことはないです。日本のチームの方が慣れているので、やっぱりその分やりやすさはありますが、僕の場合は外国人選手が相手でもそんなに変わらないですね。

試合中たまに相手の選手にイラッとしたとしても、抑えるようにしています。本当はそういうのも前面にだした方がいいんですけどね。僕がイラッとしている姿を見た仲間が奮起してくれるし。

観客も選手同士がぶつかり合っている姿を見た方が面白いじゃないですか。盛り上がってる感じがするし。逆にださないとやる気ないとも思われてしまうんですよね。その加減は難しいです。

思い出に残っている試合や楽しい瞬間は?

チームに所属して初めて出た試合は、やっぱり特別なものがありますね。試合でのプレー内容の前に、試合に出られたことが嬉しいですし。一番楽しい瞬間と言われると、やっぱり試合でゴールを決めた時ですね。

日本でも海外のチームでも緊張することは全くないです。早くサッカーをやりたいという気持ちが大きいので、緊張というよりは、テンションが上がってアドレナリンが出てる感じですね。韓国に行ってからは特に、海外に対して戸惑いがなくなりました。

僕、サッカーすることがとにかく楽しくて。悔しいことはあっても、いやになったことが一度もないんですよ。サッカーの何が楽しいのかと聞かれると説明が難しいんですけど……とにかく楽しい(笑)。大好きなんですよね。

サッカー選手として、今後の目標は?

韓国のチームに移った時もそうなんですけど、国に対して全然こだわりがなくて。とにかくサッカーができる環境さえあれば、韓国やオーストラリアに限らず国はどこでもいいと思ってます。ただ、その国の一番上のリーグでプレーしていたい。

もういいわって思ったらやめると思うんですけど、ずっと楽しいからやめようってならなくて(笑)!  ずっとサッカーをしてきたし、それ以外のことをしている姿が想像できないというか。父親がサッカーを50年以上続ける姿を見てきたから、サッカーを続けることは自分の中でも当たり前なんです。

サッカー選手の平均引退年齢って、25、26歳なんですよ。日本で一緒にプレーしていた友達の中には、引退している人が何人もいます。若い人たちがどんどん入ってくるし、やっぱり年齢が上がると体力的にも難しいから。でも僕は可能な限りサッカーを続けていきたいですね。

もっと上手くなりたいし、もっと上にいきたい。「あいつがボールを持つと観ていてワクワクする」そんな選手でいたいですね。

 

取材・文:岩瀬まさみ

和田 倫季(わだ ともき)/サッカー選手

コリマル・レンジャーズ(Corrimal Rangers FC)所属。

Instagram:@tomoki3033
Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100006129753378
Corrimal Rangers FC公式Facebook:https://www.facebook.com/corrimal.rangers

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目標は世界一!強豪チアチームで宙を舞う選手・コーチ/笠原園花 https://www.jams.tv/entertainment/139440 Fri, 26 Apr 2019 00:00:05 +0000 https://www.jams.tv/?p=139440 2016年にオリンピック暫定競技に認定され、ここオーストラリアでも競技人口が年々伸び続けている「チアリーディング」。オーストラリア全土で1400チームを超え、競技人口は12000人といわれる。 オーストラリアの大会に出場 […]

投稿 目標は世界一!強豪チアチームで宙を舞う選手・コーチ/笠原園花JAMS.TV に最初に表示されました。

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2016年にオリンピック暫定競技に認定され、ここオーストラリアでも競技人口が年々伸び続けている「チアリーディング」。オーストラリア全土で1400チームを超え、競技人口は12000人といわれる。

オーストラリアの大会に出場すれば優勝、アメリカで開催される世界大会でもメダルを取り続けている「サザンクロス・チアリーディング(Southern Cross Cheerleading)」。そこに、一人の日本人女性がアスリート兼コーチとして所属している。

笠原園花さん。高校生の時にチアを始め、高校、大学と全国大会へ出場。社会人チームでは世界大会で12位の成績を収めた。満を持して飛び込んだオーストラリアでは、世界トップレベルのチームメイトたちを目の前にして初めて挫折を味わったという。

オーストラリアでの挑戦から数カ月後、彼女のもとに届いたのはヘッドコーチからの「世界大会選抜メンバー」への誘いだった。

自己紹介をお願いします。

笠原園花、26歳です。高校生の時にチアを始めて、日本とドバイで活動したのち、現在はメルボルンに拠点をおく「サザンクロス・チアリーディング」に所属しています。

メルボルン初の日本語でチアが学べるクラスを設立し、コーチとしても活動しています。

チアというとダンスのイメージが強いですが、実はチアリーディングでダンスをしているのは、2分半の演技のうち10秒程度。さまざまなアクロバティックな技を繰り広げ、その点数を競うスポーツです。女子と男子、男女混合とあって、私は女子と男女混合のチームに所属しています。

チアを始めたきっかけは?

3歳から中学3年生まで日本舞踊やフォークダンス、バトンなどをしてきたので、高校でもダンス部に入部するつもりでいたのですが、新入生歓迎会でチア部の先輩たちが演技中に投げられ、空を飛んでいるのを間近で見て「私もやりたい!」と思い、チア部に入部しました。

高校では全国大会へ出場し4位にもなれたのですが、勉強もしながら週6~7で部活をこなすのはなかなか大変で、練習の厳しさから疲れたな、辞めたいなと思うこともあって。

大学でもチアを続けてもっとレベルの高い技に挑戦したいけど、厳しい練習はしたくない気持ちもあったので、チアのレベルが高い大学の中から練習がそこまでつらくなさそうな大学を選んで受験しました(笑)。一般受験で青山学院大学に進学が決まり、全国大会では6位に。

もともと資格を取得するために勉強するのが好きだったので、チアでも一つ資格を取っていた方がかたちに残せると思って、大学生の時に指導者の資格も取得しました。

大学卒業後は社会人チームに所属したんですよね。

大学卒業後は、社会人チームに所属してチアを続けると決めていたので、大学進学の時同様チアが続けられる環境の職場を選びました。

面接の時点で「世界大会があるので長期休暇をもらいたい」と伝えて、貿易関係の会社へ就職。営業マーケティングを担当しながら、社会人チーム「フェニックス(PHOENIX)」で日本代表として世界大会に出場しました。

実は世界大会前に会社からドバイへ赴任を依頼されていたのですが、世界大会が控えていたので少し待っていただいて、世界大会後すぐにドバイへと渡りました。ドバイでも仕事をしながらチアを続けたのですが、それが本当に大変で……。

ドバイでは自分で社会人チア部を運営していたとか。

もともとドバイにあった社会人チーム「Cheer dubai」に入ったのですが、弱かったし人数も少なかったので、新たに「UAE allstar Cheerleading 」を設立。まずは強いチームにするために、社会人チームのOGやエミレーツ航空のチア経験者に募集をかけるなど、あらゆる手を使って40人集めました。

それから仕事と練習の合間をぬってイベント運営会社に出演の交渉をしたり、宣伝したりしていたのですが、自分で一からすべて運営していたのでそれがまた大変で。

せっかくイベントへの出演権を取ってきても、出演予定のメンバーが途中で出られなくなって20人の予定が10人まで減ってしまったり……。人数が減るとイベント会社が想定していた演技とは変わってしまうので、それでも出演させてもらえるか再度かけあったり謝りに行ったり。

社会人チームはみんな仕事や家庭と両立しているので、全員が100%チアに時間が使えるわけではないので難しいんですよね。思うようにいかず、毎日泣いてましたね。

ドバイからオーストラリアへ渡った理由は?

仕事をしてチアをして子どもたちに教えて、ドバイでの生活は充実していたけど、ビギナーレベルのチームだったので、世界レベルで戦いたいという葛藤もありました。その気持ちがオーストラリアに進んだきっかけでもあります。

海外の強いチームで挑戦したいと思うようになったのですが、その時はまだ1年間チームに所属して続ける自信がなかったので、まずは3カ月だけでも一回選手として入れてもらえるチームを探しました。3カ月やってみて、もしも好きでないならドバイに帰ればいいし、好きなら残ろうと。

「どうせ海外でやるなら強いチームで」という気持ちがあったので、最初はアメリカに行きたかったんですが、アメリカの強いチームが外国人を3カ月だけ練習させてくれることはそうそうないし、わざわざ外国人を呼ぶ必要もないので全部断られてしまって。

そこで連絡をくれたのが、今所属しているサザンクロス・チアリーディングのヘッドコーチで、「行こう!」と即決でした。

メルボルンの強豪チームで感じたのは初めての挫折だったそうですね。

「チアを本気でやりたいから」と、最初は会社に退職を申し出たのですが、会社の方たちは私がどれだけチアが好きかということを分かってくれていたので、退職ではなく休職にして3カ月メルボルンで頑張ったら戻ってきてと言ってくれました。

そこで仕事を休職しメルボルンへ渡り、サザンクロス・チアリーディングに3カ月間選手として所属させていただいたのですが、そこで感じたのは初めての挫折でした。

日本でチアをしていた時は、チームの中で常に上の方にいたのですが、メルボルンでは、自分ができる技はみんなができて……。チアを始めてからそんな状況になるのが初めてだったので、自分自身には秀でるものはないと感じて自信を失くしました。自分、全然だめじゃんって。

もしかしたら自分にはチアは向いてないのかもしれないとまで思うようになって、その時はそれ以上そこでチアを続ける気持ちにはなれなかったし、仕事で何かひとつ成果をあげたいという気持ちもあったので、ドバイへ戻り仕事に復帰しました。

仕事かチアか、48時間で下した決断は?

ドバイでの仕事に復帰し、今まで以上に仕事に力入れていこうと思っていた矢先。サザンクロス・チアリーディングのヘッドコーチからメールがきたんです。

ちょうど年が明けた頃だったので、Happy New Yearのメッセージとともに「世界大会のメンバーが1人足りないけど、戻ってこない?」と誘われて。戻ってこられるなら練習のために3週間後には来てほしいし、戻りたいかどうかの返事は明日にでもほしいと言われました(笑)。

仕事で成果をだそうと考えていた時の突然の誘いだったので、仕事も頑張りたい、でも世界の強豪から誘われることなんてないし……、メールをもらってから48時間悩み続けました。

家族や知り合いに相談すると好きなことをした方がいいと言われるし、会社には続けてほしいと言われるし、たくさん悩んだんですが「もし今何の縛りもなければ何をしたいか」と考えた時に、チアリーディングがしたいと確信できたのでチームへ戻る覚悟を決めました。

上司に退職の意を伝えて、次の日から仕事の引き継ぎを始めて、3週間後に再びオーストラリアへ渡りました。一度は自信を失ったけど、チームは私を必要としてくれていたことがすごく嬉しかったですね。

日本と世界の強豪、1番の違いはコーチのレベル?

日本にも強いチームはあるのですが、世界の強豪と何が一番違うかというと「コーチのレベル」だと思います。

日本は教育システムがあまり確立していないので、技はできても教え方が分からず手さぐりの部分が多いし、高校・大学で習ってきたことを教え合いながら練習することも多く、どちらかと言うとサークル要素が強いです。

メルボルンでは、最新の情報に基づいてステップを踏みながら論理的に教えてくれるコーチが多い。きちんと教育されているコーチから教わり、世界大会で審査員が認めてくれるような正しい技術を身につけられているという実感もあって、それがやりがいや自信につながっています。

オーストラリアは英語なので、チアの研究が一番進んでいるアメリカからの最新情報が日本に比べてたくさん入ってくるのもあると思います。最近では、韓国の代表がより高い技術を学ぶために来ているし、インターナショナルの選手たちも増えてるんですよ。

世界と戦って見つけた「自分の強み」とは?

