ぜんそくの頃
私は小学生の高学年頃まで喘息もちであった。
うっかり風邪をこじらせたり、季節の変わり目になると、必ずといっていいほど気管支喘息と呼ばれる喘息が始まり、
夜になると息が苦しくて、朝まで枕を抱えてタンスにもたれて朝を待っていたものである。
当時こちらで見かけるようなパファと呼ばれるスプレー式の喘息リリースキットのようなものが無かった
(と思う)ので、ただただゼーゼー、ヒーヒーと苦しい夜を向かえ、ただただ数日間我慢する事だけが治療方法だったように思う。
一旦喘息が始まると、横になるとますます息苦しくなったので、一晩中座って長い夜明けを待つ事が
余儀なくされるのだが、座りながらでは一睡も出来ないので、幼い私にとって翌日の学校は大変厳しいものだった。
そんな時に限って翌日にマラソン大会があったり、一時間目から体育の時間があったり、
林間学校の夜に喘息が始まったときは、“あぁ神様、今ちゃんと息をさせてくれたら、
明日からちゃんと宿題をしますから・・・”と、急に神様にお願いをした事もあったが、
それで治った事は一度も無かったので、“やっぱり神様なんていないよな”と思うようになったのもこの頃だ。
神様だって、こんな子供の願い事は聞きたくも無いだろう。
そうこうしているうちに朝がやってきて、“そろそろ学校に・・”という時間になると、いいタイミング治まるという、私にとっては都合の悪いの喘息だった。
そんな私が一晩中ゲホゲホしていると、“あんたウルサイから、なんとかしー!”と、
横で寝ている姉に一喝され、“なんとか出来たらしてるわいーっ!”と言い返したとたん、姉に平手で叩かれ、
私は姉に服従せざられる事が何度もあった。
こうして私は、幼いながらにも年齢序列と社会においての強弱を生体験させて頂いたのだ。
そんな幼かった私でも、“親が心配するといけない”と、翌日はまるで何も無かったかのように学校に登校していたし、その事について学校の先生から親に連絡されるといけないので、先生にも特に相談したことはなかった。
それが本当に良かったのか悪かったのかは今でも分からないけれど、私はおかげで我慢強い人になったと勝手に思っている。今このご時世で、我慢強いのがいいかも謎だが、我慢強く無いよりはいいので、いいとしている。
ちなみに私の母は私の喘息を治そうと、私を地元のスイミングスクールに強制的に通わせ、
そのおかげかどうかはわからないが、私が中学に入る頃には喘息は治っていた。
その代わりといってはなんだが、当時流行のしらみをプールでもらい、また同じお医者さんに通う日々が続いたのは言うまでも無い。
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