♦幼児の夢と現実♦
かなり前の事になるが、私が幼稚園を卒園する前ののことである。
当時お絵かきが大好きだった私は、幼なじみの和美ちゃんといつもの様に床に寝転がりながらクレヨンセットでお絵かきをしていた。
そんな私とおさななじみの和美ちゃんに担任の先生が近づいてきて、和美ちゃんにこう質問した。
「和美ちゃんは大きくなったら、何になりたいのー?」
そんな漠然とした質問に和美ちゃんは、迷う事も無くこう答えた。
「およめさーーーーーん!」
幼児として、まっとうな回答である。 和美ちゃんのお母さんもさぞ満足であろう。
ちなみに同じクラスにいた別のお友達は、”おもちゃ屋さんで働きたーい”とか、”ケーキ屋さんになりたーい”とか、幼児なりの漠然とした夢を語っていて、担当の先生も、”あらぁー、なれるといいねぇー 頑張りましょうねぇー”と、とても微笑ましい光景がそこにあった。
もしこの光景に題名を付けるとするならば、”陽だまりの夢”あたりが良いだろう。
ただ、幼児と言っても一筋縄にはいかず、和美ちゃんのような優等生的な答えばかりではなく、変わりどころでは、”ピンクレディーのミーになりたーい”とか、”ドラえもんになりたーい”とか、5歳にして既にかなわない夢を抱き、”えっ・・・・ んーーー、なれるかなぁー? なっ、なれるといいねぇ・・・。”と先生を困惑させていた幼児もいた。
そんな中、私の順番がやってきた。
”みんな5歳なのに、大人になってからの夢があるなんて、すげーーなぁー”と思ったかは覚えてはいないが、子供の頃から”正直者”だけが長所の私は、大きな声でこう答えた。
”宝くじに当たりたーい!”
これでは、”人生の大逆転を夢見るOL女性”のフレーズである。
今から考えれば、担当の先生もドン引きしていたに違いない。
同じクラスの幼児が描く空想的な夢とは違って、”ただ、いっぱいお金が欲しいです。”と、物質的で貪欲な夢を語ったのは、5歳の頃のこの私だ。
そんな幼児期を過ごした私の情けない体験が、私の記憶の中だけでなく、”卒園アルバム”にもはっきり記載されているのだから、これまた情けない。
ひまわり組 野尻 勝一君の夢 ”宝くじに当たりたい”
我が息子の夢をこんな風に知らされるとは、私の両親も愕然としたに違いない。
”担当の先生も、ちょっとは気をきかせて文章の編集をしてくれればよかったのに・・・”、と自分のことをたなにあげて、先生にせいにしているのは、今年で35歳になったこの私だ。
こうして私は、5歳の時から両親をガッカリさせていたという記録だけをしっかり残り、30年が経過した今となっては、こんな所で自分の恥をネタに、不営利なブログエッセイの執筆に時間を費やしているなんて知ったら、泣くに泣けないと言えよう。
ちなみに幼なじみの和美ちゃんも今は35歳になって、4人の子供を持つお母さんである。 彼女がお母さんになったと言う事は、お嫁さんになった事に間違いは無いので、彼女の夢は叶ったと言える。
そんな幼なじみの和美ちゃんに先日お会いする機会があったので、その事を聞いてみると、彼女はあっさりこう言った。
”えっ? お嫁さんになる夢?? そんなの覚えてないわー!っていうか、4人も子供をもうけちゃってさー、お嫁さんというよりは、あたしゃ、おバカさんだわね。”
彼女はそう言って洗濯物の中にあった子供のパンツをたたんだ。
あれから30年も経ったが、”夢は人に言わないと叶わない”という誰かの声を信じて、あえてこの場を借りて30年ぶりに言わせてもらおうじゃないか。
”宝くじあたりたーーい!”
何だか夢に一歩近づいた気がした日曜の昼下がりだ。
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