チームに戻ってからは、レベルの高いメンバーたちの中で自分にできることは何か、どうすればチームに貢献できるかを自分なりにすごく考えました。

そこで、私がチームの中で唯一みんなよりうまくできるのはジャンプだと気付いて。ジャンプする時に小柄な方が飛びやすいので、小柄な体形は大きなアドバンテージ。その体形を活かしてたくさん練習をしていたら、ジャンプする演技の時にセンターに選ばれたんです。

コーチに認めてもらえた瞬間。本当に嬉しかったです。昨年は、オーストラリアの地区大会と全国大会で優勝し、世界大会では6位を獲得。チーム内で1年で1番成長した選手に贈られるRising star賞もいただくことができました。

オーストラリアでのチアと仕事の両立は?

前職での経験がかわれて、メルボルンの日系企業に特例で正社員雇用してもらうことができました。ビザの制約いっぱい半年間働かせていただいて円満退社しました。

チアの練習と仕事の両立を半年間していたんですが、フルタイムで働きながら週5日の練習をこなすのは、精神的にも体力的にも追いつかない時があって。チアのためにオーストラリアへ来たはずが、満足に練習に臨めない時期もあったので、ワークバランスを考えないといけないと思うようになったんです。

チアは、競技人口が増えていると言ってもまだまだマイナースポーツなので、世界大会に出ていても実はお給料はでません(笑)。世界大会出場にかかる費用も実費なんです……。

チアの練習をしながら働かないといけない。でもチアを最優先にしたい。どうしようかと考えた時に、新たに仕事先を見つけるのではなく、自分でコーチの仕事を作ることにしたんです。

メルボルン初の「日本語で教える体操・チア教室」について教えてください。

チーム内にはすでにたくさんのコーチがいて空きはないと分かっていたので、これを機に自分でクラスを作ってしまおうと、日本語でレッスンが受けられる「日本語で教える体操・チア教室」を設立しました!

日本語で教えるスポーツクラスはあまりないので、チアも選択肢の一つになればいいなと前々から思っていて、オーナーに話したら「自分でどんどん進めなさい」と言ってくれたんです。かたちとしてはチームの下ですが、宣伝も運営も全部自分でしています。

クラスを設立してから1カ月で25人の生徒さんが集まってくれて、お母さまの間で口コミで広がっていき、今では毎日参加の問い合わせがくるようになりました。

Northcoteで1〜2歳児と3〜5歳児の体操クラス、 CaufieldとPointcookでチアリーディングクラスのレッスンをしています。最近はオーストラリアン・カソリック大学のチームでも教えるようになりました。

座右の銘は?

「自分がコントロールできないことにフォーカスしない/自分がコントロールできることにフォーカスする」という言葉が常に頭の中にあります。

例えば、ミスのない演技で終わりたいと思っていても、他の人がミスをしたらそれはミスのある演技になるし、わたしはそれをコントロールできない。でも、自分自身が目の前のことにフォーカスして演技を続ければ、最終的に結果としてきっと良い演技ができると思うのです。

私から誰かにアドバイスはできても人の気持ちを変えることはできないし、考えすぎるとストレスになってしまうから、自分ができることにのみフォーカスする。練習でも指導でも、自分ができる最大限のことをするようにしています。

チームの目標「2020年に世界一」をとること?

サザンクロス・チアリーディングでチアを続けるために、今後はテンポラリーアクティビティビザをナショナルレベルのアスリートとして取得する予定です。

2016、2017年と世界大会でメダルを取ってきたのですが、昨年は6位に下がってしまったので、今年の世界大会はあえて出場せず、2年後に向けチーム全員で練習に集中しています。

2020年の世界大会では、今のチームで世界一を取りたい。メダルばかり考えるのはよくないのですが、その先に世界一があったらいいなと思っています!

将来の夢・コーチとしての夢は?

目の前の目標は、世界大会で1位になることですが、将来的には日本に戻る予定でいます。実は、日本でチアリーディング日本代表の育成チームを作りたいのです。

世界で戦ったあとは、今度は世界大会に選手を送り込む側になりたい。これが、わたし自身の1番の目標です。世界の強豪レベルで競技している日本人の選手はあまりいないので、日本に戻った時にこの経験を次の世代のために活かしたいですね。

実はすでに日本のチームからオファーもいただいているのですが、まずはメルボルンで選手としても指導者としても上達して、日本へ帰った時にはたくさんの人が集まってくれるくらいの評価を得たいと思っています!

ワーホリメーカーへ向けてメッセージ「目的と手段」を大切に!

オーストラリアに来てから感じたのが、ワーホリをすることを目的にオーストラリアへ来て、何もできないまま帰国する人が多いような気がします。

ワーホリに来れば英語が喋れるようになる、何となく上手くいくだろう、という気持ちで来てしまうと挫折して帰ってしまうのかな。それだともったいないし「オーストラリアでやりたいことがあるから、ビザを取る」という方がいいのではないかと思います。

やりたいことがカナダにあるならカナダ、イギリスならイギリスに行けばいいと思うし、まずは「目的」を見つけることが大切。やりたいことがオーストラリアにあるから、そのやりたいことを達成するためにワーホリビザを利用する。

ワーホリビザはあくまでビザなので、目的をはっきりとさせてから、その目的を達成するための一つの手段としてワーホリを考えるのがいいと思います!

 

文・取材:岩瀬まさみ

笠原園花(かさはらそのか)/チアリーダー・コーチ

サザンクロス・チアリーディング(Southern Cross Cheerleading)所属

Instagram:@cheersonoka
サザンクロス・チアリーディング:https://www.southerncrosscheer.com.au
日本語で教えるチア・体操クラス:https://www.southerncrosscheer.com.au/japanese

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得意の分析力でバスケに貢献!アシスタントコーチ/前田健滋朗 https://www.jams.tv/entertainment/139435 Fri, 29 Mar 2019 03:30:30 +0000 https://www.jams.tv/?p=139435 オーストラリアのナショナル・バスケットボール・リーグ(National Basketball League)の強豪、メルボルン・ユナイテッド(Melbourne United)に所属する唯一の日本人で、アシスタントコーチ […]

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オーストラリアのナショナル・バスケットボール・リーグ(National Basketball League)の強豪、メルボルン・ユナイテッド(Melbourne United)に所属する唯一の日本人で、アシスタントコーチを務める前田健滋朗さん。

数字や映像を駆使する高い分析力を買われ、大学院卒業後3年間は、日本のプロバスケチーム「アルバルク東京」のスカウティングコーチとして活躍。チームの日本一に貢献した。彼が次の活躍のステージとして選んだ場所は、オーストラリア・メルボルン。

日本とは異なる環境でも、常に新しいアイディアを吸収し、挑戦することを恐れずにひたすら前に進み続けた。そのバイタリティーが功を奏して、日本人としては異例のアシスタントコーチのポジションを勝ち取る。

メルボルンで独自の道を歩む前田さんに、オーストラリアのバスケットボール事情やコーチングについて語ってもらった。

自己紹介をお願いします。

前田健滋朗と申します。大阪府出身で、東京の大学に進学しました。

大学生の時はバスケットボール選手としてプレーしていましたが、大学3年生のころから卒業後の進路を考えはじめたときに、ずっと現役で活躍していくのに限界を感じていたんですよね……。

バスケのコーチになりたいと考えたときに、コーチングを科学的に勉強できるところで知識を吸収したいと思い、大学院に進学を決めました。

大学院では、スポーツ科学、主に「コーチング」を勉強していました。選手のプレー内容に関する統計数値の研究をしていて、「バスケットの分析」についての修士論文を書きました。

どのようにコーチとしてのキャリアをスタートさせましたか?

大学を卒業してバスケの選手を引退したすぐ後に、幸運なことに高校生のバスケコーチとして働かせてもらいました。

高校生のコーチを担当していた時に、「アルバルク東京」というプロバスケットボールチームの監督が指導者用の講習会を開いていて、参加させてもらったんです。その講習会がきっかけで監督と繋がって、「練習を見学できませんか?」とダメ元でお願いしたんですよね。

監督も僕のお願いを快く引き受けてくれたので、何度も練習を見学しに行きました。見学を続けているうちに向こうから「うちでインターンをしないか?」とお話をいただき、大学院の2年目からはアルバルク東京でインターンとして活動させてもらうようになったんです。

インターンでの活躍が認められて、大学院の卒業と同時にアルバルク東京のスカウティングコーチに就任しました。

アルバルク東京で務めていたスカウティングコーチの役割について教えてください。

スカウティングコーチっていうのは、基本的には対戦相手の分析をする人。対戦相手はどういう特徴があるのかをレポートにまとめて、選手一人ひとりの特徴がわかるビデオを作るというのが主な役割です。

「スタッツ」を使って、客観的に分析することもしています。スタッツは、バスケの試合で誰が点を決めたとか、チームでどれくらいの確率でシュートを決めたなどを示す数字のことです。

「次の試合相手はこういうチームですよ」とか「こうやったら自分たちが勝つ可能性が高くなりますよ」というように、チームに提案することもあります。

大学院時代にスタッツを分析する研究をしていたので、スカウティングコーチは自分の強みを活かせるポジションだったと思います。チームにも仕事ぶりが認められたので、アルバルク東京には4シーズン関わらせてもらいました。

オーストラリアに来ようと思ったきっかけは?

オーストラリアに来ようと思ったきっかけは、二つあります。一つは、2016年のときに「アンダーカテゴリ」と呼ばれる17歳以下の世界選手権で、オーストラリアの女子チームの試合を観て心を掴まれたこと。

チーム全員がすごくいいプレーをしていて、すごく組織的だったんです。「なんでこういうバスケットができるんだろう?」と、興味を持ちました。

その試合を観てからは、現地に行って間近で観てみたいと強く思うようになり、同じ年にオーストラリアに5日間ほどバスケの試合を観に行きました。

もう一つは、コーチとして「海外でいつか勉強したい」という気持ちが昔からずっとあって。他の国に行こうかとも考えたんですけど、オーストラリアのバスケスタイルに魅力を感じた部分が強かったので、学びの場としてオーストラリアを選びました。

メルボルン・ユナイテッドの監督に直談判して、チームに所属したんですね。

日本で知り合いのコーチが、メルボルン・ユナイテッドの監督と知り合いだったので、オーストラリアに行く前に紹介してもらったんです。メルボルンに滞在したときに、練習を見学させてもらったのが始まりです。

アルバルク東京のときと同じように、何度かオーストラリアに来て練習を見学させてもらいました。

今回オーストラリアに来る前に「チームに関わらせてもらいたい」とう想いを直接監督に伝えたんです。幸運なことに、快く受け入れてもらえて。監督が挑戦のチャンスを与えてくれたから、今こうやってアシスタントコーチとして活動できているんです。

選手にはどのようにしてコーチングをしていますか?

僕が言葉で説明しても伝わらないので、個人で練習する場面だったら一緒に動くようにして、選手が理解できるように教え方を工夫しています。たとえば技術練習だったら、自分がディフェンス役になって、練習になるように自然に選手を誘導していますね。

選手の映像を使って、「この場面ではこのような動きのほうがいい」というフィードバックもしますし、「この場面ではどのような選択をすればいいですか?」と選手に聞いて答えてもらうようにもしています。

プロの選手なので、僕の方から「こうしなさい、ああしなさい」という指導はあまりしませんが、一緒に動画を見て振り返る時間を作るようにしています。

日本だとこれまで「こうするんだよ、ああするんだよ」と、指示をするコーチング方法が主だったんですけど、オーストラリアでは「どう思った?」と聞き、選手から意見を引き出すコーチング方法を学べたことが、オーストラリアに来て一番の収穫でしたね。

日本とオーストラリアのバスケの違いはありますか?

