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キレある蹴りを武器に五輪を目指す! 逆輸入の空手家/八尋恒存

9歳の時に父親に空手教室に連れてかれて以来、空手の道にのめりこみ、 16歳で初のジュニア世界選手権で銅メダルを獲得。オーストラリア国内大会では14歳の時に初出場してから、けがで欠場した2大会を除き、31歳の現在まで連勝記録を保持している空手家・八尋恒存(やひろつねあり)選手。代名詞ともいえる鋭くキレの良い蹴り技は世界トップクラスだ。

しかし、順風満帆な選手人生にも突如としてスランプが訪れる。思うように結果を出すことができず、「引退」という言葉が頭をよぎる程の窮地に追い込まれていた選手を救ったのは、旧友との再会と空手が東京五輪の正式競技に決定したというニュースだった。

今や数々の国際大会で結果を残し続け「誰だって工夫して継続できれば何事も一番になれる」と語る。結果が全ての厳しい空手の世界に生涯を捧げるその熱量は一体どこから湧き上がるのか?

「オーストラリアと日本」「スポーツと武道」、異なる2つの要素に向き合いながら、世界を相手に戦い続ける八尋恒存選手に話を伺った。

空手との出会いは、ある日突然やってきた

八尋恒存(やひろつねあり)と申します。今年で31歳になります。父親と叔父が日本語教師養成学校を経営しているので、オーストラリアには1歳半から住んでいます。僕自身は、日本語学校は土曜学校さえも一度も行ったことがなくて、ずっとローカルの学校に通っていました。学校では英語、家の中では完全に日本語で会話するうちに二言語は自然と覚えました。

空手に出会ったのは本当に「ある日突然」でした。9歳の時、突然父親に「車に乗れ」と言われて、空手道場に連れていかれたその日からどっぷりとハマってしまいました。父が空手道場に僕をつれていったのは、叔父の知り合いが先生をやっている道場を勧められたから、という単純な理由だったそうです。

僕自身、育ちも中身もオージーだと思っているのですが、父親は日本の「ザ・昭和の親父」って感じですね。厳しかったので、当時の僕には父に対して「NO」という選択肢はそもそもありませんでした。

16歳でオーストラリアを背負う、自分の中にある”なにか”が変わる

僕にとっての空手はずっと「競技」でした。13歳の時に試合で負けてしまってから、負けず嫌い精神に火がついて、それから家でも父親と一緒にスパルタ稽古をしていました。そうしたら、気づけばナショナルチームのメンバーになっていました。

16歳の時に出場した、2003年のジュニア世界大会が大きなターニングポイントになりました。オーストラリア代表として出場したのですが、自分以外全員一回戦で敗退したんです。そこで、なんとか3位に食い込むことができて。

オーストラリアは島国というのもあって、他国との交流があまりなかったので、そのとき初めて世界のレベルの高さを目の当たりにしました。ずっと空手を「やらされている感」がありましたが、それを機に「世界レベルを目指そう」という気持ちが芽生えました。

「大浴場で監督の背中を流す?」見て驚いた日本の風習

1歳半でオーストラリアに引っ越して依頼、初めて日本に帰ったのは18歳の時です。近畿大学の練習に参加するのが目的だったのですが、そこでは日本とオーストラリアの風習の違いに大きなカルチャーショックを受けました。

チームの監督は生徒から神様のように崇められていて、お風呂では1年生が監督の背中を洗っていたんです。その他にも、練習が12時スタートだと、1年生が9時、2年生が10時と下級生が早めに集合をして準備をしたり、練習後も先輩の胴着を洗濯していたりして。

それが日本の空手ならではの風習で、日本人選手の忍耐力などの秘訣であっても、オーストラリアではできないなぁと思ったのを覚えています(笑)。日本の常識をオーストラリアにそのまま持ってくると、やっぱり噛み合わない部分があったり、逆に問題になる可能性もあるので。

挨拶をするとか、目上の人には礼をするとか、日本では文化の一部であって空手に限ったことではないじゃないですか。特別意識してやっているわけではないと思いますけど、海外で空手をやっている人が日本でそういう光景を見ると「空手だから」「武道だから」と限定的に捉えてしまいます。

