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静と動、白と黒、豪と日。「字」の美しさを追求する書家/矢野仁

福岡県出身。オーストラリア政府公認アーティストとして活躍する書家矢野仁(れん)氏。力強くかつ繊細な美しさを持つ作品はたくさんの人びとに認められ 、日本人初となる書家としての永住権を獲得した。

巨大な紙と筆を使ったダイナミックなライブパフォーマンスは、言葉の壁を越えて多くのオーストラリア人を魅了する。昨年12月の「Matsuri Japan Festival 2018(祭りジャパンフェスティバル)」で、オープニングを飾り観客を魅了した「大書パフォーマンス」も記憶に新しい。

2010年に発表した作品「ふるさと」は、日本外務本省により日本の国有財産として承認され、現在はキャンベラの日本大使館に収蔵されている。時に力強く、時に繊細なタッチで書かれる作品は、ここオーストラリアで唯一無二の存在感を放つ。

日本書道の魅力と文化の紹介および継承を目的とした書道教室「RENCLUB」の運営を始め、月に一度のバルメインの和風旅館・豪寿庵でのワークショップ、2013年に映画「The Wolverine(ウルヴァリン)」の制作では書家として、2016年に公開された「Gods of Egypt(キング・オブ・エジプト)」ではセットフィニッシャーとして携わるなど、書を通じた活動は多岐に渡る。

またシドニーの老舗食料雑貨店である「東京マート」や「だるまグループ」のレストランの看板文字など、市内各地でその書を目にする機会も多い。

これまでにさまざまな輝かしい成功を収めた矢野仁氏の素顔に迫る。

高校の書道教師に憧れた幼少期?

小さなころから書道塾に通っていました。その時に教わっていた先生が、私の高校入学と同時に同じ高校に書道教師として赴任してきてと、その先生とはいろいろと縁がありました。

高校生ながら、傍目で見ていて感じることが多くて。先生は公務員だから生活は安定しているし、奥さんが書道塾を経営していて、そちらでも収入があって……。大きな家も建てたし、なんて充実した人生なんだろうと、そのスタイルに憧れていて(笑)。

書道教師になりたいという思いを胸に、東京学芸大学の書道科に進学することになります。

教員免許を取得したものの、書の道を歩むことに

東京学芸大学4年生のとき早々と教員採用試験の受験を諦め、当時アルバイトでお世話になっていた河合塾立川校の校舎長に相談して、卒業後は正社員として河合塾美術研究所で働き始めることに。

また、その時に出会った同僚が、その後の人生を大きく変えるきっかけになります。

書家としての活動も続けていたのですが、当時は「書道だけ」をやっていても自分の作品イメージを表現しきれないという気持ちが根底にありました。そこで、河合塾で働きつつ、一念発起して多摩美術大学の二部デザイン科を受験しました。

多摩美術大学ではデジタルグラフィックデザインを学びました。平面だけで終わらない奥行きなど、何か別の形を使って書道が表現できないかなと模索をしていましたね。

同僚を尋ねたことがキッカケとなり、単身シドニーに渡る

数年後、河合塾を退職した後に、当時ワーキングホリデーでシドニーで働いていた元河合塾同期の友人を訪ねました。彼は日本人以外の友達が多く、飲みに行って仲良くなった人たちに、「こんなことをやっているんだよ」と作品の写真を見せる機会がありました。

話の種にと持参した写真が、「グッド!」と評価され、その時は「なんか褒められた!」「オーストラリアでやっていけるんじゃないか?」と、手応えがあったような気がしたんですよね。

海外で働きたいという発想がなかったのですが、会社を辞めて今後どうしようか考えている時だったので、学生ビザでオーストラリアにやってきました。

オリンピック選手、世界的ミュージシャン、そして書家

オーストラリアに移住してからは、永住権取得を目指しました。

永住権が取得できると聞き、はじめはビジネス学校に通いました。いざ卒業する頃になると状況が変わってしまったのか、「今はビジネスでは永住権は無理だよ」と言われ、可能性が残っていたITの学校に進学し永住権取得を目指しました。