コーチングの話でいえば、コーチが選手に意見を聞いて話をするという点は、日本のコーチングスタイルと大きく異なっていました。

もちろん体の大きさや強さとか、技術面でも異なるんですけど、コミュニケーションを積極的にとるところが、一番の大きな違いなのかなと。

試合時の演出やファンの盛り上がり方の話だと、メルボルン・ユナイテッドのチームは、コートで試合をするときに演出で炎をだしたり、チアがいたりと、日本に比べると派手ですね。

コートサイドでお酒を飲みながら応援しているオーストラリアのファンは、応援しているチームがシュートを決めたときには「わぁーー!」と会場に歓声が響き渡るくらい喜んだり、相手チームに対してはブーイングをしたりと、日本のファンよりも熱くなってますね(笑)。

コーチとして働く上で直面した困難と、それをどう乗り越えたのか教えてください。

ほとんど英語が話せないので、語学面では困ってましたね。他は、苦労していることはあまりありません。

オーストラリアに来てから、自分が変わった部分もあるかもしれないです。オージーたちって、陽気だし常に笑ってるじゃないですか。自分がポジティブな状態でいることで、周りの人にもポジティブな影響を与えられるかなと思いますね。オージーたちのポジティブさから学んだことは多かったです。

英語が話せない分、自分の強みでカバーできるようなコーチングや練習方法を取り入れていましたね。自分たちのチームのビデオを作成してそれをコーチたちに共有したり、映像を使って戦術のアイデアとかを共有したりとか。

これらは全て日本でスカウティングコーチとしてやっていたことです。日本での経験がここで活きたと思っています。

アシスタントコーチとして活動する中で印象的だったエピソードはありますか?

一つ印象深い出来事があって、監督が僕にバスケットの戦術面でアイデアがほしいと言ってくれたときに、何個かアイデアを用意したんですね。

その案を監督がすごく気に入って、自分が提案したアイデアがチームの戦術として採用されたんです。そのときに、監督が「このアイデアはケニー(前田さんのニックネーム)が提案してくれたアイデアだから」とみんなに言ってくれて。しかも、僕が案を出した戦術の名前が「ケニー」という自分の名前になって。とても嬉しかったです!

一人ひとりのいいところを見るというのがオーストラリアのスタイル。日本だと日本語が話せないと「この人は役立たず」と言われるところが、オーストラリアだと英語が話せなくても、「こういうアイデアを出してくれた」とか「こういうことができる」という、その人の強みや個性を見てくれます。

コーチが選手をみるときも、選手がコーチをみるときもいい部分を評価してくれる。これから、日本でコーチとして活動するときにオーストラリアで学んだコーチングスタイルを活かしていきたいと思います。

今後の目標を教えてください

メルボルン・ユナイテッドの監督も選手たちも、すごく僕に対してリスペクトしてくれるから、今こうやって活動できてるのかなって思います。2年前から、ずっと練習に通っていた僕をチームに受け入れてくれて、とても感謝しています。

オーストラリアでの経験を活かし、日本のプロチームでコーチをするというのが直近の目標ですね。いつになるかはわからないですけど、何年か日本で経験を積んだ後に、監督やヘッドコーチのポジションに就きたいと思っています。

慎重に将来の進路を判断する人も多いと思いますが、「あの時やっていればよかったのに」という後悔はしたくないので、僕は「これはしたい!」と思った時に、なるべく自分がやりたいことを選択するようにしてるんですよ。これからもそのスタンスは変えないつもりです。

もちろんチャンスがあれば、海外にも出たいなと思っています。オーストラリアに限らず、アメリカでも!

 

取材:坂本 奈々子
文:西村 望美

前田健滋朗さん

Facebook:前田健滋朗

お仕事をがんばるワーキングホリデーメーカーを大募集!

「ワーホリだから、限られた業種でしか働けないだろう」なんとなくそう思っていませんか? どんな仕事にも挑戦できるのが ワーキングホリデービザのいいところ。ワーホリお仕事図鑑では、オーストラリアで働くワーキングホリデーメーカーの方たちを応援しています。

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オーストラリアの風になる!笑顔を創る旅リポライダー/Elis https://www.jams.tv/education/135307 Tue, 12 Feb 2019 23:00:33 +0000 https://www.jams.tv/?p=135307 インタビューの待ち合わせ場所であるマクマホンズ・ポイントに到着した時、すでにそこには鮮やかなトリコロールカラーの相棒「BMW G310R」と共にシドニーハーバーを眺める彼女の姿があった。 ワーキングホリデー、岐阜県出身、 […]

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インタビューの待ち合わせ場所であるマクマホンズ・ポイントに到着した時、すでにそこには鮮やかなトリコロールカラーの相棒「BMW G310R」と共にシドニーハーバーを眺める彼女の姿があった。

ワーキングホリデー、岐阜県出身、25歳、職業旅リポライダー。やりたいことが全然できてない、人生を変えたいと一念発起した時、バケットリストに書き出したのは「バイクに乗りたい」「海外で生活したい」という夢だった。

現在、関西サンテレビのバイクチャンネルにて、オーストラリア特派員として、企画から撮影、レポートまで全て一人でこなしながら、バイクのカスタムショップやアパレルブランドとして知られる「DEUS」に併設されたバイカーズカフェでも働くElisさん。

バイクに乗ることで得たたくさんの幸せを、芸能活動を通してより多くの人に届けられることが嬉しくてたまらないと満面の笑みで語る。持ち前のポジティブさとみなぎるパワーで、オーストラリアから日本に笑顔を届ける彼女の話を伺ってみた。

自己紹介をお願いします

岐阜県出身のElis、25歳です。旅リポライダーとして活動をしています。バイクには昔からずっと乗りたかったんですけど、親が厳しくてバイクにだけは乗るなって言われていて。

でも23歳の時に「今のままじゃ嫌だ、変わりたい!」と思って、やりたいことを全て書き出してみたんです。例えば、留学したい、外国に住みたい、バイクに乗りたい、とかやりたいことがいっぱい出てきて。その時に、やりたいこと全然できてないじゃんって気づいて。変わろうって決めました。自分の人生だから自分で選択しようって。

貯めていたお金で留学に行くことを決めて、留学の日にちも迫っていた時に、あるバイクに一目惚れしてしまって。急遽バイクを買いました。それで、23歳の時に書き出した、バケットリストの中に47都道府県を全制覇するっていうのがあったので、留学する前に東日本制覇ツーリングに行っちゃおう! ってことで旅に出ました。

そこでいろいろな出会いがあって、ラッキーなことに関西のバイク番組「Like a wind(ライクアウインド)」を制作している方と繋がることができて。振り返ってみると、バイクに乗り始めて1年間で、本当に人生が変わったなって思います。

Like a windについて、詳しく教えて下さい

関西のサンテレビが企画しているバイク番組で、毎週日曜の深夜24時15分から放映しています。番組では日本全国のツーリングでいけるオススメスポットを紹介したり、関西で活躍しているタレントの方と一緒にツーリングに行ったりと、バイクに関して本当にいろいろな情報を提供している番組です。

私はオーストラリア特派員として出演しています。今後の放送内容としては、オーストラリアのバイク事情を紹介したり、バイク友達と一緒にツーリングをする企画を予定しています。他には、オーストラリアのライダーに直撃インタビューみたいなものをする予定です。

バイクは日本とオーストラリアで所有されているのですか?

そうですね、日本のバイクは友達に預けています。最初は中型の免許を取得したのですが、オーストラリアに来る前に大型の免許も取りました。

オーストラリアではBMWのG310Rというバイクに乗っています。この子を選んだ理由は、オーストラリアのデコボコな道や砂浜など、どんな道でも走れるようなバイクが良かったからです。カラーもなんとなくオーストラリアっぽくて、すっごく美人じゃないですか?

日本で乗っているバイクはアメリカンなので男の子っぽいんですけど、今のバイクはなんか女の子っぽいですね。

オーストラリアに住んで今どれくらいですか?

2カ月が経ちました。シドニーに来てバイクのことをいろいろ調べていた時に、DEUSというバイクのカスタムショップでありアパレルブランドの存在を知って。直感で、「ここで私は働くんだ!」って思い、レジュメを持ってお店に突撃しました。

最初は募集していないと断られてしまったのですが、その時に働いていた日本人の方と偶然お会いして、1カ月もしないうちにメルボルンに引っ越すからということで、その方の後押しもあってシフトを引き継がせていただきました。

今はLike a windのレポーターとしての仕事の他に、DEUS、そして日本食レストランでも働いています。

日本人女性のライダーってオーストラリアではかなり珍しいですよね?

そうですね。そのお陰でよく声を掛けていただきます。この前は車に乗っている人から「You are so cool」と言ってもらいました。見ず知らずの人からハイタッチを求められることもあります(笑)。

インスタグラムを通じて縁が繋がり、シドニーでバイクレビューをしている会社のオーナーさんとも知り合うことができました。業界ではかなりの大物の方らしいのですが、今度ツーリングに連れて行ってくださることになりました。オーストラリアと言えば「バイク×パイ」らしいので、バイカーが集まるパイの有名店まで行ってきます。

収録をする中での手応えや苦労は?

これまでの活動はインスタグラムがメインだったので、何枚か写真を撮影すると投稿できるレベルの1枚はすぐに出るのですが、今挑戦しているのは動画なのですごく難しいですね。しかもそれがネットではなく、地上波で放送されるので。

初回の自己紹介動画も、何度もなんども撮り直しをしました。数分の動画を収録するだけなのに、合計で3時間もかかっちゃって(笑)。自分で全てプロデュースできるのはすごく大変なことですが、同時にやりがいも感じます。

制作会社の方は自然体でいいって言ってくれています。なので自分らしくやろうとは思っているのですが、やっぱりクオリティーを下げたくはないので、どんな風に撮ろう、どう話そうというのは常に考えます。あとは、通行人の方に結構見られるのですが、恥を捨ててやっています。

恥ずかしいという感情よりも、届けたいという想いの方が強いので。私のコーナーを通して、みんなが笑顔になってくれたら嬉しいですね。

オーストラリアで挑戦してみたいことはありますか?

エアーズロックのあるウルルまでバイクで行って、夕日と一緒に写真を撮りたいと思っています。シドニーの後には、ゴールドコーストやメルボルンにも住んでみたくて、それぞれの都市を拠点にして、そこから行ける範囲でバイク旅をしたいです。もしセカンドビザが取れたら、オーストラリア大陸を横断するのもいいですね。

バイクで日本一周をした人って、次はオーストラリア一周をしたくなるみたいで。私もオーストラリアを一周、または横断しているライダーの方の話をよく聞きます。

でも、やっぱりバイクは車と違って制限が多いので危険が伴うこともあって。車のように水やガソリンを積載することもできないし、やるのであれば、バイクのカスタムも必要になるし。備えや計画がいるから、すぐには無理ですが、将来的に実現できたら嬉しいですね。

なぜ、そんなにバイクが好きなんですか?

私にとってバイクは翼だからです。バイクと一緒なら好きな場所に行けて、いろいろな人と出会える。やりたいことが全部叶うのかなって。

あとは、自然をダイレクトに感じられるところです。海岸沿いを走る時には波の音が聞こえたり、森を走る時はユーカリの香りを感じたり。オーストラリアの広大な自然は心に響くというか、日本とはまた違った良さがあるなと思いますね。

最後に何か伝えたいことはありますか?

