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パースからシドニーを163日間ランニング横断、高繁勝彦氏(アドベンチャー・ランナー)

パースからシドニーをランニングで横断した日本人男性がいる。163日間の壮大なプロジェクトに挑んだのはアドヴェンチャーランナー、高繁勝彦氏。

空腹や孤独に耐えながらもさまざまな出会いの中で見えたものは。

 

人と人が出会うことで平和が生まれてくる

走ることを通じて平和のために何かできないかと2004年に三重県伊賀市の自宅から伊勢神宮まで約70km、大晦日の晩にスタートして伊勢神宮で世界平和をお祈りするということから始まったのが、PEACE RUNという試みです。

私はもともと、大阪、愛知、三重で教員として英語を教えていましたが、2010年に体調を崩して退職しました。走って旅をしたいという思いがずっとあり、教員を辞めてから日本縦断ランニングの旅を企画し、旅の中でいろいろな人と出会い、人と人が出会うことで平和が生まれてくるのではないかと思うようになりました。

日本縦断中に間寛平さんのアースマラソン(陸路2万km、ヨット2万km)、地球一周を走るというチャレンジに刺激され、「5大陸4万kmを二本足だけで行こう」これが“PEACE RUNプロジェクト”として動き始めることになりました。第1章としてアメリカ大陸横断を計画していたのですが、出発直前に東日本大震災が発生しました。そのときに「RUN X 10(ランバイテン)運動」という1km走るごとにランナーが10円を貯金して被災地に送る運動を始めました。たくさんのランナーにSNSを通じて呼びかけ、これがメディアにもとりあげられ、誰でも気軽にできるということでいろんな人が取り組んでくれました。このRUN×10(ランバイテン)運動に自分自身も取り組みながら、その後アメリカ横断を走破、そして今回第2章として2つ目の大陸、オーストラリア横断をこの度、果たすことができました。

 

旅をしているときは走るか、食べるか、寝るか

旅をしているときはほとんど走っているだけなんですよね。走るか、食べるか、寝るか(笑)。朝は日の出とともにスタートするので、だいたい4時くらいには目を覚まし、6時にスタートします。特に、40度、50度まで気温が上昇する地域があると聞いていたので、極力涼しい時間帯に走り終えられるように計画を立てました。1日の移動距離が60kmを超えるような場合には、16~17時まで走ることもありましたが、1日40~50kmを目標移動距離とすると、6時にスタートして早ければ14時くらいには目標地点に到達できました。

また、45度を超える日はオフにしていました。40度を超えると、43度でも、48度でも暑いことには変わりません。頭がボーっとしてくると、今が暑いのかどうかもわからないほど神経が麻痺します。暑い日には木陰があればなるべく木陰で頭を冷やすために、少し走ったらクールダウンしていました。

 

お腹が減ると人間はネガティブになる

オーストラリア横断の中でもっとも過酷な環境だったのが、砂漠の荒涼とした風景が約1200km続くナラボー平原。街がなく、水や食料等を手に入れられるロードハウスが100〜200kmごとに点在するだけ。水・食料の無補給区間は最長190kmあり、これまでアメリカ横断の際に経験した120kmよりはるかに長い距離でした。1日50kmを走るとして、2日で100km、4日で約200km。車は時折通りますが、炎天下でも木陰すらなく、人と出くわすこともないような砂漠の平原を延々と走らなければなりませんでした。

ナラボー平原に入る直前に、4・5日はなんとかなるだろうという量の食糧を買い込みました。しかし、それも食べ続ければなくなるばかり。最初にたどり着いたロードハウスをのぞいたら、置いてある食べ物も限られていて、ポテトチップスやチョコレート、テイクアウェイのフィッシュ&チップスなど…。分かってはいましたが、ビタミンやミネラル補給のための野菜や果物はほとんど手に入らない…。この先のロードハウスもこのような状態であれば、かなりまずいぞ、と思いました。

今の時代はインターネットを通じて、こういった苦難や試練の状況を発信することができるし、困難にぶち当たっている時にも、仲間からの激励のメッセージももらえるのでそれだけでも救われたと思っています。