しかし、またITの学校を卒業する頃になると状況が変わっていて、ITでも永住権取得への道が閉ざされてしまいました。

学校へ行く資金も底をつき、学生ビザの期限も迫っていた自分に残された可能性は「書道」のみでした。書家としてスペシャルスキルのアーティスト部門で永住権を申請するために、ビザのコンサルに電話で相談を持ちかけましたが全く相手にされず、3カ所から断られてしまいました。

スペシャルスキルで永住権を取得できるのは、ほんの一握りの選ばれた人たちで、オリンピック選手や世界的に活躍するミュージシャン、芸術家のような人たちだけが永住権の可能性があると言われていたので、「書道をやっています」というだけでは永住権は取れないと散々言われましたね。

諦めかけていた時に、1カ所だけ「永住権を取得できなかったとしても返金はできないけれど、申請するだけなら対応しますよ」と言ってくれたエージェントがいて、ダメもとで申請をしたところ、4週間であっさりビザがおりました(笑)。

それから生活がガラッと変わりましたね。スペシャルスキルのアーティストとしてオーストラリアからビザをもらっていることになるので、「書道アーティスト」と胸を貼って名乗ることができました。

また、永住権取得がきっかけとなり、領事館や大使館からいろいろなお仕事の話がくるようになりました。

豪日の2カ国でアーティストとして認められた実感

アーティストとして永住権を取得した後は、シドニーのガバメント・ハウスで開かれた作品展「アート・オブ・フラワーズ」で、フラワーアレンジメントの柳沢さんの作品のバックに掛け軸を書いて欲しいという依頼がありました。それが、永住権を取ってから一番最初の大きな仕事でしたね。

書道は1枚の紙に絵のように長い時間をかけて接するわけではないんです。1枚の紙に接するのは短く、小さいものなら秒単位のこともあります。

書道は一発勝負と言いながら、何枚も納得のいくまで作品を作ります。「アート・オブ・フラワーズ」では、掛け軸の作品をそれぞれ100枚ずつ書いたので、軽く400枚以上は書いていることになります。

2010年に私の作品である「ふるさと」が、日本の外務本省に認められ、日本の国有財産としてキャンベラの在オーストラリア日本国大使館に収蔵されました。これによって、日豪の2カ国でアーティストとして認められたのは、たいへん光栄なことでした。

永住権が取れた時は、ただ「ビザが取れた! オーストラリアで生活できる」くらいでしか考えていなかったですが、外務本省から正式に自分の作品が認められたのは、私の書家人生の中でも大きな出来事でした。

「大書パフォーマンス」で豪日を繋ぐ架け橋に

オーストラリアでのメインの仕事は書道教室の運営で、依頼があればイベントで大書パフォーマンスをします。チャツウッド・コンコース内のアートギャラリーで展覧会をすることもありますが、やっぱりオーストラリア人に来てもらうことは難しい……。

逆に大書パフォーマンスは、「作品を書く」というより「動きを魅せる」こともできるし、なによりもライブなので喜んだり、感動したりしてくれるオーストラリア人はやはり多いですね。普段の作品作りではしないような、大きな動きをつけて書くことは、見ているみなさんにとっては新鮮だと思います。

「大書パフォーマンス」をする時は、盛り上がりを意識して、魅せることに集中して取り組んでいます。

「いち」「に」のリズムで伝える書

書のパフォーマンスでは、日本語を知らないオーストラリア人でも盛り上がってくれますが、書道を教えるとなった時に、日本語の壁が立ちはだかります。

ちょっと筆で作品を作りたい、ちょっと漢字で何か書いてみたいという人たちは、ワークショップに来てくれるんですけど、そこから継続して教室に来てもらうことは難しい。よっぽど日本文化に興味がある人じゃないと書道教室には通いませんね。

そこで、書道の体験を楽しんでもらえるように、特にオーストラリア人に教える時は、楷書なら「いち」「に」「さん」のリズムで運筆するところを、「いち」「に」で書くことのできる、木簡調で書いてもらうようにしています。ルールは少ない方がいいのでその方が簡単だし、案外アートっぽく見えるんですよね。