私はバイクで人生が本当に変わったと思います。最初はインスタグラムからスタートして写真で発信していったんですけど、自分の行動がエネルギーとして伝わっていたみたいで、本当にたくさんの方からメッセージをもらいました。

驚いたのが、私の写真を見てくれた人からのメッセージ。「鬱だったけど、写真や行動力をみて元気がもらえました」と言っていただけたこともあり、すごく嬉しかったです。自分の活動で人に元気を送りたいっていう気持ちが、昔からずっとたったのですが、それが実現しつつあります。

テレビ出演や今回のインタビューなどを通して、もっとたくさんの人の笑顔を創れたらいいなと思っています。私はバイクに乗ることで夢が叶ったし、人生が変わりました。なので、この素晴らしさを多くの人に伝えて、バイクで人生を豊かにしてもらえると嬉しいですね。

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Yesterday I rode good road. It was very very famous point in Sydney. I really enjoyed and excited 😆 Good meeting:) (@jeff_ware_motojourno ) (@motojournokris ) (@bikereview ) . . . 昨日も撮影してきたよ📷 めーーーっちゃ 有名なライダーポイント in Australia🇦🇺 . @likeawind.tv のオーストラリア特派員の お仕事本格的にスタートです★ . . . 旅リポライダー.com http://tabiripo-rider.com #moto#motorcycle#instamoto#instamotor#bike#bmwg310r#sydney#bmw#new#sydney#australia#likeawind#シドニー#オーストラリア#ワーキングホリデー#バイク女子#ガールズバイカー#バイク好き#バイク#バイクのある風景#バイクのある生活#Australia特派員#旅リポライダー#clubモーターサイクル

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廻る配達員? Uber EatsでB-BOYライフ/佐々木優 https://www.jams.tv/education/134704 Thu, 31 Jan 2019 00:21:35 +0000 https://www.jams.tv/?p=134704 ローカル飲食店の宅配メニューをスマートホンのアプリ上で簡単に注文できるサービス「Uber EATS」。ここオーストラリアでも近年人気が高まる同サービスの配達員として活躍する佐々木優さんが「ワーホリお仕事図鑑」に登場。 U […]

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ローカル飲食店の宅配メニューをスマートホンのアプリ上で簡単に注文できるサービス「Uber EATS」。ここオーストラリアでも近年人気が高まる同サービスの配達員として活躍する佐々木優さんが「ワーホリお仕事図鑑」に登場。

Uber Eatsを始めたきっかけは、日本で働いていた時には実現できなかった仕事とダンスの両立を叶えるため。オン・オフの切り替えをうまくコントロールすることで、ダンスに時間を割くことができただけでなく、自転車を走らせることが身体を鍛えることにもなり、ライフスタイルにとても合っていたと振り返る。

自由度の高い勤務スタイルや一期一会の出会いは特別な出会いや体験のきっかけとなり、目標としていた英語力の向上もワーホリ生活を終える前に達成することができた。ワーホリから帰国後の新しい目標を見つけ、次のステージへと歩みを進める佐々木さんに話を聞いてみた。

自己紹介をお願いします

佐々木優(ささきゆう)です。友達からはササユって呼ばれています。青森県出身の25歳です。オーストラリアでワーホリを始める前は東京に住んでいました。メーカーで電気系のエンジニアの仕事をしていて、カーアンプの設計をしていました。オーストラリアではUber Eatsをしています。仕事が休みの時は学生時代から続けているダンスもやっています。

オーストラリアに来たのは英語を勉強したかったからです。以前働いていた会社のお客さんに、海外メーカーの方が多くて、よく上司が英語で会議をしたりしていたのですが、すごくかっこいいなと思って。後は、小さい頃から外国語を話せる人に憧れがあったので、エンジニアをやめてオーストラリアでワーホリをすることを決めました。

自己紹介でダンスというキーワードが出ましたが、佐々木さんにとってのダンスとは?

ダンスを職業にしたいとは今は全然思っていないですけど、大きな大会で優勝したいという気持ちで練習しています。後は、オーストラリアに来てダンスをしているだけで、友達がたくさんできたり、自然と英語を話す機会も多くなっていって。コンペティションにはコンペティションの楽しみがありますが、ライフスタイルとしてのダンスは人との交流の場所って感じです。

オーストラリアに来た理由の一つに、ダンスをする時間を取りたかったっていうのもあります。日本でフルタイムとして働いていた時は、ダンスをする時間が全然取れなくて。インターネットで調べてみたら、シドニーにはダンサーも多いし、時給が高いからフルタイムで働かなくても生活していけることを知りました。

それなら、ダンスと仕事を両立できるんじゃないかと思い、シドニーに来ました。

ワーホリでUber Eatsをはじめたきっかけは?

最初は一般的なワーホリをしている人と同じように、日本食レストランでディッシュウォッシャーをやっていたのですが、日本語環境だし、生活していくうえで必要な資金も全然稼げなかったので、ダンス仲間から勧めてもらったUber Eatsに挑戦してみることにしました。

まずUber Eatsのアプリをダウンロードして、パスポートと学生証の写真を送ります。個人情報の確認が終わればアプリを通して、シティにあるUber Eatsのオフィスに来てくださいと連絡があり、そこでカバンを受け取るとUber Eats配達員として勤務スタートすることができます。

初期費用としては、Uber Eatsのカバンに約35ドル(中古)と自転車、後は携帯ホルダーなどを含めて200ドルくらいだったと思います。ちなみに今使っている自転車は8台目です。盗難が3回、故障が5回と、何度も買い換えました。最初は新車を購入したのですが、JAMS.TVなどのクラシファイドで格安の中古自転車が販売されているので、それで十分だと思います。

Uber Eatsで働く日のスケジュールについて教えてください

基本何も予定がなければ、火・水を休みにしていて、それ以外の日に働くようにしています。ランチタイムの11時〜16時が昼の部、ディナータイムの18時〜21時が夜の部としてやってます。

その時間帯に働くと注文が入りやすいのもありますが、プロモーションがかかって配達料が普段よりも多くもらえることがあるんですね。こんな感じで働いていれば、物価が高いシドニーでも生活ができます。やろうと思えば貯金もできるんじゃないですかね?

Uber Eatsで働くコツは?

Uber Eatsは時給制ではなく、どれだけの数と距離を配達したかでもらえる金額が決まるのですが、依頼を受けてからレストランに行くまでの距離は料金に含まれません。すごく遠いところにピックアップを行かないといけない場合は、キャンセルをすることもあります。

距離としては近くても坂道だったり、自転車では走行しにくいエリアもあったりするのですが、慣れてくるとどういったルートを取れば早く楽に行けるかがわかってくるので、シドニーの街に関してかなり詳しくなりました(笑)。

注意しないといけないのは、最初にスタートした場所からどんどん離れて行ってしまうこと。配達終了後に次のピックアップがあって、それを配達して……と、やっていると家からかなり離れた場所に来てしまい、最後に戻るのが大変になります。

それも勘でわかるようになるので、配達終了後にUber Eatsのアプリをオフラインにして、ちょっと戻ってからまたオンラインにしたりと調節しています。

Uber eatsで苦労したことは?

最初はオーストラリアの住所の仕組みが分からなくて。例えば通りがあって、片方は家番号が奇数しかなくて、もう片方が偶数になっているのですが、それを知らなくてずっと偶数の番号を奇数側で探してしまったり。

最終的にお客さんから電話がきて、「もう俺外にいるからちょっと周り見てみろ」と言われ、すぐ後ろでお客さんが手を振っていたりして。そういう時はちょっとヘコみましたね。でも……それくらいかなと。嫌な人間関係もないですし、働くストレスは少ないと思います。

僕はもともと体力がある方だから、自転車を漕ぐこともそんなに苦にならないし、少し辛いなと思う時も修行だと思っています。最近は電動自電車を使って配達している人もよく見かけるので、日本人女性でも全然問題なくできるんじゃないでしょうか。ワーホリでUber Eatsやるのおすすめです!

Uber Eatsならではのメリットってありますか?

携帯のアプリで全部やっているから、ログインしたら自分のピンが出て、誰か近くでピックアップあればすぐに行けるし、やっぱり止ーめたってログオフすればいつでも休憩できる。その自由度が一番のメリットだと思います。

ワーホリという限られた期間の中で、本当に自分がしたいことのために時間が取れるし、僕の場合は自転車を漕ぐことで体も鍛えられるので、それがダンス活動にも繋がったのもすごくよかったですね。

後は仕事をするうえで人間関係のストレスって絶対にあると思うのですが、継続的に特定の人と一緒に仕事をすることがないので、すごく気持ちが楽なのもメリットだと思います。

オーストラリアでのダンス活動はいかがでしょうか?

ワークショップ終了後、参加者と共に記念撮影

Uber Eatsのおかげで練習時間を取れるようになったので、技術は上がったと思います。大会でも結果を残すことができて、ソロバトルで優勝したこともありますし、1年間で3つのタイトルを獲得することができました。

ダンスを通して英語が上達したのも良かったです。練習場所に日本人が少なかったので、仕事もダンスも常に英語環境でした。

後は、スタジオでワークショップを開催させてもらったのも良い経験です。金銭目的というよりも、これまで習ってきたことをみんなに広めたいという気持ちでやらせてもらいました。

オーストラリア渡航前に思い描いていたワーホリ生活とギャップはありますか?

正直に言うと……、自分の思い描いていたワーホリ像の通りだったかなと思います(笑)。やっぱり英語の上達が一番の目的だったのですが、こうやってダンスを通していろんな人と英語で話すことが出来て、普通の人に比べて学ぶ機会が多かったと思いますし、よく頑張ったなと自分に満足しています。

Uber Eatsをすることは予想していなかったんですけど、これは生きていく上での手段と言うか、いかに効率的にお金を稼いで自分の時間を作っていくかってところで、Uber Eatsがとてもはまっていたという感じです。

日本人って仕事を生きがいにしている人が多くて、逆に言うと仕事を取っちゃうと何も残らない人もいて。そうなるのが嫌で海外に来たはずなのに、結局そこに戻ってしまうと意味がないので。ワーク・ライフ・バランスを実証できたことは自信になりました。

ワーホリが終わって、次に考えていることはありますか。

日本に戻ってからは、日本語を外国人に教える日本語教師になりたいと思っているのでまずは養成校に通おうと思っています。外国人であるにも関わらず、ワーホリ生活では多くの人にすごく助けてもらったので、じゃあ今度は日本が好きな外国人のために、自分がなにかしてあげたいなという思いがあります。

Uber Eats……ですか? ん〜、とりあえず日本でも登録して、一回くらいはやってみましょうかね(笑)。

お仕事をがんばるワーキングホリデーメーカーを大募集!

「ワーホリだから、限られた業種でしか働けないだろう」なんとなくそう思っていませんか? どんな仕事にも挑戦できるのが ワーキングホリデービザのいいところ。ワーホリお仕事図鑑では、オーストラリアで働くワーキングホリデーメーカーの方たちを応援しています。

取材にご協力いただけるワーキングホリデーメーカーの方はぜひ編集部までご連絡ください。編集部アドレス:editor@jams.tv (自薦・他薦は問いません!)

