最初の日本酒半額!本格焼肉ビュッフェがシドニーシティに新登場
日本から輸入した本格和牛焼肉とお寿司、惣菜が食べ放題のビュッフェレストラン「Gyuniku Buffet」が、シドニーのチャイナ…
東京の『タテルヨシノ』や、パリにある『ステラマリス』、大阪の『ラシーム』での修行を経て、大阪中之島『DUMAS』でシェフとして活躍した船岡勇太氏。2015年に日本最大級の料理人コンペである『RED U-35』にノミネートされ、ミシュラン調査員が認めたコスパの良いレストランに与えられる『ビブグルマン※』を若干29歳で獲得した。
苦楽を経験した後、絶好調だった彼が得たのは、一人のアスリートのためだけに料理を作る専属シェフの誘いだった。2018年より、本田圭佑選手の専属シェフに就任し、美味しくて身体が喜ぶ料理を作り、パフォーマンス向上に貢献している。
料理に対する情熱を絶やすことなく、理想に向かいひたすら前進し続ける船岡勇太氏に、これまでの歩みと、一流アスリートの健康を支える専属シェフとしての役割、食を通して人を幸せにしたいという夢について語ってもらった。
※ビブグルマン:『ミシュランガイド』に導入された評価指標。良質な料理を手ごろな価格で提供する店舗に与えられる印
僕が生まれたのは滋賀県の土山(つちやま)という場所です。小さい頃から食べることが大好きで、一番好きだった思い出の料理は母が作るハンバーグ。祖母が作るきんぴらごぼうと味噌汁も大好きでした。
高校に進学したときから少しだけ料理に興味はありましたが、それを仕事にしようとは1ミリも考えていませんでした。特にやりたいこともなく、毎日深夜に家に帰宅していました。家では、祖母が僕の帰りをずっと待ってくれていたんですよ。何かと世話を焼いてくれていたので、料理をするときに不便そうにしている姿を見て、自然と手伝いをするようになったんです。
それから祖父が病気になって、家で介護をしていました。ある日、家に祖父と2人きりになった時に小さな声で「お腹すいた、なんか食べたい」と言われて、ちゃんと料理をしたことがなかったので無視していました(笑)。
でも、何度も言ってくるので仕方なく料理を作ったんですね。その時に作った料理は、「塩、米、ゴマ」を使った「お粥」でした。
お粥を食べた祖父は、涙を流しながら「ありがとう、おいしかった」と言ってくれたんですよ。その一言がきっかけで、料理人を目指そうと思いました。勉強もできないし器用でもないですが、祖父のおかげで「自分が作る料理で人を笑顔にしたい」という夢を持てたのです。
初めて働いた『タテルヨシノ』の先輩は本当に尊敬できる人ばかり。社会人としての意識や常識がない僕に、たくさんのことを教えてくれました。料理をしている姿がかっこよくて、誰よりも努力している背中を見て、いつかこんなシェフになりたいと思っていました。今こうして料理を続けられているのも、修行の間に出会ったシェフたちのおかげです。
『タテルヨシノ』で修行中、フランスの『ステラマリス』というレストランで働く機会をいただきました。突然のことだったので、言葉も何もわからないままフランスへ。フランスでは、毎朝6時半からスタートして、深夜1時に終わるという環境で仕事をしていました。
体力的にかなりきつかったですが、フランス人のシェフたちは仕事が終わった後、飲みに行ってたんです! あまりにも驚いたので「なんでそんな元気なの?」と聞いてみたら、「俺たちいい仕事してるだろ? お祝いしないと」と言ってきました。その時に、楽しむ気持ちが違うんだと気づかせてくれたんです。
これまで先輩に怒られないようにビクビクしながら料理を作っていましたが、仕事後に飲みに行って、生き生きと働くシェフたちを目の当たりにし、「料理は楽しんで作るべきだ」ということを学びました。
仕事が休みの日には、本場のフレンチ料理のお店へ行って食べてまわりました。いろいろなレストランを訪れているうちに、カジュアルでもやっていることは本気で、食べている一人ひとりの笑い声が聞こえるお店を持ちたいと思えるようになったんですよね。
その後、日本に戻り『DUMAS』で勤務を始めました。たくさん経験をしてきて自信があったので、生意気ながら社長に店を引き継ぎたいと伝えました。その当時は、29歳で勢いもあり、運も良かったので、ミシュランの『ビブグルマン』を最年少で取ることができたんです! それからは、コラボしたいと仕事の話が入るようになりましたね。