お腹が減ると人間はネガティブになります。毎日、食べ物がどれだけあるのか、今日の夕食はこれ、明日の朝食はこれ、と頭で自然に考えます。特殊な状況下ではストックを常に管理し、次のロードハウスではこれを買おう、と考えます。しかし、実際にロードハウスに行って見ると食材がない場合もしばしば。普段は置いてあるのに売り切れてしまっていたり…。食べるものがあったとしても、常に「ない」という気持ちで節約しながら少しずつ食べていました。水も同様でガブガブ好き放題は飲めません。ただ、ロードハウスに着いた時は、「今しか飲めない」、と思ってビールをガブガブ飲みました(笑)。 食べ物がなくなると思考や精神状態も次第にネガティブになり、「これで本当に大丈夫なのか…」と深刻に思った時もありました。恐らくそれを超えると人間はイライラして攻撃的になり、そんな状況がきっと戦争を引き起こすのではないかと感じました。

そんな時、婚約者のぴあぴ(天球ぴんぽんず・ヴォーカル)とその友人2人が予告もなく突然現れて、日本からたくさん食べ物を持ってきてくれました。今考えれば、彼らが来てくれなければナラボーでギブ・アップしていたかもしれません。精神的に弱気になっていた時でもあったので、それをきっかけにようやくポジティブになることができました。あれはちょうど自分の誕生日の前の日、10月21日。(ナラボー平原を通過するのに)1ヵ月くらいかかっているので、ちょうどナラボー平原の中心部辺りのことでした。

ただ、ありがたいことにキャラバン(キャンピングカー)やロードトレインがひんぱんに走っていたので、何かあった時には手を挙げて助けてもらえるという頭もありました。(ナラボ-平原の)中心部に進むにつれ、こっちが手を挙げなくても通りがかりの車が毎日のように4〜5台止まってくれ、食料も買わないのにどんどん増えていきましたね。オーストラリアでは持っている人が持っていない人に「これ、どうぞ」と分け与える場面がごく自然に見られるのです。シェアすることの大切さを身を持って経験しました。

 

競い争う“競争”ではなく、いろんな人と共に走る“共走”へ

以前は自分の肉体の限界にチャレンジしたい、自己ベストを出したい、という思いでフルマラソンやウルトラマラソンを走っていましたが、今は、競い争う“競争”ではなく、いろんな人と共に走る“共走”へと変わってきています。速くなくてもいい、ゆっくりでもいいから、遠くまで行く、というスタイル。これはPEACE RUNのポリシーにもなっているのですが、“ゆったり、まったり”走ることを目指しています。気持ちに余裕を持って、決して自分を追い込むことはしない。やっていることを楽しまなければゆったり、まったりした気分になれません。

また、この旅にもつながりますが「あせらず、あわてず、あきらめず」という考え方も大切にしています。焦ると人は必ず自分を見失ってしまいます。あわてるというのも失敗やトラブルにつながります。でも何があっても最後までやり続けること。競い合う競争は、どんなにいいタイムが出せたとしても最終的には自分ひとりの世界で終わってしまいます。ところがみんなと一緒に走るのであれば、みんながつながるし、みんなとつながります。誰かと走っていると、走りながらいろいろな大会の話題がでたり、練習方法を相談したりすることもできる。一緒に走ればすぐ友達になる、というのがランナー。一緒に走り同じ時間、空間をシェアするということを拡大していくと今の旅のスタイルになります。

行った先々でいろんな人とつながって、また別のところにつながりが広がっていく。今回もシドニーにゴールするまでにいろんな方につながっていきました。一人のお友達がまた違うお友達につながる…。そしてまたひとつのグループとまた別のグループがまたつながる。自分を接点にして様々な人々をつなげていくことが、ひょっとしたら自分のミッションなのではないかと思っています。これを拡大していくと地球70億人をつなげることも実際に不可能ではありません。一人でも多くの人と出会い続けることで世界が平和につながっていけばいいな、と思っています。

 

※東日本大震災被災地への義援金について※

震災から丸3年が経過し、他の地域の人にはもう終わったものというイメージでとらえられていますが、地元の人たちは今も仮設住宅での生活を強いられたり、自分の生まれた街に戻れないという方が多くいらっしゃいます。オーストラリア横断中にもPEACE RUNの活動に共感してくださった多くの方が、寄付してくださいました。この活動は被災地が完全に復興するまで続けていきたいと思います。公式サイトに口座も設けています。皆様のご協力をお願いいたします。

詳細はこちら→http://www.peace-run.jp/

 

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