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マンリー・シー・イーグルス日本人初専属チアリーダー/富谷弥法 https://www.jams.tv/entertainment/130161 Mon, 24 Dec 2018 23:00:00 +0000 https://www.jams.tv/?p=130161 オーストラリアとニュージーランド2カ国16チームで形成される「ナショナル・ラグビー・リーグ(National Rugby League/以下NRL)」に所属する「マンリー・ワリンガ・シー・イーグルス(Manly Warr […]

投稿 マンリー・シー・イーグルス日本人初専属チアリーダー/富谷弥法JAMS.TV に最初に表示されました。

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オーストラリアとニュージーランド2カ国16チームで形成される「ナショナル・ラグビー・リーグ(National Rugby League/以下NRL)」に所属する「マンリー・ワリンガ・シー・イーグルス(Manly Warringah Sea Eagles Cheerleader “Seabird”/以下マンリー・シー・イーグルス)」で、日本人初専属チアリーダーとして活躍する富谷弥法さん。

幼少期からダンスは習っていたが、20歳でまったくジャンルの違うチアリーディングの世界に飛び込んだ彼女。チアリーダーに憧れてからわずか1カ月で、日本の「ガンバ大阪チアダンスチーム」に合格。1年目はセンターを任され、2年目にはバイスキャプテンも務めた。

その後舞台をオーストラリアに移すと、チアを始めてたった2年で、オーストラリアのNRL「マンリー・シー・イーグルス」に日本人で初めて合格するという快挙まで成し遂げた。数年前まで未経験であったにも関わらず、異例の速さで飛躍を遂げる姿には、並々ならぬ努力と目標への強く熱い思いがあった。

自己紹介をお願いします。

富谷弥法(とみやみのり)、埼玉県出身の23歳です。日本では、ガンバ大阪の専属チアリーダーと幼稚園教諭をしながら、ガンバ大阪チアキッズスクールで教えていました。オーストラリアに渡ってからは、シドニーのマンリー・シー・イーグルスで専属チアリーダーとして踊りながら、ノースシドニーを拠点に活動する日系のキッズチアチーム「サクラキッズチアリーダーズ」のレッスンも担当していました。

3歳から大学3年生までクラシックバレエとバトントワリング、創作ダンスなど、ずっと踊ることを続けてきて、20歳からチアを始めました。

20歳からチアを始めようと思ったきっかけを教えてください。

友人が連れて行ってくれたサッカーの試合で、ガンバ大阪のチアリーダーを見たのがきっかけです。ガンバ大阪の試合を観戦したのはその時が初めてだったんですが、甲子園球場でビールの売り子をするくらいスポーツ観戦が好きでした。観客の人たちが盛り上がる中、近くで選手を応援しながら輝いているガンバのチアリーダーがすっごくうらやましくて。

大学卒業後は幼稚園の先生になる目標があったので、20年くらい続けてきたダンスも卒業と同時にやめるつもりが、試合を観て以来どうしても「このチームに入りたい!」と思ってしまって。翌月に「ガンバ大阪チアダンスチーム」のオーディションを受けました。

未観験で何も分からなかったので、オーディションまでの間にYouTubeでチアリーディングの動画を見ながら、ネットで基礎を調べて、ダイエットもして……ってしたら合格したんです。

チアリーダーに憧れて1カ月で転身したんですね。

チアリーディングは、チームによって見た目もダンススタイルも違って、ガンバはアメリカの「ナショナル・フットボール・リーグ(National Football League/以下NFL」のような、巻き髪で衣装もセクシー、健康的で大人な女性がテーマ。

もちろんオーディションにはみんなガンバに合わせたスタイルで来ているんですけど、私はそれを知らずに一人だけお団子に短パンとTシャツ姿で(笑)。逆にその姿が目立っていたことと、チアの経験がなくてもバレエの基礎はあるので、白紙の状態な分柔軟に対応できそうだとディレクターが可能性を感じてくれたそうです。

完全に未経験からのスタートは大変なことも多かったのでは?

合格してチームに入れたのは良かったんですが、私だけが未経験だったので、先輩に怒られるし私だけいつも注意されていました(笑)。でも、ガンバが大きなチームだと知っていたし、いろんな人が見ているしプロとしてお金もいただいているので、しっかりしないと恥ずかしいと思って悔しさよりも責任感を感じていました。

毎日学校まで3キロ走って、ジムとダンスのレッスンに通ったら10キロ痩せました。最初はレッスン中に1度も先生に注意されないようにするとか、小さな目標から徐々にクリアするようにして。1年目で無謀だったけど、最終的には、センターで踊るという目標も達成できてすごく嬉しかったです。

ずっとダンスを続けてきたけど、こんなに明確な努力をしたことはなかったのと、チームの責任感とプレッシャーの中で夢を叶えられたことがすごく自信につながりました。

クラシックバレエやバトンとチアの違いは?

手の使い方や足の使い方が違うのと、筋肉のつけ方も違います。バレエでは脚の裏側の筋肉を使ってゆっくりと脚をあげて、つま先ものばして、曲線や流れをきれいに魅せるもの。練習も毎日厳しいけど、バレエでは自分で自由に表現できます。

チアは1回のカウントで早く足をあげるので、みんなで一斉に揃えてあげるにはバレエと反対に足の前側の筋肉が大事で、ヒールのあるブーツで軸がぶれないようにするにも、下半身の筋力が必要でした。

最初は手に力を入れてと言われても入れ方がわからないし、ポンポンも重いから筋力がない時はしんどくて。私は筋肉がつきにくい体質なので、今も毎日ジムでトレーニングしてます。体つくりと好き勝手踊れないのがきつかったのと、みんなで揃えて大きく見せるのが大変でしたね。

努力が認められて、2年目はバイスキャプテンに任命されたそうですね。

ルーキーだった時に先輩にしてもらったことを自分も後輩にしてあげたくて、バイスキャプテンを引き受けました。もともと夢だった幼稚園教諭の仕事も決まって、両親は仕事に専念して欲しかったみたいなんですが、私はチアも続けたかったので、援助なしで頑張るからと言って一人大阪へ引っ越しました。

それからは、スタジアムそばにあるシェアハウスに住んで家賃を浮かせながら、平日8時から17時は幼稚園勤務。18時以降はガンバチアキッズスクールの先生か、ダンスの練習かジムを毎日繰り返しました。

仕事もチアも覚えることがたくさんあるし、体力もお金もシビアだったけど、そこまでしてもやりたいと思えるくらい夢中になれることがあって良かったなと思います。

2年間踊った大好きなガンバ大阪のチームを離れて、オーストラリアに渡った理由は?

センターで踊らせてもらったり、サポーターの方たちに名前を覚えてもらえたりするのは嬉しかったんですが、1年目と比べるとバイスキャプテンを頑張ることくらいしか目標がなく、「自分は何してるんだろう?」と思う時があって。

1年目の方が自分と向き合って戦っていたし、時間がないことを理由に逃げている気がしていました。

アメリカのNFLチアリーダーは私がチアを初めてからずっと憧れている存在です。日本人のチアリーダーたちの中にはNFLチアを受験し、合格を勝ち取っている方もいらっしゃいます。自分自身、憧れを目標にしたいと思いつつも、アメリカのNFLに行った先輩のような覚悟はまだ私にはなくて、3年目もガンバ大阪に残るか他のチームに移るかといろいろ迷っていました。

そうやって次の目標を立てようとしていた時に、たまたまインスタグラムのおすすめ一覧にチアリーダーの写真が出てきたんです。

マンリー・シー・イーグルスを目指したきっかけは、1枚のインスタグラム写真?

その写真に写っているチアリーダーの表情や楽しそうに踊っている姿、キラキラして素敵な衣装がすごく気になって。元の写真が分からなかったので、背景に写っている看板を調べたらオーストラリアの会社がヒットするんですよ。その頃、海外にはアメリカしかチアがないと思っていたんですけど(笑)。

調べるうちにシドニーのマンリー・シー・イーグルスだと分かったんです。それからはSNSを全部フォローして、辞書で英語を調べながらチームについて調べました。家族がラグビーをやっていて、父と一緒に観戦しに行くくらい私も大好きなスポーツなので、チームを応援しながらチアで活躍できるのはすごくいいなと思いました!

ダンススタイルがNFLの中でもトップレベルで別格の存在である「ダラス・カウボーイズ・チアリーダー(Dallas Cowboys Cheerleade)」寄りで、ガンバとも似ていて自分の目指しているものに合っていたし、過去にマンリー・シー・イーグルスからダラス・カウボーイズ・チアリーダーに挑戦して受かった人がいる! しかもオーストラリアならワーホリビザで働ける! 完璧!と思って(笑)。

マンリー・シー・イーグルスに夢中だったわけですね。

ワーホリビザのことも詳しく知らなかったし、両親も半分呆れていたんですけど説得して、オーディションを受けることにしました。

2月の「ナショナル・ラグビー・リーグ・ラウンチ(National Rugby League)」という大きなチアのイベント前に、オーディションが実施されるんですが、私は12月までガンバと幼稚園の契約があったので、日程的に多くのオーディションを受けるのは難しくて。

両親には落ちるのが怖いから3チームくらい受けて受かったチームに入るよう言われたんですけど、好きなチームでないと自分が納得できないことも分かっていたので、マンリー・シー・イーグルスだけ受けたら合格しました。

合格後にNRLのチアリーダーとして必要だと感じたことは?

オーストラリア人は、日本人と体格が違って大きいので、体つくりや大きく見せる努力をしました。例えば、私の場合は背が低いのでつま先で立って高く見せたり、指先まで力をいれて腕をしっかり伸ばしたり、なじめるようにしました。

オーディションを経験して感じたのは、ターンは上手くできないけどジャンプがすごく高く跳べるとか、アクロバットができるとか、メンバー一人ひとり高いスキルを持っているので、それに負けないような自分の強みを持っていないといけないなと思いました。

それに、オーストラリア人はちょっと間違えても絶対動じないし、自信満々に笑顔で踊るんですよ。それが受け入れられる環境でもあるし、間違えても楽しそうにしていて。フリを間違えると顔にでたり頭が真っ白になったりすることもあると思うんですけど、間違えても堂々と自信を持って笑顔でいることも大事ですね。

チームの目指すカラーになじむことも大事だったそうですね。

その頃、体が細くて肌も白くて黒髪だったんですけど、日本人は肌の色が白くて見た目がアンヘルシーと言われて。健康的な女性に見せないといけないので、髪の毛のボリュームを出して、肌を焼いてこいって言われたんですよ(笑)。

でもそんなにすぐに日焼けできないしどうしようと思ったら、チームメンバーがタンニングスプレーで染められると教えてくれたので、スプレーを塗って染めました。染めるとそれだけで結構なじむし、衣装もしっくりくるんですよね。

あとは、つけまつげをつけて、顔のパーツが大きく見えるような化粧を意識したり。近くで見ると濃すぎるんですけど、スタジアムの客席から見るとなじめるから。

日本とオーストラリアのチームでギャップはありましたか?

オーストラリア人は寛大で自由なところが私もすごく気に入っているんですけど、日本だと厳しい部分も、こっちでは優しく受け入れられて、もっと自由だなと感じました。

例えば1番前のセンターの子がフリを間違えても「間違えたけど最後までパニックにならず踊れて良かった」って声掛けたり、誰かが急いだけど駐車場が混んでいたから遅刻したって言うと「急いだのに事故にならなくて良かったね」って声掛けたり、みんなすごく優しいんですよ(笑)。

あと、練習のない日があることや、試合がないと練習のない月があるのはびっくりでした。5月は試合がなかったので、練習がゼロで……。楽しみにしていた練習がなくなって、その時はただのジャパレスで働いている人になってしまって、私は何しに来たんだろうって悩みました。

そういう複雑な思いもあったけど、基礎練習のレベルが高いのはすごく刺激になったし、オーストラリアに来たのは間違ってなかったし、文化の違いを知れたことも英語環境でチアができたことも強みになったと思います。

マンリー・シー・イーグルスのメンバーとはすごく仲が良いそうですね。

まだマンリー・シー・イーグルスをSNSで見ていた頃は、厳しくてわだかまりや競争の世界だと想像していたので、そこで強くなろうと思って来たんですけど、メンバーは優しく私を受け入れてくれて結果的に楽しく終わりました(笑)。

最初の頃は指示が分からないので、私の横には絶対誰かがついてくれて常に気に掛けてくれたし、ポジションが分からない時には手を引っ張って連れてってくれて。申し訳なさと有難さがあったんですけど、あまり英語が話せない私を受け入れて助けてくれる、いい人たちに巡り合えたなと思います。

日本からこのチームに入りたくて来たと言うとみんな喜んでくれたし、受け入れてもらえて。ディレクターが初めて日本人を採用したと私のことを公式インスタグラムに載せたら、たくさんコメントがもらえて、私の両親が来た時もすごくウェルカムで(笑)。

アジア人だからとか、競争世界でとか、大変なこともあると思ってきたけど何もなかったですね。

チームに入ってから印象的だった出来事はありますか?

