2024年日本人会ゴルフ部9月度例会を開催しました
2024年日本人会ゴルフ部9月度例会リポート 開催日:2024年9月15日(日) 開催場所:Windsor Golf Club 参加人数:12名 …
18年1月16日、サッカーの元ブラジル代表FWのロナウジーニョ(37)が正式に引退をすることが、実の兄であり代理人も勤めるロベルト・デ・アシス・モレイラ氏から発表された。ロシア・ワールドカップ後の8月頃には、ロナウジーニョ引退イベントの開催を考えているという。
サッカーキング 「ロナウジーニョが37歳で現役引退・・・代理人の兄が発表『これで終わり』」
その華麗なテクニックとクリエイティブなプレースタイルから、「ファンタジスタ」としてブラジルを始め世界中の多くのファンから愛されたロナウジーニョ。今回は、そんな彼の偉大なキャリアを振り返る。
そういえば、最近ロナウジーニョって何してたの?という方に基本情報と、引退までの過去所属クラブを紹介。
現在37歳のロナウジーニョは、2015年9月にブラジル・フルミネンセを退団した後は、所属クラブがない状態が続いていた。16年8月には、オーストラリアのWollongong Wolves(ウーロンゴン・ウルブス)がロナウジーニョにオファーを出していたが、結局オーストラリアの地でのプレーは見られなかった。17年にはバルセロナの大使を務める。
本名 | ロナウド・デ・アシス・モレイ(Ronaldo de Assís Moreira) |
国籍 | ブラジル/スペイン |
生年月日 | 1980年3月21日(37歳) |
出身地 | ブラジル ボルト・アレグレ |
在籍チーム | 無所属 |
ポジション | FW/MF |
年 | クラブ |
1998-2001 | グレミオ |
2001-2003 | パリ・サンジェルマン |
2003-2008 | バルセロナ |
2008-2011 | ミラン |
2011-2012 | フラメンゴ |
2012-2014 | アトレチコ・ミネイロ |
2014 | ケタレロ |
2015 | フルミネンセ |
2001年、フランスリーグのパリ・サンジェルマンFCと5年契約を結ぶ。同年8月のリーグ戦デビューし、10月オリンピック・リヨン戦では移籍後初ゴールを決める。
2002年FIFAワールドカップのブラジル代表メンバーとして、5度目の優勝を果たす。同年夏に背番号を10に変更し、パリ・サンジェルマンで2年目のシーズンに挑んだ。観客にスタンディング・オベーションを受けるプレーもあったが、2002-03シーズンはチームと自身の不調からリーグ戦11位、欧州カップ戦出場を逃す。これをきっかけに、ロナウジーニョは他クラブ移籍を希望した。
FCバルセロナに移籍。ACミランとの親善試合で初出場初得点で勝利。クラブ史上最悪ともいえるバルセロナの前年シーズンから、攻撃の核としてクラブの勝利に数多く貢献。シーズン前半戦は負傷欠場も続いたが、復帰後からは9連勝を飾るなどして、チームをリーグ戦2位に導いた。
ロナウジーニョを核としたチーム編成がなされ、2004年にはFIFA最優秀選手賞を受賞した。さらにチームとしても、最高得点&最小失点で移籍後初のリーガ優勝に導いた。
2005-06年は、ロナウジーニョ、バルセロナ共に絶頂期と呼ばれるシーズンとなる。2005年、ロナウジーニョはFIFPro年間ベストイレブンと年間最優秀選手賞を受賞し、同年UEFA年間最優秀選手賞も受賞した。さらに、FIFA最優秀選手賞も2年連続受賞となる。このシーズン最も印象的なプレーといえば、2015年11月19日、宿敵レアル・マドリーとの一戦である。ロナウジーニョは、マドリーの守備陣を1人で打開して見せた。このプレーは、アウェーの場でバルセロナの選手がマドリーファンからのスタンディング・オベーションを受ける数少ないケースのひとつとなる。
さらに06年、ロナウジーニョの活躍もあり、バルセロナはリーガ2連覇とUEFAチャンピオンズ・リーグ優勝という2冠を達成した。同年、UEFAチャンピオンズリーグの大会最優秀選手にも選ばれる。
ロナウジーニョ個人としては、リーガ戦50得点目を決めるなど、ハードスケジュールの中攻撃の要として役割を果たした。2006年、ビジャレアル戦でのオーバーヘッドは、今でも史上最高のゴールのひとつとして賞賛されている。
だが、チームは主力選手の長期離脱もあり、リーガ、チャンピオンズリーグ共にタイトルを逃し、06-07シーズンは無冠に終わってしまった。
2008年2月、FCバルセロナでの公式戦通算200試合出場を達成。しかし、このシーズンもチームとしては無冠で終わってしまった。その要因に、ロナウジーニョが夜遊びのために遅刻や仮病を繰り返し、チームのモチベーションを乱したことがある。08年の夏、ジョゼップ・グアルディオラ新監督が決定し、ロナウジーニョはバルセロナ脱退を発表した。
2008年7月、イタリア・セリエA のACミランと3年契約を結んだ。9月には、インテルとのミラノ・ダービーで初得点を挙げ、チームの中で存在感を示していた。09-10シーズンも、調子を上げるとチームに大きく貢献した。
しかし前年同様、不摂生や夜遊びを繰り返すような生活態度を指摘され続けた末に、11年1月ミランとの契約を6ヶ月あまり残しながらクラブを去った。
2011年1月に、母国ブラジルのCRフラメンゴと契約。多くのリーグ優勝に貢献したが、15年報酬の未払いなどを理由に一方的に契約を解除した。
12年6月、アトレチコ・ミネイロへ移籍。13年には南米のクラブ王者を決めるコパ・リベルタドーレスでクラブ初の大会制覇に貢献。バルセロナ所属時代のチャンピオンズリーグ制覇を含めて、史上8人目の欧州、南米の両大陸王者となった。
14年9月、メキシコのケレタロFCに加入するも、数ヶ月で退団。
15年7月、再び母国ブラジルに戻りフルミネンセFCに入団。2ヵ月後に退団して以来は無所属。
2003年から5年間FCバルセロナに在籍し一時代を築いたロナウジーニョは、17年2月にクラブの大使に就任した。今後数年、バルセロナのイベントや、サッカークリニックに参加する。
FCバルセロナの黄金時代を築き、ファンを楽しませ続けてくれたロナウジーニョ。スーパースターの引退は、一時代の終焉を感じさせる。サッカー界にも偉大な影響を与えきた彼の今後の活動は、どのように私たちを楽しませてくれるのだろうか。
文・村上紗英
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