また、通常の稽古では半紙を使うんですけど、自分が揮毫した作品を持ち帰れるように、少し分厚い紙を用意して、作品として持ち帰ってもらえるようにするなど、オーストラリアの方にも満足してもらえるよう工夫しています。

紆余曲折の末にたどり着いた「餅は餅屋」という考え

若かった時は、「何か新しいことをやりたい!」とずっと考えていたのですが、本当に古典が大事だなと思うようになるには、ある程度のキャリアを重ねないとわからないものだと思います。

教える側に回ったときに、自分たちがやらされていたこと、受け身で今までやっていたことの大事さに気がつきました。ある時点から、専門家はすごいなという考えが生まれたんです。

この「楽」の漢字を使ったイラストのデザインの名刺は、ドイユウコさんというグラフィックデザイナーの人に頼んで作ってもらいました。名刺を自分で作ろうと思えば作れたんですけど、専門家に任せてみると一味違ったものができるので、やっぱりすごいと。

もちろん美大に通ってもいたので、イラストを自分で描くこともできますが、イラストレーターの方と戦って勝てるほどすごいのかと言われるとそんなこともないし、そこで私は何ができるかと考えたときに、やっぱり自分は書道だなと。

専門家の人はやっぱり専門家だと思います。自分でなにもかもの専門家にはなれません。だったら自分は自分の専門で、もう少し高みに行けるようにやるべきことがあると思います。だったらやっぱり書道で勝負していくしかないんですよね。

「黒」よりも「白」を意識させる

書道教室の生徒さんたちには、練習で白黒反転した作品を作ってもらうこともあります。白と黒を逆転させることによって、文字の内外の空間への意識づけをして、白の大事さを植え付けていっているんです。

その甲斐もあってか、生徒10人が応募した中華系新聞社の主催した書の大会で7人が入賞しました。彼らの実力では十分入選できるレベルなんですが、それを日本ではなく中華系の大会で入賞したのは、その作品が中国の人からも「いいもの」と評価されたということだと思います。

入賞した生徒さんは上手に揮毫するんです。書道教室にいるうちに字が上手くなってくれるのはやっぱり嬉しいですね。

書道の5段、10段を持っている人は字がうまいと思われがちですが、その人たちが長けているのは、「先生のお手本をコピーする能力」。字が上手い能力でも、その人が字を書ける能力でもないんですよ。

求められていることは、先生のお手本をコピーするだけの能力ではなく、さまざまな法帖(空海、最澄など昔の人が残した優れた書の手本)にある書の運筆技術や空間処理、また呼吸法などを取り入れた上で、自分なりの美学に従った字を書く能力です。

それを自分で書けるところまでにいくには、大きなジャンプがいります。書道何段とはまた違う大きなハードルを越えなければいけません。

書の伝道師として大切にしていること

大学の学科としての「書道科」という言葉は以前からあったんですけど、「書道家」というのは比較的新しい言葉なんです。

書を生業とする人たちは「書道家」ではなく「書家」と呼ばれていました。現在、各種メディアで活躍されている方が、書道家を名乗られていますが、それには書家とは一線を画しているという意志が存在するのかな思っています。

書道家の方を批判している訳ではありません。ルックスが良かったり、おしゃべりが上手だったりするので、そこから人気の火がつき、結果的に書道の普及にもすごく貢献していると思うんですね。

ただ、伝統的な書道をストイックに追求している書家の作品と、書道家の作品は確実に違う。もちろん書道家といってもさまざまな方がおられますが、中には独りよがりに見える作品を披露している方もいます。書は文字を扱いますのでルールが存在します。

そのルールを無視し、勝手に極端な変更を加えたのでは文字と呼べない場合もでてきます。テレビでそんな書道家の方の作品が披露されているのを見るたびに、これまでの伝統的な書道が間違った形で伝承されていくのではないかという危機感を覚えることもなくはありません。

中国文化を日本的に消化してここまで繋がってきた書道を、オーストラリアで紹介する大きな役目が自分にはあると思っています。オーストラリアで書の文化を伝えていけるのは私しかいないので、これからも責任を持ってクオリティーの高いものを紹介していきたいですね。

 

取材:西村 望美


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