メンバーになっても、スキルや体型、気持ちの面など見られていて、試合前の練習でちゃんと踊れないと選抜に選ばれないんです。中でも開幕戦はみんな出たいし、私はルーキーでもあったので、1戦目に選ばれず出られなかったのはショックでした。

それなので、初めて出られたのは2戦目だったんですけど、試合前にディレクターが私の衣裳のリボンを結びながら「やっとデビューだね、良かったね」って言ってくれた時は、感極まって涙しました。ディレクターが本当にいい方で、いつも「誇りに思うよ」って言ってくれるんですよ。

初めてフィールドに立った時は鳥肌が立ったし、隣に並ぶメンバーと目が合うと頷いてくれて、メンバーになれた喜びと、SNSで見ていた憧れの世界に自分が立っていることにとにかく感動しました。

オーストラリアでもキッズチームにチアを教えていたんですよね

「チアエクスペリエンス」という地元のキッズチームと一緒に約600人で踊るイベントに参加した時に、アナウンスで「サクラキッズチアリーダーズ」って聞こえて「あれ、日本かな?」と思ったんですけど、その時はたくさん人がいるから分からなくて。

その後、サクラキッズチアリーダーズ主催者の方がインスタで私を見つけて、キッズたちが出る日本人のお祭りに誘っていただいて、見に行ったらすごく可愛くて。

アシスタントとしてチームに入らないかと誘ってくださって、それから半年間、毎週3時間子供たちに教えてました。日本語環境だし、チアの話もできるし、子どもたちも上手くなっていってすごく嬉しかったですね。

写真:サクラキッズチアリーダーズのみんなからみのりさんへ贈られたアルバム

次の目標は、いよいよ本場アメリカのNFLに挑戦?

ガンバのチームで一緒に踊っていたキャプテンが、NFLに受かったので見に行って。同じ世界で踊ってた子が、今は8万人のスタジアムで踊っている姿を見て、すごーく感動したんですけど、それと同時に次の目標はここだと思いました。

去年見た時は、まだ英語も話せないし遠い世界だと感じたけど、もう少し近くなった気持ちで見ることができました。

私にはNFLは到底届かないと思ってたけど、オーストラリアのNRLを達成して、次は本場アメリカのNFLに挑戦したいと思うようになれました。もう、NFLのフィールドに立ってる姿しか思い浮かばなかったんです。

「小さなことからコツコツと努力して、少しずつ目標を達成していけば、大きな夢も叶う。」私は20歳からチアを始めたので周りの人に比べるとすごく遅いスタートでしたが、強い気持ちがあったからここまでやってこられたと思います。今後は日本でオーディションが控えているので一度日本に帰国して、ビザの準備やスキルアップをしたら、次はNFL に挑戦します!

 

取材・文:岩瀬まさみ

富谷弥法(とみやみのり)さん

公式Instagram:@minorippp
マンリー・イーグルス公式Instagram:@manlyseabirds

お仕事をがんばるワーキングホリデーメーカーを大募集!

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持ち味は笑顔の推進力!水泳大国で活躍するイントラ/蓮沼萌衣子 https://www.jams.tv/education/129000 Tue, 04 Dec 2018 01:35:46 +0000 https://www.jams.tv/?p=129000 水泳界では世界的に有名なイアン・ソープ・アクアティック・センターはじめシドニーの3つのスイミングクラブで水泳コーチを務める蓮沼萌衣子さん。 これまで数々のオリンピック選手を輩出してきた日本体育大学を卒業し、大学時代も学生 […]

投稿 持ち味は笑顔の推進力!水泳大国で活躍するイントラ/蓮沼萌衣子JAMS.TV に最初に表示されました。

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水泳界では世界的に有名なイアン・ソープ・アクアティック・センターはじめシドニーの3つのスイミングクラブで水泳コーチを務める蓮沼萌衣子さん。

これまで数々のオリンピック選手を輩出してきた日本体育大学を卒業し、大学時代も学生コーチとしてチームを日本選手権3連覇に導いた経歴をもつ。

高校生にしてぶつかった競技とキャリアの間に揺れる葛藤、大学卒業後まもない最愛の父の他界。インタビュー中終始屈託のない笑顔で周囲を和ます彼女の天真爛漫さからはそんな苦労は想像もつかない。

父からの最後のメッセージを機に渡豪の決意を固め、今も水泳とともにライフステージを歩み続ける彼女に、水泳大国オーストラリアの本場の水泳教育について伺った。

自己紹介をお願いします

蓮沼萌衣子、25歳です。神奈川県から来ました。日本体育大学出身で、当時は学生コーチとして水泳部に所属していて、日本選手権を3連覇しています。

肩書き的に私は「マネージャー」として所属していたのですが、日体大水泳部は少し特殊で、全ての選手を見るには、コーチ一人だけでは足りないのでサポーターとしてマネージャーも学生コーチとして指導しています。日体大には他にも映像分析担当や選手のコンディションに合わせてメニューを考案するトレーニング担当部員もいますね。

水泳を始めた入り口としては、母の影響が大きかったです。母が水泳のコーチだったので、3歳頃から水泳を始めて気付いたら日体大に入っていました(笑)。水に入ったのはだいぶ早かったので、小さい頃から水に対する恐怖感はあまりなかったです。

父も学生時代は競泳選手でした。

水泳選手としての活動は?

私は競技成績はあまりもっていなくて、高校3年生のときにインターハイで決勝に残らなければ水泳は辞めるつもりでした。結果的にはインターハイには出場できず、「私の水泳人生終わったな」と思っていたところに「日体大なら選手ではなくて学生コーチとして水泳部に入部できる」という話を聞いて、それが今まで水泳を続けていることにつながっていますね。

今まで集中して何かに没頭することができなかった私が唯一没頭できたのが水泳でした。大学時代は基本的に水泳のために生活していたので部員全員で寮に入っていました。マネージャーはコーチと選手の間を取り持つ役柄なので、練習後に選手とマンツーマンで反省会をしたり、料理の写真を送ってもらったりして普段の食生活チェックもしていました。

当時の目標はオリンピック選手を輩出すること、日本学生選手権で優勝することを掲げていましたが、日本学生選手権は3連覇できたので達成できたかなと思います。あとはオリンピッック選手の合宿も見学させていただく機会もあって、それも良い経験でした。

大学を卒業してからスイミングスクールのコーチになったのですか?

日体大を卒業してからは、教員免許をとるためにまた大学に通い始めました。教員免許を取った方がいいっていうのは父からのアドバイスでした。実はその時、父は末期がんで私が日体大を卒業してからの1年間は母と闘病中の父を看病していました。

そのときは水泳を将来どうつなげていけばいいのかも分からず、夢がなかったんですよ。周りの友人は遊んだり、就職して社会に出たりして楽しそうなのに自分はやりたいことがないと悩んんでいたときに、北島康介さんが立ち上げたスイミングクラブ「KITAJIMAQUATICS(キタジマアクアティクス)」で働いている方に出会いました。

そこで、「働きたいです!!」って猛プッシュしたところ、その会社はとてもフレキシブルなので私をフリーランスのようなかたちで雇っていただけることになりました。母と父の介護を交代しながら空いた時間に仕事ができたので、すごく会社に助けられましたね。

私が働いていたキタジマアクアティクスは、少人数制のレッスンがウリで、レッスンでは泳ぎ方の分析に近いことをしています。たとえば腕が回りづらかったら、どうして回りづらいのか一緒に考える、みたいな感じですね。とにかく「考える水泳をしよう」というのがキタジマアクアティクスのテーマです。

1つのカリキュラムに沿って教えるのではなく、生徒一人ひとりの問題に対して一緒に考えます。大学時代から考える癖はついていたので、キタジマアクアティクスの「考える水泳」のスタイルにはあまり苦労することなく慣れました。

キタジマアクアティクスで働く中で大変だったことは?

一番大変だったことは、都内で働くとなると自分のネームバリューや肩書きが求められたことですね。みんな日本代表だったり、個人で全国大会に優勝している人たちばかりが周りにいる中で、私は何も肩書きをもっていなかったので、いつも周りと比べ劣等感を持ったまま働いてました……。

そこがすごく悔しくて、「水泳は続けたい。だけど私には肩書きがないから続けられない」と父に相談したときに、父は「海外に行って何かしらの資格を取って日本に帰って来ればみんなの見る目も変わるはず」とアドバイスをくれました。

その時の父は余命宣告を受けていて、生死の瀬戸際でもあるにも関わらず、まさかそのタイミングで海外に送り出してくれると思っていませんでした。就職活動していた時でさえ何も言わなかった父が、本当にサラッと「海外行った方がいいよ!」と言ったんです。

ちょうどその直後に父が亡くなって、「これは行けってことなのかな……」と思い、オーストラリアに発ちました。オーストラリアに決めたのはもちろんオーストラリアが水泳大国だからです。正直日本に残りたい気持ちもありましたが、決めた瞬間にすぐに準備を始めましたね。

今オーストラリアに来てから6カ月目が経ちます。ちょうど今、私が働いている会社で働いていた先輩が日本に帰国予定で、「入れ違いで入っちゃいなよ」と紹介してくれました。

ただ水泳コーチの資格を現地でとらないと働けないので、渡豪早々資格の勉強をして試験を受けて、今の会社に入りました。

水泳コーチの試験について詳しく教えてください

試験を受けたのはAust swim(オーストスウィム)という団体で、座学と実習の試験があり、働くまで全部で2カ月くらいかかりました。日本と比べて、オーストラリアは子供の教育に対して本当に厳しいです。

日本だと水泳コーチに資格はいりませんが、オーストラリアでは本当にやりたいという気持ちがなければ大変だと思います。提出書類もたくさん書きましたし、CPRやチャイルドケアの資格など必要な資格もたくさんあって、時間とお金が本当にかかりました。

日本って結構安全なイメージがあると思うんですけど、オーストラリアの方がずっと子供の安全管理に関しては厳しいと思います。私が実習試験を受けたとき、たまたま子供達がやんちゃでじっとしない子達で、私の試験中も潜ったり遊んだり好き放題(笑)。

それでも安全だけは守らなきゃと思って、「潜ったら危ないから、顔だけは見せてちょうだい」って声をかけていたんです。それが意外と試験官に高評価だったようで、「あなたはレッスンはできていなかったけど、子供達に水の怖さを教え、セーフティを守っていたから合格よ」と言われました。

オーストラリアの水泳指導で日本との大きな違いは?

今はイアン・ソープ・アクアティック・センター(シドニーにあるスポーツ施設)とシドニー・クリケット・グラウンドのプールで働いていて、その他にも個人でプライベートレッスンをしています。

日本とオーストラリアでは水泳指導はもう全てが違います。日本であれば最初は一人ひとりに対して手取り足取り教えてあげると思うのですが、オーストラリアでは「なるべく子供達に触らないで!」と言われました。

最初は「なんで触っちゃいけないの 」と思いましたが、「子供達は自分達でできるから、ギリギリまでは触ってはだめ。間違いは子供達が自分で意識もって直すべきことだから」という考えのようです。

よくこっちのコーチは、「Do you need any help?(助けは必要?)」と子供達に聞くんですよ。「いや、要るでしょ!」って最初は思っていたのですが、オーストラリアでは助けが必要であれば助けるし、必要ないならば自分で何とかしてもらうってスタイルですね。

水泳コーチとして私が意識していることは2つあって、1つは先に褒めてから直して欲しいことを伝えるようにしています。子供も大人も最初にマイナスのことを言ってしまうと、後の情報が入ってこないと思うんです。例えば、「さっきのキックよかったね! ただもう少し手を伸ばせたらもっと良かったかもしれない」と言うようにしています。

2つ目は、「手は離しても、目を離さず」です。これは高校の恩師に教わったことで、それ以来、実はずっと忘れていたのですが、オーストラリアに来てハッとその言葉を思い出しました。「あ、恩師が言っていたことはこういうことか」と。

オーストラリアの子供たちは日本の子供たちよりも自由です。レッスンを見れば一目瞭然ですが、日本の子供たちってじっとして話を聞いてくれるんですよ。私があえて小さい声で話すと何も言わなくてもちゃんと聞こえる位置まで近づいてくれたりして。

でもオーストラリアの子供たちは「こいつ声小さいなぁ」みたいな顔してきます(笑)。それだけエネルギーに溢れているってことだと思いますけど。今は「必要があったら助けに行く」のスタンスでいます。

オーストラリアで水泳インストラクターとして苦労したことは?

