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シドニーを拠点に指揮を振る日本人、村松貞治氏(指揮者)

ストラスフィールド交響楽団をはじめ、シドニーのコミュニティオーケストラや合唱団で指揮を振る日本人指揮者がいる。村松貞治の名を聞いてピンと来る人も少なくはないだろう。現在はシドニー日本人合唱団Sakuraの指揮者としても知られる音楽家だ。

イギリスとシドニーで指揮を学びながら研鑽を積み、現在はシドニーをベースに活動の舞台を世界に広げようとしている。これまでの道のりで彼が何を学び、そして今ここシドニーでどのように音楽と関わっているのか…。村松氏の音楽への思いに耳を傾けてみよう。

 

なぜ指揮者になろうと思ったのか…

初めて指揮を振ったのは中学生のころです。中学生の頃にはもちろん指揮者という職業が存在することすら知らなかったのですが、吹奏楽部の部長だったので指揮を振る機会が結構あったんです。その流れで高校のときに楽器(ホルン)で音楽家になりたいと思い、音楽大学に行くつもりったのですが、後輩に「いや、それはもったいない、先輩なら指揮科でしょ」と乗せられ、そこから勘違いが本格的にスタートしたということになるんです。

 

指揮者になるために…

高校3年のときに指揮科というものが存在するということを後輩から教えてもらったのですが、もともと楽器で音楽大学に行く準備をしていたので、そこから指揮を勉強してもちょっと遅すぎるということで高校を卒業してイギリスに渡ったわけです。イギリスだったら英語も勉強できるし、ウチの親曰く、音楽でダメでもつぶしが効くのでは、ということで語学と音楽の勉強を始めました。

大学と音楽院で実際に勉強した期間は7年くらいでしたけど、結局イギリスには10年いました。個人的にはもう少しイギリスにいたかったのですが、永住権の敷居が非常に高く、仕方なく日本に帰ってきて海外のコンペティションで知り合った日本人の方々にお仕事を紹介していただいたりしながら東京で指揮の仕事を始めました。イギリスの大学院で勉強したし、日本に帰ったら仕事があるもんだと思っていたんですけどこれが全然なかったんですね。

 

シドニーに来たきっかけは…

日本に戻って感じたことは、音楽のレベルが高いということはもちろん、人間関係が厳しく生きていくのはたいへんだ、ということでした。ちょっと具体的には言えないですけど…。そんな状況もあり再び海外に行きたいと常にチャンスをうかがっていました。そうこうしているときに運良く文化庁の新進芸術家海外研修制度の研修生に選ばれ、晴れてシドニーの音楽院に派遣されることになったというわけです。

 

シドニー(オーストラリア)の印象は…

正直言って、音楽に関してレベルが高いイメージはないし、活発ではないというイメージがありましたね。実際に来てみてオーケストラの数がそれほど多くなかったり、音楽をやっている人の絶対数が少ない、分母が小さいというイメージはありました。でも天才というかすごい人はちょこちょこ出ているので、そういう風に考えると充分に面白いとも思いました。

シドニー音楽院で2年学んだんですが、じつはこの2年がすごく楽しくて…。僕の先生はアメリカに住んでいるハンガリー人だったので、授業ではシドニーとかオーストラリアという感じがまったくなくて、レッスンは、ヨーロッパの匂いというかスタイルというのがいつもありましたね。生徒もイギリス人、アメリカ人、ポーランド人、オージーと、インターナショナルだったので刺激的でしたね。

 

イギリスとオーストラリアの違いは…

イギリスで学んでいるときには自分でオーケストラを作ったんです。ちょっと声をかけると、結構すぐに人は集まるし、場所もウチの教会使っていいよ、というようなオファーもあったり…。人を集めるのにすこし時間はかかりましたけど(フルサイズ60人にするのに3年かかりました)、まあ10人、20人と徐々に大きくしていけたのです。オーストラリアに来たときも、すぐに(指揮棒を)振るために、まずは同じことをしようと思ったら、こっちの学生はとりあえずお金の話しをするんですよ。メンバーも学生なのにお金がかかる、これはちょっとショックでしたね。今思えばイギリスでオーケストラを作るのは楽でしたね。

 

現在の仕事のペースは…

現在は5つほどの団体を掛け持ちしています。ストラスフィールド交響楽団、ロックデールオペラカンパニー、ウィロビーシンフォニー交響楽団合唱団、シドニー日本人合唱団Sakura、鈴木メソッドのオーケストラなどです。今はどちらかというとコミュニティ系が多いのですが、今後はプロの方にもう少し顔を出したいと思っています。

日本では、プロのオーケストラで振らせていただいているんですけど、そういうプロのパーセンテージをもう少し増やせていければと思っています。おかげさまで日本の仕事も4年ほど続けさせていただいていて、もう少し売り込んだ方がいいかな、と思うときもあります。シドニーに来てからは、この国で指揮を学んでいる人間がそんなに多くないので、誰かが指揮者をさがしているとシドニーの音楽院に話しが回ってきてお仕事をいただく、そしてそれを成功させるとそこでまた名前が広がるという風に 仕事が増えていきました。不思議なことなんですけどね。

 

シドニー日本人合唱団Sakuraの取り組みについて

日本人の合唱団でお仕事をするのは初めてですが、やればやるほど責任の重さを思い知らされます。日本人合唱団ということである意味日本代表になってしまう部分があり、だから失敗できないというプレッシャーがすごくありますね。とは言え、メンバーのみなさんが音譜を見てさっと読めるプロではないので、ある程度のレベルを維持するために厳しくやりすぎると今度はついて来れない人もでてきてしまう…。そういう“バランス”がむずかしいところですね。

