こころの相談室で総務を担当しているキャルです。
宜しければ音楽を聴きながらお読みください。なぜか日本らしく感じられるのですが……私だけでしょうか??
http://www.youtube.com/watch?v=FUfmDXbnC7M
先日、知人とKu-Ring-Gai Chase National Parkに行った時のこと。
久しぶりに夜空を見上げ、感じ直しました。
――本当にきれいな星空だな。と。
思わず年甲斐もなく、地面にあおむけになって、目に見えるものすべてを星空にしてしまいました。
その日は快晴。雲も少なく、世界で一番綺麗だとも言われるAustraliaの大気の中で、1分間に2~3個の流星が流れ、風の音だけが聞こえる。
とても、贅沢な時間でした。
そこでふと思い出した本が2つあります。
1つは吉行淳之介『星と月は天の穴』。
もう1つはティト・ムコパディヤイ『沈黙の向こう側』。
前者はまさしくタイトル通り。
まるでコンペイトウのような星の1粒1粒が、まるで天を穿った穴のように見えたからです。
そしてこの本の内容を思い出しかけた時、後者が思い浮かびました。
正確にはこの本の中のある詩を思い出したのです。
少し長いですが、転載します。
「考える木」
夜なのか
昼なのか
どちらちもいえない
日光の温かさをまだ感じられないから
ぼくは考える木
ぼくは考える木として生まれた
生まれる時に高らかな声をきいた
お前を考える木にしてやろう
お前という人間はたったひとり
誰もお前のようにはなれないだろう
お前は考える木
ぼくは見ることも話すこともできない
けれど、想像することはできる
希望を抱くことも期待することも
痛みは感じるが、泣くことはできない
ただ、痛みが治まるまで待つだけ
待つ以外にできることはない
不安や心配は
どこか奥深くに閉じ込められている
根のなかかもしれない
樹皮に閉じ込められているのかもしれない
あの声をいつかきくことがあれば
視覚をくださいと頼んでみよう
声の主があらわれるかどうかわからないけれど
あらわれると期待しよう
期待通りになるかもしれない
ならないかもしれない
ポーシャ・アイバーセン、小川 敏子『ぼくは考える木―自閉症の少年詩人と探る脳のふしぎな世界』(2009年1月 早川書房)
詳細は省きますが、これは典拠にある通り、重度の自閉症の男の子が綴った詩です。
多文化主義の中で許容されるナショナリズムやアイデンティティはそれぞれでしょうが、
私たちは、基本的に他人のことを完全に理解することはできないのかもしれません。
それは、家族であれ、恋人であれ、長年連れ添ったパートナーであったとしても。
だからこそ、面白いのかもしれません。
ただ、私たちはそれを忘れがちです。
自分の中で作り上げた思い込みや、考え、経験などによって、
勝手に相手のことを全部理解したつもりになっていることって、
特に若い間はよくあるのではないでしょうか?
そして、大人になればフィルターを作りあげがちです。
―― 絶対にわからない。絶対に無理。
―― こうなんだから、どうせこうなんでしょ。
自閉症の人は表現することが出来ないだけで、ちゃんと聞いている、
と正しく理解していた人はいるでしょうか?
自閉症の人には聴覚型と視覚型があり、得意なものが違う、
ということを以前から分かっていた人はいるのでしょうか?
自分の中で一人でに作り上げたフィルター、それをまずは取り除いてみませんか?
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