セブ島留学中に挑戦したカラーランのイベントにて

オーストラリアに行く前にセブ島に語学留学しましたが、それ以前は留学に向けた準備は全くしていなかったので、英語の勉強には本当に苦労しました。ろくに受験勉強もしたことがなかった私は、恥ずかしい話「apple」もまともに書けなくて(笑)。

もはや英語どころか日本語も危うく「現在進行形」の意味も分からないレベルでしたが、セブ島に5カ月くらい滞在してやっと人とギリギリ会話ができる英語力になりました。

オーストラリアで水泳コーチを始めてからは、親御さんとのコミュニケーションも全然スムーズにいきませんでした(笑)。親御さんもお子さんがその日どうだったか気になって私に聞いてくる方も多いので、私はあらかじめ言い回しを用意して、自分からお子さんの様子を伝えています。

親御さんたちも会話の中ですぐにレスポンスが返ってこないと、「この人分かっているのかな?」ってすごく不安になると思いますし、ただでさえ日本人で英語が話せないとなるとナメられやすいので、もう相手が私に聞きに来るか来ないかのタイミングで、自らガッと報告に行きます(笑)。

積極的に自分から行動することで、言葉がある程度不自由でも信頼が得られると思って。オーストラリアは移民の国なので日本人もそこまで珍しくないですし、堂々としようと思っています。渡豪前に思い描いていたより3倍くらいオーストラリアでの生活は大変でしたけど、その分収穫は大きいですね。送り出してくれた家族や、オーストラリアでのフラットメイトの支えがなければここまで来れていないと思います。

水泳という側面で見たら、100%以上の成果はオーストラリアで出せているのかなと思います。

これまでの水泳インストラクターとしてのキャリアを振り返ってください

大学時代は、自分がやっていることがどう将来に結びつくのか分からなくて悩んでいました。水泳に関わっていくとしたらやっぱりコーチの一択しかないと考えていたのですが、20年先ずっと自分がコーチとしてやっていくビジョンが浮かばなくて。

当時は一生水泳に関わっていくためにはどうしたらいいんだろうってずっと悩んでいましたね。一方で水泳は身体を使うものなので、歳をとりながらも水泳コーチを続けていた母を客観的に見ても、「水泳をずっと続けていくって大丈夫なのか」という不安もありました。やってみたら分かるのですが、子供を持ち上げたり、やっぱり水泳コーチはすごくハードなので。

ただ、オーストラリアに来てから、もう次のステージが見えるようになってきて。プライベートレッスンはここをもっとこうしたら良くなるんじゃないか、とかいろいろと欲も出てくるようになりましたね(笑)。

今後、ワーホリに挑戦する方にアドバイスするとしたら、「行動力をつける」ことです。まずやってみて、それに必要な努力は後から補う。私の場合、水泳のレッスンをまずやってみたけどできなかった。じゃあ次できるようになるために~を努力しよう、といつもこんな感じです。

オーストラリアでは水泳指導に限らず全般において、まずは自分でやってみる、それで助けが必要だったら周囲に求めるっていう考え方が根付いていると思います。私は水泳だけでなくて、スポーツ全般に関わることが好きなんです。オーストラリアはエクササイズ大国ですし、有名なヨガやマラソンもやってみたいと思っています。

今後もスポーツと関わりながらオーストラリアに残れたらいいですね。スポーツは、私にとって最初はキャリアでしたが、今となってはどちらかというと「生き方そのもの」に近いですね。今後は働き方も自分でつくっていきたいです。フリーで働くとすればやっぱり肩書きが必要なので、今はオーストラリアでキャリアを積んで、将来自分で生活できるくらいになりたいですね。

時間が許す限り人生ずっと新しいことを学び続けていきたいです。

 

取材:德田直大

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目標は英国のパブ!舞うように働く笑顔のバーテンダー/柴田花純 https://www.jams.tv/gourmet/124549 Wed, 31 Oct 2018 23:38:44 +0000 https://www.jams.tv/?p=124549 オーストラリア・シドニーを中心に7つのバーを展開しているMALONEY HOTEL GROUPの「ST JAMES HOTEL」と「STAR BAR」でバーテンダーとして働く柴田花純さん。 大学時代にパブに魅了されて以来 […]

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オーストラリア・シドニーを中心に7つのバーを展開しているMALONEY HOTEL GROUPの「ST JAMES HOTEL」と「STAR BAR」でバーテンダーとして働く柴田花純さん。

大学時代にパブに魅了されて以来、大手英国風パブ「HUB」、ニュージーランド・オークランドのローカルパブでの下積みを経て、オーストラリア・シドニーで3都市目となる「バーテンダー修行」がはじまった。

「すべては本場イギリスで働くため」。バレエで磨いたしなやかな動きと、チアリーディングで培った弾けるような笑顔を武器に、今日もカウンターを舞台に特別な時間を提供する。

あえて遠回りをしながらも、夢を叶えるために着実に進む彼女のひたむきな姿勢から、バーテンダーという職業への誇りを感じる。「パブには歴史と尊厳があるので」と語るその真意について伺った。

自己紹介をお願いします。

柴田花純、千葉県出身です。5歳の時からクラシックバレエを習い、高校ではバトン、大学ではチアリーディングをしていました。

大学で都市環境や地域形成について学ぶうちに、古くからイギリスでコミュニティの役割を担ってきたパブに興味を持つようになりました。卒論ではパブとコミュニティについて研究し、大学4年生の夏に日本のブリティッシュパブでバーテンダーとして働き始めました。

本場イギリスのパブでバーテンダーになることを目標に、大学卒業後は日本のアイリッシュパブで経験を積み、昨年ニュージーランドのローカルパブで10カ月、そして現在はシドニーのバーで働いています。

花純さんが思うパブの魅力とは?

パブの発祥地であるイギリスでは、どんなに田舎でも教会とパブだけはあると言われていて、誰もが行きつけのパブを持っています。人々のコミュニティの場がインターネットへとシフトしていくなか、パブは心の通うリアルでオープンなコミュニケーションを提供する数少ない場所とも言えます。

パブはPublic Houseの略で、みんなの家という名前の意味通り、人種や職業、貧富の差も関係なくみんなが平等に楽しめる自由なコミュニティであり、地域住民にとって大切な寄り合いどころ。人々の心を癒し、人々の心と心を繋げていく、そんなパブに魅了されました。

パブで働こうと思ったきっかけは?

もともとストレスをため込みやすい性格なのですが、大学在学中に所属していたチアリーディング部で東京六大学の責任者になってからは、ストレスを感じることが増えてしまって。気づいたら美味しいカクテルを飲みながら、ライブミュージックやスポーツ観戦を楽しんだり、いろんな人と話したり、パブで過ごすことがストレス発散になっていました。

そうやってパブに通ううちに、パブに訪れる人々を見守り、「みんなの家」のホストでもあるバーテンダーに憧れるようになって。日本のパブで働き始めてからは、人と話すのも人に笑顔を与えるのも好きな私にとっても、この仕事はすごく合っていると感じたので、そこからのめり込んでいきました。

いつ頃からワーキングホリデーを考えるようになりましたか?

実は中学生の時に交換留学のチャンスをインフルエンザで逃してしまって(笑)。

進学した国際高校が、自分の好きな授業を選べる選択制の学校だったので、英語の授業を選べる限り選択して週15時間くらい英語の授業を受けていました。そのあと、大学在学中にフィリピンへ語学留学もしました。

もともと留学や海外生活に興味があった中でパブに出会ったので、やりたいことも見つかったし、もう、行こうと。

イギリスではなくニュージーランドとオーストラリアへ渡った理由は?

目標はイギリスのパブで働くことですが、それにはまだ準備が必要だと感じていて。日本のパブで1年間働いただけでは、バーテンダーとしての経験も語学力も足りないので、イギリスの前にニュージーランドへ渡りました。

ニュージーランドのローカルパブで10カ月働きましたが、それでもイギリスへ行くにはまだまだ経験が足りないと感じ、ビールが美味しそうなオーストラリアでもう1年勉強することにしました。

オーストラリアとニュージーランドで働いてみて感じたのが、海外で雇ってもらうには経験が必須ということ。今のバーで働くためにも英語圏3人からのリファレンスが必要でした。

バーテンダーは資格もあるのですが、履歴書に書くなら資格よりも2年間パブで働いた経験の方が大きいとアドバイスをもらって、今は経験を積むことに専念しています。

ビザには期限があるので、イギリスに滞在できる期間を無駄にしないように、バーテンダーとしての経験も語学力もイギリスへ行く前に完璧にしておきたくて。だから今は目標に向けてバーテンダー修行中です。

海外での仕事探しは苦労しましたか?

実はニュージーランドで働いたローカルパブには、3回も履歴書を渡していて(笑)。シティのメインストリートにあるローカルパブが1店舗だけだったので、どうしてもそこで働きたかったんです。

働く前によくお客さんとして飲みに行っていたら、ある日バーテンがお酒をおごってくれて、そのまま酔った勢いで「お酒より仕事ほしい!」って履歴書を渡したら、2週間後からおいでと雇ってもらえることになったんです。

オーストラリアに来てからは、とにかく早く仕事を見つけたくて、毎日2万歩くらい歩きながらひたすらバーやパブに飛び込みで履歴書を配りました。

今働いているバーではないんですが、飲みに行った次の日に履歴書を渡したら私だと気付いたバーテンダーがわざわざ連絡をくれて。仕事探しのアドバイスやおすすめのパブを教えてくれたのは、すごく助かりました。

海外のパブで働く難しさは?

日本は「お客様は神様」という考え方なので、お客さんが欲しいと言えばお金を払う限り延々とお酒を提供していたんですけど、こちらではバーテンダーがお客さんをジャッジしてお酒を提供するかしないか決めます。酔いすぎている人には「飲むスピードおとして」とか「水を挟んで」と、お客さんに直接言う必要があるんですね。

お客さんの様子を見て判断できるかどうかというのはとても重要なことで、実は前の職場ではバーでの勤務経験やスキルはあるけどジャッジする経験が浅いからダメという理由で昇級できなかったんです。お客さん同士のケンカを止める必要もあるので女はマネージャーになれないとも言われて。それが悔しくてよく喧嘩に飛び込んだりしていました(笑)。

海外で働くには言葉の問題もありますが、生の英語が飛び交う場に身を置いたことで、学校の勉強よりも伸びたと思います。店内は音楽がうるさいので、大きな声で話さないと相手に聞こえないし、英語に自信ないなんて言っていられない状況も、語学を上達させるうえで味方をしました(笑)。

パブで働く楽しさややりがいは?

バーテンダーは、普通に生活していたら出会うことのない、さまざまな職種の人たちと知り合いになることができます。芸術家やミュージシャン、スポーツ選手、シェフ、経営者、投資家など、毎日たくさんの人にお酒を提供しているので必然的に顔も広くなります。

街を歩けば声をかけられ、店に入れば特別なサービスでもてなされ、オフの日はいろんな人に誘われと、いろんな経験をさせてもらっています。たくさんの人に出会い、大きく成長できることがこの仕事のやりがいです。バーテンダーは同業者との交流も盛んなので一緒によく飲みに行きますし、困った時には互いに助け合う家族のような絆で結ばれています。

お客さんに「日本人のバーテンダーに会うのは初めて」と言われたり、お店のメニューにないカクテルを注文されたときに、レシピを知っていて提供できたりするとうれしいですね。

花純さんにとって理想のバーテンダーとは?

「コヨーテ・アグリー」という映画の主人公に憧れていて。主人公の女の子が映画の中でへそ出しの洋服を着て、バーの上でボトル回したり踊ったりする姿がかっこいいんです。知らない地に飛び込んで生活する姿に自分を重ねてみたりして。

誰もがパブに入って最初に見るのはバーテンダー。バレリーナのようなしなやかな身のこなしで10人分のお酒を作りながら、みんなの不平を聞き、時々冗談を交え笑わせる。そんなバーテンダーになりたいです。

この仕事には長い歴史があり、大きな尊厳もあります。人としての魅力やカリスマ性を日々磨き続けなければならないと思っています。

バーテンダーとして働く上でこころがけていることは?