何もかもが絶好調で、完全に天狗になっていましたね。他のスタッフたちに偉そうに振舞ってしまい、絶対になりたくないと思っていた偉そうな先輩に自分がなっていたのです。結果、多くの人が店を辞めてしまったし、お客さんがくれる料理のコメントに耳を傾けなくなったら、お客さんもいなくなっていました。
そんな中、昔働いていた店の先輩シェフに再会したのです。店の現状を伝え、相談したところ「お前そんなんじゃ料理できへんわ。その時点で料理向いてない。誰の為に料理してるの? 俺はスタッフとお客さんのためにしてるよ」と言われたんです。ハッとしました。
これまで料理を美味しく作るのが料理人の役目だと思っていましたが、人と向き合うことの大切さを気づかせてもらいました。その後は、料理だけではなく、仕込みや買い出しも後輩たちと一緒にするようにしたんです。そうやって過ごしていると、後輩たちも喜んでくれて、店の雰囲気がよくなっていって、自然とお客さんも増えていきましたね。
シェフとして働いている中で独立したいという気持ちが強くなり、独立するために店舗用の物件を探していました。そんな時に、タイミングよく沖縄にある『星のや竹富島』でシェフとして働かないかと誘われたんです。これからはそこで経営の勉強などもしていけると思いましたね。
住居なども全て用意してくれる高待遇の条件で「よし、行こう!」と決めた矢先、本田選手から連絡がきたんです。実は、親しい知人から「船岡さんにぴったりの仕事があるよ」と言われて、軽い気持ちで専属シェフ募集の案件に自分のプロフィールを送っていたんです。
びっくりしたのは、プロフィールを送った次の日に本田選手から連絡がきて、直接本人と話したこと! 話しているうちに少し熱くなり、「人を笑顔にする料理人になりたいです!」と自分の夢を伝えたら、「勇太さんの料理で僕を支えてください」と本田選手が言ってくれたんです。びっくりしすぎて、電話越しで泣いてしまいました。
専属者シェフとして働くことが決まったのですが、『星のや竹富島』でシェフとして働く契約をしていたので、予定通り一度沖縄に行きました。怒られる覚悟で「辞めさせてください」と土下座し、専属シェフの話をしました。どんな罵倒も受ける気持ちで説明したんですが、最終的には応援してくれたんです。その時の恩は今でも忘れません。
選手や食材と会話をしながら料理を作ることを一番重視していますね。毎日市場に行き、自分の目で見て美味しそうな食材を選んでいます。そして、なるべくシンプルで何を食べたか分かるようなメニューを考えますね。もちろん塩やオイルなどにもこだわって、身体にいいオーガニックのものを取り入れています。
本田選手は食事の後に「美味しかったです」と言ってくれる人。毎回詳しく料理の説明をして食べてもらっています。料理に込めた想いを伝え、本人に納得して美味しく食べてもらうことが、身体だけでなく心も健康にする秘訣だと信じているんです。
試合終わりにはよくステーキを出します。栄養学的には、夜にこってりとした料理を出したらダメだと言われるかもしれないです。でも、本人が楽しみにしている料理を僕は出してあげたい。ステーキがこってりとしている分、野菜をスムージーにして出すなど工夫をして、睡眠の質が落ちないように気をつけていますけどね。
選手に美味しく食べてもらって、モチベーションを高めるのも専属シェフの役目だと思っています。
僕にとって、「身体が喜んでいる」「パフォーマンスがよくなった」と本田選手から言っていただけることが、なによりのご褒美です。
「今日はどんなものが出るのかな?」と楽しみにしてくれているので、彼を驚かせようとより良いメニューを考え、1品1品、喜ぶ顔を見ながら作っています。僕が超一流プレーヤーの本田選手の身体を作っていると思うと、ぞくぞくしますね。
でも、相手の健康を預かっているというプレッシャーは感じています。1回の食事で病気になってしまう可能性があるので。それは本田選手だけではなく、家族や所属チームの関係者たちにも迷惑をかけることになります。もし、彼がプレーできなくなったら、全員を露頭に迷わすことになる。だから、彼が怪我をした時は自分のせいだと思うほど、真剣に向き合っています。
そう思えるようになった背景には、本田選手からの影響があります。彼は、常に周りの人のことを第一に考えて生活している人なんです。人の事を考えて動いているので、困っている人がいれば助けてあげるんですよ。
ある日、本田選手の付き添いでカンボジアに行くことがありました。とても綺麗とは言えないキッチンで、カンボジア人と一緒にカレーを作ったのですが、そこで作ったカレーを食べたら、見事に食中毒になったんです。その時は、カンボジアが嫌いになりかけましたね(笑)。
