【シドニー30日AAP】 髄膜炎にかかった乳児が5軒の病院をたらい回しにされた上、6週間後に死亡した件について、パラマッタ検死官裁判所で査問会が開かれている。死亡した乳児が最初に病院に到着してから抗生物質を投与されるまでに7時間かかったことなどが焦点となっている。
イライジャ・スラブコビック君(当時3カ月)は2009年、休暇先で髄膜炎に感染し、4月24日、パムブラ病院に到着。その後、ベガ、キャンベラ、シドニーの病院をたらい回しにされ、最終的にメルボルンの王立少児病院に搬送されたが6週間後に死亡した。
査問では、3番目のキャンベラ病院のドイル医師は、4月25日午前1時にミン医師と電話で会話しイライジャ君の受け入れを了承したが、実際にイライジャ君がキャンベラに到着したのは午前6時をまわっていたとし、搬送に遅延があったことを明かした。
さらに、イライジャ君が2番目に到着したベガ病院の臨時スタッフであるイェンシュ医師が当時ベガ病院に唯一いたミン医師に対して、イライジャ君に抗生物質を投与するよう指示したと述べた一方、ミン医師はこれを否定。キャンベラのドイル医師もイライジャ君に抗生物質を投与するようミン医師に指示したと述べたが、ミン医師は当初これを否定し、今回の裁判の中で初めて指示があったことを認めた。イライジャ君が静脈内に抗生物質投与を初めて受けたのは25日午前2時半から3時の間、ベガ病院の看護師によるもの。