オーストラリアに限らず、日本以外の国では上下関係はあまりなく、フランクですね。選手はお金をもらってプレーをして、コーチはお金をもらって指導する、そういう関係性です。日本の文化や風習も含めて空手だと思うので、そこも一緒に広まっていけばいいと思います。

日本とオーストラリアの両国を背負う

考え方の違いはプレーにも出ます。海外の選手はスポンサーからサポートを受けている金額も大きいので、思いプレッシャーを背負っています。試合に負けてしまったら契約を切られてしまう厳しい世界であり、「武道」ではなく「スポーツ」なので、勝ちに貪欲です。

逆に、日本人選手は試合の内容にこだわります。いかに普段の練習の成果が本番に発揮できているかとか、いかに反則なく正々堂々と勝てるかとかですね。さすが発祥国といった感じで、日本人選手の試合運びや精神性には美学があります。

日本の文化って本当に素晴らしいじゃないですか。だから日本人の方はもっと誇りに思っていいと思います。僕自身どこの国に行っても「日本人はモラルがあって素晴らしいね」と褒められます。それは自分たちの前の時代の人たちが海外を周って、日本の素晴らしさを伝えてくれていたからこそだと思うので、その誇りは失いたくないですね。

僕はオーストラリア代表として、オーストラリアを背負っている立場ですが、日本人としての誇りを持っているので、正々堂々と試合をした上で勝利できるようにしています。世界各国の大会に出場し、日本人選手と試合をしたり観戦をする中で、いつも日本は素晴らしい国だなと再認識させてもらっています。

人生最大のスランプを救ったのは、空手が五輪競技になったニュースだった

2016年に大きなスランプに陥りました。どの大会に出場しても一回戦敗退ということが続き、引退することも考えていました。辛い時期でしたが、その時に救ってくれたのが元フランス代表で世界チャンピオンになった経験があるアズディン(Azdin Rghioi)とのオーストラリアでの再会です。

彼は既に引退をして、オーストラリアでコーチをしているということだったので、そこから一緒に練習をするようになりました。年齢も同じで、ジュニア時代には世界大会でよく顔を合わせていた2人。そんなアズディンから「一緒に東京オリンピックを目指そう」と声をかけてくれたことはすごく大きかったですね。

アズディンと稽古を始めてからは、フランス流の練習システムに変え、基本的なところから改善を始めました。ウェイトトレーニングや走り込みの時間を増やし、試合や練習を撮影した動画で振り返り、技の精度を確認するようにもなりました。ただ漠然と練習を重ねるのではなく科学的に進めることで、短くて内容の濃い練習ができるようになりました。

この時に気づいたことなのですが、自分の何かを変えたければ、アプローチから大きく変えていかなくてはならないということ。「もっと練習しないと勝てない」という感情は、精神的に空回りしてしまい、それが怪我にもつながります。オンとオフの切り替えも大事だし、追い込むことが常に正解とは限らない。スランプを通して大切なことを学びました。

拳で打ち砕く国境・人種・文化の壁

練習方法の改善をはじめた最初の半年は、なかなか変化が起きずに辛い時期となりました。これまでのコーチからは「ああ、ダメだな」という心の中の声がこちらにも伝わってきたのですが、アズディンはどんなときも僕を信じてくれます。

彼が信頼してくれるからこそ、僕も自分自身を信じて、妥協しない決意ができました。空手は「先生と生徒」でタテの繋がりが一般的ですが、僕とアズディンは「アスリートとコーチ」といったヨコの繋がり。元ライバルということで、コーチになった今もお互いに切磋琢磨をしながら練習に励んでいます。

空手の魅力は世界中に仲間が増えることです。「空手をやっている」という一つの共通点が、国境・人種・文化の壁を超えます。拳を交えて戦えば、不思議と仲良くなれるのです。今自分の周りにはサポートしてくれる仲間や一緒に練習している仲間がたくさんいます。ライバルであり、親友である仲間がいることは生涯の財産です。