でも、翌日にカンボジア人の女の子が、僕の体調を心配して生姜湯を持ってきてくれたんですよ。言葉が通じなくても、お互いに想い合えば心が通じ合う。そして、食べることや飲むことから得られる幸せは、世界共通なんだと身をもって感じましたね。
カンボジアに行くようになってから、彼らの食生活に興味を持ちました。ある日、彼らが食事をしているときに「これは美味しいの?」と聞いてみたら「農薬がたっぷり使われているし、美味しいとは思わない。オーガニックの食材が安全だと知っているけれど、これを食べないと生きていけない。良いものを食べられるほどお金がないからね」と言ったんです。
彼らも知っていながら変えられないこの現状に、カンボジアはこのままではダメだなと思いました。以前までは、「誰かがなんとかするでしょ」と他人事のように感じていたんですけど、誰も何もしないからこんな状況が続いているんですよね。そんな中、本田選手はカンボジアを救いたいと毎日のように話していて。僕は自分の事しか考えていないことに気づきました。
本田選手は常に勉強をし、努力をしています。そんな彼から強く影響を受けて、自分が出会った人、これから出会う人を幸せにしていこうと考えるようになりました。「サッカーで人を幸せにする」というのが彼の夢であるならば、「料理で人を幸せにする」というのが僕の夢です。
カンボジアに行って再確認したのが、僕達は食べられるものを平気で捨てているということ。これってどうなのかなと。カンボジアの人たちにとっては、その捨てられた食べ物ですら安全なのになと考えちゃいます。カンボジアへの旅行がきっかけで、料理を通して何ができるのかを考えるようになりました。
時代はデジタル化が進んでいますが、僕はアナログの良さをもっと表現していきたい。市場は既製品の食べ物で溢れていて、大量生産で作られた食べ物には愛情がこもっていないんですよね。アナログの方が人間味があって良いじゃないですか。
今、多くの人が「食材はオーガニックがいい」と言っていますが、もともと世の中の食材はすべてオーガニックでしたよね。人がデジタル化しすぎて、それを壊していったんです。だから、もう一度アナログに戻すことで、自然とオーガニックが当たり前になると思うんです。
僕たちが、今から始められることはたくさんあります。たとえば、「食べきれない量の料理は注文しない」「頼んだ料理は全部食べる」「信頼している農家から食材を買う」とか。これらは、もっと考えて取り組んでいかなければいけない課題だと思います。
既製品の食べ物は大量に作られていますが、実は日本の飲食業界って人手不足なんですよ。レストランで通用しなかったから料理人を辞める人を今までに見てきましたが、そんな風に諦めてほしくないです。一人ひとりの強みや個性を活かせる料理人になれるように手助けしたいですし、やりたい道で料理を作れる機会を増やしていきたいです。
今後日本に帰国する予定なのですが、今年の10月に自分の店を持つ計画をしています。僕は料理人なので、最終的なゴールはミシュランの一つ星を取ること。あと、料理人たちの働く環境も変えていきたいです。頑張った人は報われるようなお店にしたい。
運や出会いが良かったから活躍できている人もいますが、出会いに恵まれることは、その人の努力の結果だと思うんです。こんな人に会いたいとアンテナを張って過ごすことや、この人みたいになりたいと努力することがどれだけ大事かということは、僕の経験から自信を持って言えます。
30代になるまでは無名の料理人だったけれど、自分を信じて行動したら誰かのためになれたんです。だから、シェフの卵たちに「目標や夢を持って!」と伝えたいですね。何歳になっても夢は叶うんだよって。あと、今僕がこうやって活躍できているのは、周りの人たちのおかげです。誰かに何かをしてもらったら、次は2倍で返そうと思っています。だから、次は誰かの夢を叶えられる人になりたいです。
総じてぶれない想いは、食を通して人を幸せにすること。料理人は2つの手で人を幸せにすることができます。だから、これから活躍する人たちは、料理人として誇りをもってほしいです。
取材:西村 望美
文:會澤 貴美代
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船岡勇太氏の情報はこちら
Facebook: 船岡勇太
Instagram: @yuta11985
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