わたしが心がけているのは、どんな時も笑顔で接客すること、お客様の顔と名前、飲んだものを覚えること、そしてお客様の話に真摯に耳を傾けること。大学時代にチアをやっていたので笑顔には自信があって、よく笑顔を褒めてもらえます。

辛い時も笑顔でいれば不思議とポジティブになってきますし、笑顔は周りの人を幸せにし、その幸せは必ず自分に返ってきます。名前を呼んで笑顔で挨拶をし、お気に入りの飲み物を言い当てればお客様に大変喜ばれます。

お客様がバーテンダーに話しかけるときは余程話を聞いて欲しい時なので、時に牧師のように、時に精神科医のように、どんなに忙しくてもできる限り耳を傾けるようにしています。

バーテンダーを目指している人やワーキングホリデーメーカーにメッセージを!

ワーキングホリデーは目的や目標を決めていた方が充実できると思います。私自身まだ夢の途中ですが、これから挑戦する人たちも、やりたいことに目的意識を持って、それに向かって積極的に行動することが大事。

英語をやりたいなら自分から飛び込んだ方が良いし、パブってもともと良い意味で出会いの場なので、もしもパブやバーで働きたいなら実際に通って、バーテンダーやお客さんに話しかけて、友達を作るのが1番だと思います。

英語に悩んだり、どうしたらいいか分からなくなったときも、やっぱりバーに来てお酒の力も借りながら、お客さんやバーテンダーと話すのがおすすめです。学校や図書館で勉強するより、パブでお酒を飲みながら会話している方が断然楽しいですから。

自分がストレスを抱えていたときにパブに行くことでリラックスできたので、悩みやストレスがあったらパブというコミュニティの場に足を運んでほしいですね。

 

取材・文:岩瀬まさみ

柴田花純さんが働くバーはこちら

名称:St James Hotel
所在地: 114 Castlereagh Street, Sydney NSW 2000
電話: (02) 9261 8277
営業時間:平日 10:00 – 24:00、金 10:00 – 1:00、土日休
WEB:https://www.stjameshotel.com.au

名称:STAR BAR
所在地:600 George Street, Sydney NSW 2000
電話: (02) 9267 7827
営業時間:月~木 10:00 – 3:00、金土10:00 – 4:00、日12:00 – 3:00
WEB:https://www.starbar.com.au

お仕事をがんばるワーキングホリデーメーカーを大募集!

「ワーホリだから、限られた業種でしか働けないだろう」なんとなくそう思っていませんか? どんな仕事にも挑戦できるのが ワーキングホリデービザのいいところ。ワーホリお仕事図鑑では、オーストラリアで働くワーキングホリデーメーカーの方たちを応援しています。

取材にご協力いただけるワーキングホリデーメーカーの方はぜひ編集部までご連絡ください。編集部アドレス:editor@jams.tv (自薦・他薦は問いません!)

連載『ワーホリお仕事図鑑』の過去記事一覧はこちら
>>https://www.jams.tv/author/wh_workbookをクリック

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SHIATSUで医療へ恩返し! 手技で世界を療したい/中川元 https://www.jams.tv/job/119865 Tue, 02 Oct 2018 01:43:36 +0000 https://www.jams.tv/?p=119865 日本で鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得し、豊富な知識と技術をもとに、オーストラリアで生活する人の身体の不調を整える中川元さん。飾り気のない満面の笑顔と強い信念、確かな手技が持ち味だ。 「患者さんの身体を治し […]

投稿 SHIATSUで医療へ恩返し! 手技で世界を療したい/中川元JAMS.TV に最初に表示されました。

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日本で鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得し、豊富な知識と技術をもとに、オーストラリアで生活する人の身体の不調を整える中川元さん。飾り気のない満面の笑顔と強い信念、確かな手技が持ち味だ。

「患者さんの身体を治してあげようなんて思わない」。一見疑問に思うその発言の真意は幼少期に重篤な交通事故で、患者側を経験したからこそ生まれる責任感と思いやりに由来していた。

シドニーに来て1カ月。日本での安定した環境を手放して30歳の”ギリホリ”渡豪をしたことに迷いはなかったという。自ら踏み出さないと分からない海外での感触を確かめながら、船上鍼灸師になって日本の後輩らへ可能性を示すという夢に向かって走り始めた。

自己紹介をお願いします。

中川元(なかがわげん)、神奈川県出身の31歳です。日本で国家試験の鍼灸師とあん摩マッサージ指圧師の資格を取った後に、鍼灸専門学校の教員免許を取得するためにさらに2年間学校に通いました。

シドニー湾でも豪華客船が停まっているのをよく目にしますが、鍼灸師は仕事で豪華客船に乗ることができるんですよ。ずっと船上鍼灸師を目指していたので、日本で英語の勉強をしていましたが、週1〜2回の英会話だけでは満足できなくて。

教員になるための学校を卒業するタイミングで、自分の中で「なにかを変えなきゃ」と思っていたときに、シドニーで指圧の求人が出ていることを発見しました。そこからは勢いで「よし、行こう!」と(笑)。

31歳の誕生日を迎える1カ月前に渡豪したので、本当にギリギリのワーホリになりました。

鍼灸・あん摩マッサージ師を目指したきっかけは?

小学生の頃に交通事故に遭い、ICUで1週間程治療を受けていたんです。そこで医療にすごくお世話になったので、その恩返しをしたかったというのが医療の道に進んだ最初のきっかけです。

でも、患者さんの身体にダメージが残らない方法で医療に携わりたくて。外科だと傷が残っちゃうし、内科では薬の副作用が出る可能性がある……。そこでたどり着いたのが患者さんの体に負担が少ない鍼灸・あん摩マッサージ指圧でした。

鍼灸は医療行為なので免許が必要ですが、良くも悪くも揉んだり押したりして体を整える手技療法は、免許がなくてもできてしまいます。日本の国家資格を持っている僕も、オーストラリアの法律上は鍼灸師ではなく、セラピストという肩書きになります。

ただ、セラピストといっても専門教育を受けているので、知識・技術には自信を持っています。施術する上で自信って相手に伝わるもの。オーストラリアでは言葉の壁もありますが、日本で経験を積んできたという自信を持って臨むと、自然と患者さんにも伝わるものがあるようです。

主にどのような施術をしていますか?

主に指圧とあん摩を使って施術をしています。それに加えて骨盤矯正や関節を動かす手技を取り入れています。例えばデスクワークとかで肩甲骨の内側のコリがひどい方とかは、筋肉だけ押しても結局関節が固まっていると根本的な解決にならないんですよ。そういう場合は体をもみほぐした後に、関節を動かすようにアプローチします。

患者さんに普段からできる運動や簡単な関節を動かすストレッチを指導して、日頃の生活に取り入れてもらうようにしています。最初はもちろん通ってもらいたいのですが、患者さんにはずっと施術を受けるのではなく、そのうち卒業してほしいんですよ。悪くなったらまた来てね、というように。

日本でも同じように指導をした結果、徐々に変化が見られるようになった経験があるので、こちらでも積極的に自宅でできるセルフケアの方法を伝えるようにしています。

治療を受ける方からは、どういった悩みが多いですか?

一番多いのは首・肩こりや腰痛の悩みです。指圧ってすでに海外でも「SHIATSU」として認知されていて、「ジャパニーズ指圧」って言うと、それだけでブランド力があるようです。日本人の”おもてなし”だったり、日本人が施術をするというところに価値を見いだしていただいている人もいます。

オーストラリア人と日本人での違いが面白くて、例えば日本人は強く揉まれるのを好む人が多いですね。オーストラリア人は健康意識が高い感じがします。お客さんの年齢層は幅広くて、下は中学生くらいから上は70代くらい。お母さんがお子さんを連れて来院することも多いですよ。若い頃から体を整えようとする姿勢はなかなか意識が高いなと思います。

日本でもオーストラリアでも貫いているこだわりは?

お客さんが不調を訴えている箇所を重点的にやることですね。プロとして診ているうちに、患者さんが肩が凝っていると言っていても、原因がほかの場所にあったりするのが分かってアプローチの比重が変わっちゃったりするんですよ。

それで症状が良くなったとしても、患者さんは「肩をやってほしいのに、ほかの箇所が多かったな……」という感じでモヤっとした感情が残ってしまいます。カウンセリングをしたうえで、お客さんの要望にきちんと応えるようにしながら、症状を改善できるように持っていくことも必要です。

僕は基本的に「患者さんを治してあげよう」と思わないようにしていて。過去に自分の持っている力を超えた施術をしてしまい、失敗したこともありました。もちろん良くなってほしいと思っていますが、自分の持っている知識と技術を患者さんに最大限提供することが、僕のできる全てだと思っています。

患者さんが求めるものと自分が提供できるものの認識が違うと、事故に繋がる恐れもあるので、このスタンスはシドニーでもこだわっていますね。施術には自信を持っているので、もちろん症状は良くなりますが、それは結果で。僕は僕のスキルを提供することに責任を持って取り組んでいます。

オーストラリアで働く(生活する)なかで感じることは?

今はどちらかというと、どこまで自分の手技が通じるかっていうのを試している期間ですね。だからなるべく患者さんに接していろいろやってみたいという気持ちがあります。でも徐々にこっちで施術をしていて骨盤矯正の効果を実感してもらえることが増えてきて、それは少しずつ自信になっています。

オーストラリア人はすごく優しいですよね。オーストラリアに来て3日目くらいの時に、ブルーマウンテンに行ったんですよ。その帰りに「どこから乗ってきたんだっけ?」と、シェアハウスの最寄り駅が分からなくなっちゃって(笑)。駅員さんに住所を伝えたら、わざわざスマホを使って帰り方を調べてくれました。

来院されるオーストラリア人も、僕が得意でない英語でなんとか伝えようとしていたら、きちんと聞こうとしてくれます。どれだけ技術や知識に自身があっても、英語の不安を抱えている人は多いと思うので、これはオーストラリアでワーホリをチャレンジするメリットだと感じました。

仕事の息抜きには何をしますか?

自分の身体のメンテナンスをします。日本では月2回くらいは治療を受けていました。鍼灸師ですって自ら言う時もあるし、言わない時もあります。業界のあるあるなんですけど、わざわざ鍼灸師って言わなくてもお互いに分かるんですよ。ちょっとした会話でも「この人、専門の人かな……?」となるので。

もちろんセルフケアもします。でも背中や脈、ベロ、おなかは自分じゃ診れないので他の先生にやってもらうことで客観的に状態を把握できます。先生によって全然やり方も違うので、新たに発見もありますし、常に勉強していかなきゃっていう部分はあります。

あとストレス発散もかねてボクシングをやっています。肉が好きなので食べ歩きもかねてぶらぶらしたりと、出かけたいところがたくさんあるので時間が足りませんね(笑)。

今後の展望は?

オーストラリアの英語環境で頑張った後は、豪華客船の船上鍼灸師の資格を取得して、2020年の東京オリンピックの時には、船の上で勤務できるようになりたいですね。

豪華客船は僕が学生の時はそんなに認知されていなかったのですが、今はそこを目指す人がすごく増えていて。日本の免許を持っていれば世界中で鍼灸ができるんですよ。クルーズ船が停泊する国々で鍼灸ができる唯一の特例。そこにチャレンジしてみたいなって。

その後は、鍼灸専門学校の教員免許があるので、先生として日本に戻りたいです。国家資格を取得するための知識や技術を教えることだけでなく、海外で自由に働いて日本に戻った鍼灸師のロールモデルとなり「こういう道もあるんだ」と、選択肢を増やす手助けをしたいです。

もしワーホリに行くか悩んでいる人がいたら、まずは自分を信じて飛び出すことが大切かもしれません。自分にとってほんとうに必要な環境は、一度手放しても必要ならブーメランみたいに戻ってくると思うので。

取材・文:村上 紗英

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