日系コミュニティ

あしたデスカフェ11/27。自分の人生を単語で表現。

2019年10月23日(水)日本語デスカフェ

参加者は、みな日本人永住者の4人。最近は10名前後が平均で、今回は珍しい少人数でしたが、それだけに全員でじっくり話し合うことができて、得るものが多い会となりました。

シドニー五輪体験者が、東京五輪に想う・・

前日に、日本で即位の礼がありました。また来年、東京オリンピックがあります。メンバーの中には、この機会に日本訪問して、観戦の予定のある方も・・!

2000年のシドニーオリンピックを経験している永住者も複数いて、国民の熱くなり方に違いを感じないか?という話になりました。

シドニーのときは、オリンピックがあるんだよなあくらいが一般庶民の捉え方で、そう言えば道に旗が立ってきたなあと直前まであまり意識されていず。オリンピックのチケットも全然売れていなくて、一週間くらい前になったら急に意識し始めてチケットを並んで買い始めたりしました。

それに比べて、日本人の東京五輪の、前々からの意識の仕方はすごい!と感じる。チケット購入が高い競争率になり、東京五輪にからめて自分の夢を語る日本人の若者がたくさんいたり。

国民性のちがいでしょうか。みんなが注目するものにはわっと注目する日本人の国民性もあるのでしょうか。一方、個人の流れを大事にするオージー・・・。そんな話になっていました。

デスカフェにどんな意味を感じているか?

終活のことを考えるのは、とても大事。終末期の生活は、誰にでも起こ理、考えておかなくてはならないこと。その情報や実感を日本語で聴けるということが貴重で、日本語だからスムースに入ってくる。

ここで過ごしている日本人永住者として、終活をどうしていくのかというテーマが常にある。あなたもそうか、と気持ちや状況を共有できたり、そういうアイディアや考え方もあるか、と取り入れることができてとても良い、と評価していただきました。

本日のワーク「自分の人生を、漢字や単語1〜3つ程で表現」

本日のデスカフェ・ワークは、「ご自分の人生を、漢字や単語1〜3つくらいで表してみてください」というものでした。

<参加者のワーク>


「誠実」ひとにも自分にも誠実でいたかった。それを大事にして来た。人を大事にするのには、自分も大事にしていないと無理。だからそれも大事にしてきた。
「努力」人は常に不完全なので、ずっと努力してきたと思う。


「街角で一つしか選べない道」それが人生だと思う。今まで自分がチョイスしてきたことに後悔という文字はない。
「心に素直なことば、行動」日本にいた若いころは一言で言えば、世間知らずだった。オーストラリアに移ってきて素直に自分を表現できた、自分で行動を起こす、自分らしさを出せる、のがすごく心地よかった。
「人生いろいろ」です。


「感謝」すべて感謝しかないです。ありがたいです。自分の体があるということ。3つの夢があった。スポーツ選手になること。外国に住むこと。世界旅行をすること。それがすべて叶ってきた人生だった。
「夢」
「旅」
「運」タイミング

4 世話役のワーク
「心・感じる」ずっと心で感じてしまうことに注目し続けてきた。それを仕事にもした。ずっとそれと関わっている人生です。
「流れ」とにかく流れてきた。流れとともにきた。過去のことはすべて、体験から学びはするが後悔はしない。それに行かざるを得ない自分がいたなあとそこに置いておく感じ。
「旅」旅で見る風景や体験が、なにより好きで、楽しみだった。広い世界をとにかく見てみたかった。特に喧騒の東南アジアや中東。自分の人生自身の流れも、旅であったと思う。

外国に住み続けて思うこと

参加者全員が日本永住者だったので、外国に永住している実感の話になりました。

ひとの生活はどこに住もうがあんまり変わらず、日本に住もうが、外国に住もうがあんまり変わらないという感覚はある。生活は生活。言葉や習慣が違うが。ひとのクセが、多少ちがう。もう外国に住んでいるという意識もなく、住み続けている自分がいる・・・。

当地の良いところを感じながら生きる

気候が日本よりあたたかい。テロや犯罪が比較的少ない。天災が日本より少ない。物価が高いが、逆に考えると経済が強い。日本食がいっぱい食べられる。良いところを見て、満足に感じながら生活するのが大事だと思う。

人生には「流れ」「川」のイメージがある・・・

世話役のワークにもあったように、人生には「流れ」「川」のイメージがありますね、という話になりました。大きな流れの中に生きている。それといっしょに行く。人生を充実したものにしようとして、一生懸命泳ぐし、選んだこともあるけれど、そのときそれしか選べなかったり、成り行き的にそこに行くしかなかったり、そう行った流れのようなものがある。そして、それで良いのだと思う。

数回前のデスカフェで披露された元禄時代の尼さんの句、「世の中の世過ぎの様のあけくれは、流れの縁の花にこそあれ」が思い出され、もう一度披露されました。江戸時代である元禄時代の人も、人生を川のようなものだと、現代に生きる私たちと同じような感覚で思っていたのですね・・・。

若いころに抑圧されている部分があった自分から、年をとって自由になっていく感覚

若いころに、姿形は今よりきれいだったろうけれど、抑圧されていた部分のあった自分を感じる。それが年をとるごとに、その抑圧から解放され、自由になり、自分をもっと受け入れて自分と仲良くできるようになったり、自分なりに社会の中で機能できるようになっていく、そういう風に生きて来られたひとは幸せだと思います。そうしていき
たいものです!という話になりました。

次回のデスカフェは今年最後、11/27(水)10:30 amからです!

どなたでも、日本語で自由に死と生、終活やグリーフについて話し合いたい方なら歓迎です!参加ご希望の方は、世話役やの(0416−006−835)まで一応テキストください!

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