畳の上にも5年。伝えていきたいのは継続することの大切さ

最近は道場で子供たちに空手を教えています。そこで大事にしているのは「継続すること」の大切さを教えてくこと。親御さんには最低でも5年は続けるようにお話ししています。短い期間では結果はやっぱり出ないですし、本当に競技の道を目指す子には、目先の結果よりも長い目で見て練習してほしいと伝えています。

「やらされる」よりも自分から「やりたい」と思えるような環境も大事です。空手だけではなくて、勉強や仕事など、どんな道に進んでも必要になるので、それを空手を通して教えていければと思っています。

競技としての空手の世界は甘くありません。稽古では痛い思いもするし、試合はトーナメント制なので、優勝者以外の子どもは全員負けて帰ってきます。その時に、どう接するのかは一番難しいところですね。僕は「負けたのは稽古が足りなかったから。また明日から頑張ろう」と教えています。

空手で叶える自分の夢

鳥居や家紋のイメージと、オーストラリアカラーであるイエローを使ったTeam T-Dogのロゴ

今30歳で、次のオリンピック(東京五輪)が終わったら、選手として活動することからは引退しようと考えています。そのあとのビジョンは明確に決めているわけではありませんが、海を渡って他国のナショナルチームを指導してみたいと漠然と考えています。

自分の同年代の空手仲間も引退した後、少しずつ海外に出てコーチを始める人が増えてきて、それがすごく楽しそうで。自分が今まで得てきたものを教えて、今度はコーチとして一番を目指すってすごくやりがいがあることだと思います。

コーチ経験を積んだ後はボクシングや空手など、競技の枠を超えた格闘技のジムを友人と経営していきたいと話しています。競技の垣根を超えて格闘技を楽しむ環境をつくりつつ、才能のある選手がプロとして活動していくための道を作りたいなと。

そのために「Team T-Dog」というチームをつくりました。モットーは「アスリートサポートネットワーク」で、総合格闘技など分野問わずにお互い刺激しながら高めていく集団を目指しています。将来的にはプロモーションなどを通じて組織をもっと大きくして、格闘技に励む若者の支えになるバックボーンになれたら理想です。

プレッシャーを跳ね返す喜びが恐怖に勝る

最近、出場する大会では手応えを感じています。東京オリンピックの選考対象である「International Basel Open Masters 2018」が9月のヨーロッパ遠征期間中にありました。

世界チャンピオンを4回経験しているアガイエフ(Rafael Aghayev)選手と対戦をして、判定負けはしたもの同点まで持ち込み3位に入賞。そこから世界チャンピオンとも競り合えるという自信がつき、自分がやってきたことは間違っていなかったという確信がもてました。

ヨーロッパは練習のレベルや選手たちの意識がとても高いです。彼らの周りにはライバルがたくさんいて、常に自分が見られている感覚をもっています。「ここで勝たないとダメ」みたいな状況に置かれるとやっぱり燃えるものがありますね。プレッシャーに押しつぶされる恐怖よりも、それを力に変えて跳ね返したときの喜びの方が大きいです。

今年度はあと東京、スペイン、上海で国際試合があります。スランプ期間は結果が出なかった分、どんどん世界大会で結果を出してリベンジしていきたいですね。

特別な思いを持って臨む東京五輪への思い

インタビュー担当の編集スタッフ千葉と。ユーモアやサービス精神に溢れているのも八尋選手の魅力。

今の一番の目標はやはりオリンピックです。全体で80人の選手が出場権を得られる中、オセアニア地域から出場できる男子選手枠はたった1人。その出場枠を勝ち取るには、国際大会に挑戦して世界ランクを上げていかないといけません。

少し前までは引退まで考えていたにも関わらず、このタイミングで空手が五輪競技になり、しかもそれが東京開催。なにか運命のようなものを感じますし、出場権を獲得してメダルを持ち帰りたいですね。

また、空手の魅力が発信され、それがオーストラリア国内の盛り上がりにつながればいいなと思います。

取材:德田 直大
文:千葉 雛


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