 

この仕事をしていてうれしかったこと…

コンサートが終わったときに観客の拍手に応えるためにオーケストラを立たせるカーテンコールというのがあります。それを2回繰り返し、まだ拍手が止まない場合は、もう一度立たせようとします。ところが指揮者へのリスペクトがある場合はオーケストラがわざと立たないのです。それをやっていただいたときはうれしかったですね。こちらの人はそれこそ良かったら拍手が止まずにカーテンコールを何回も続けるんですよ。オーケストラがいい加減もう早く帰りたいって思うくらい続けるんですよ。でも逆によくなければ1回で終わりってこともあるみたいですが…。日本では、カーテンコールは2回がしきたりみたいなところがあるので3回以上のカーテンコールは経験したことがありません。僕が未熟ということもあるんですけどね…。

 

この仕事をやめたい…

2007年にチェコの指揮者コンクールに入選した際、コンクールの本番に臨み、3回戦中1回戦で敗退したときは凹みましたね。他の指揮者を見る機会もあり、自分がいかにそのレベルに達していないかということをまざまざと思い知らされ、これ以上続けるのは無理だと思い、そのあと1週間の滞在のほとんどの時間をベッドの中で過ごしました。今までの人生の中で一番落ち込みました。そのあともイギリスに戻って、1カ月くらい寝込みました。ハンガリーやルーマニアのコンクールにも参加することが決まっていたので勉強もしなければいけなかったのですが、とてもじゃないけど音符を見るのもイヤになってしまって…。そのときには自分の才能のなさを痛感し、将来を考えましたね。

 

目が覚めた一言

そんな落ち込んでいる最中にイギリスでお世話になっている日本人の方とごいっしょする機会があったんです。その場にたまたま日本から一時的に来ていたその方のお父さんもいらしたのですが、次のコンクールを控えている状況だったので取り繕って「じゃあまた次のコンクールも一応やるだけやってみます」みたいなことを言ったら、そのお父さんに「やるだけやるとはなんだ、結果出してナンボの世界だろ」と初対面なのにすごく怒られまして、「お前は何しにここに来ているんだ」「結果を出しにわざわざ親がサポートしてくれているのにやるだけやって満足する世界なのか?」と問いただされ、そこで目が覚めたんです。おかげさまでそこから立ち上がり、次のハンガリーのコンクールでは入賞することができました。芸術だからって「残念でした、また次にがんばりましょう」ではダメだと、もっとハングリー精神を持てとその方から教わりましたね。そこから僕の音楽に対する姿勢は変わってきたと思います。

 

この仕事をしていく上で大切にしていること…

バランスです。音程のバランス、人生のバランスなど、なにごともバランスが重要かなと思っています。例えば、すべてのリハーサルは時間が限られているわけで、その中で音楽的に突き詰めていくことも大事だけど、お客さんにもエンジョイしてもらわないといけないという部分もあるわけです。言い方は悪いけどある程度の妥協もしなければならないときもあって、そういうことを考えると僕のやっていることで重要なのはバランスではないかと思うのです。それは仕事だけでなく、遊ぶときはとことん遊ぶということも大事ですし…。音楽と音楽以外のバランスも大切だと思っています。

 

シドニーで暮らすということ…

イギリスと比較することしかできないんですけど…。イギリス人(の友達)が好きで、その部分では離れたくなかったんですが、住む場所としては厳しかったですね。僕がイギリスに住んでいた当時は、食べ物のレパートリーがあまりない、天気もあまりよくない、そしてじつはインターナショナルではなかったのです。特に僕が住んでいた街はすごく田舎だったので、アジア人を見たことがない人がたくさんいて、子供が僕をお猿さんを見るような目で見るなんてことも経験しました。

そういう意味でシドニーはすごく住みやすいですね。他国の人とどう接すればいいか、完璧な英語じゃない人とのコミュニケーションにもこっちの人は慣れているので、すごく暮らしやすいと思います。6年前にこちらに来てすぐに子供が生まれたということも大きいとは思うのですが、シドニーで暮らしながらたまに日本で仕事をするという距離感も非常に心地いい感じがします。

 

あなたにとって指揮とは?指揮者とは?

まず指揮者ってクリエイティブな仕事ではないということ。作曲家が残した作品を通して聞き手とコミュニケートする。そこに僕の我は入れない。僕だったらこうするではなく、作曲家ならこうする、こうしたかった、と意図を汲み取る、読み取る仕事なので、英語で言う“チャネリング”じゃないけど、作曲家の思いを僕を通して“言葉”として伝える伝達者だと思っています。たまに「クリエイティブな仕事ですね」などと言われることもあるのですが、全然そうじゃない。逆に考古学者みたいな仕事だと思っています。ステージ上は結構派手に見えますが、じつはやっていることは地味なんです。

 

これからの展望は…

指揮者の一番脂の乗っている年齢って死ぬ前くらいなんですよ。生涯ビルドアップしながら死ぬまで現役という職業なので、まだまだ僕はひよっこですね。いわゆる熟練の指揮者って無駄がない。僕の場合は、無駄に熱くなって動き回って今にもジャンプするんじゃないかってくらいものすごく動いてしまう。ベテランの方々は、おじいちゃんなのでそうは動けないということもあるんですけど、洗練された動きをするんです。動きに無駄がない。リハーサルでの説明も言葉に無駄がない。僕は知識もなく無駄な言葉をどんどん使って説明する、無駄だらけなんです。これを削ぎ落していきたい。言うのは簡単でやるのはすごくむずかしいんですけどね…。

 

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