豪州最大の日本酒イベントと商談会、メルボルンに続きシドニーで...
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ビーター典子さんと息子のリッキー選手/画像引用元:Belgravia Foundation
世界最高峰の障がい者スポーツ大会で、トップアスリートが高いパフォーマンスを競う世界的なイベント、パラリンピック。夏季・冬季大会それぞれ4年に一度、オリンピック終了後に同じ場所で開催されています。
今年2024年、夏季オリンピックのパリ大会が閉幕し、パラリンピックは8月28日(水)から9月8日(日)の日程で開催! また、2032年にはブリスベン大会での開催も決定しており、オーストラリアでの夏季大会の開催は、2000年のシドニー大会に続き2回目となります。
さまざまな障がいのあるアスリートたちが、おのおの創意工夫を凝らして限界に挑むスポーツは、多様性を認めて誰もが個性や能力を発揮することで活躍できる公正な場です。アスリートたちが世界一に果敢に挑む姿からは、世界レベルの素晴らしいパフォーマンスはもちろんのこと、社会の中にあるバリアを減らしていくことの必要性や、普段の生活における発想の転換が必要であることにも気づけるはず。
JAMS.TVでは、今回パリ大会パラリンピックのオーストラリア代表に選出された個性豊かなアスリートたちの中から、パラ水泳のリッキー・ビーター選手に注目!
自閉症とADHDを抱えるリッキー選手は、日本人の母とオーストラリア人の父を持つ若き競泳選手。すでに国際的な評価を得ており、200m個人メドレーでのタイムは世界第6位。2020年の東京大会にも同じくオーストラリア代表として出場し、チームメイトと共に優秀な成績をおさめています。
パリ大会では「200m自由形S14」「200m個人メドレーS14」100m背泳ぎS14」の3種目に出場するリッキー選手ですが、彼の母親として息子さんをサポートし続けているビーター典子さんに、リッキー選手のパラリンピックへの道のりとパラ水泳という競技の魅力について、詳しくお話を伺いました。
ビーター典子さんのお話を聞き、リッキー選手をはじめとしたパラリンピックの個性豊かなオーストラリア代表チームを、同じオーストラリアから応援してみませんか?
【リッキー・ビーター(Ricky Betar)選手のこと】
2003年大阪生まれ。1歳の誕生日を迎える前に家族の近くに住むためにオーストラリアのNSW州に移住(父はオーストラリア人、母は日本人)。10歳のときから競泳のトレーニングを開始。現在はQLD州のUniversity of Sunshine Coast Swim Clubに所属。幼い頃から優秀な成績を収め、全米年齢別選手権や地元の水泳大会で数々のメダルを獲得してきた。15歳の時に国際大会デビューを果たす。2019年のオーストラリア選手権では、INASの50m自由形の世界記録を更新して5つのメダルを獲得、同年にロンドンで開催された世界パラ水泳選手権への切符を手にした。2020年の東京パラリンピックでは、混合4×100m自由形S14で銀メダルを獲得。世界新記録を樹立した優勝のイギリスから6秒弱の差だった。さらに、200m自由形S14と100mバタフライS14でも決勝進出を決め、それぞれ7位と8位に入賞した。詳しくはこちら。
NSWCHS州大会のリッキー選手 2018年(画像左)、パラリンピックオーストラリア代表に選ばれたリッキー選手 2024年(画像右)/画像引用元:Westfields Sports Facebook
「知的障がいのある水泳選手としてパラリンピックに出場できるとわかった瞬間から、それが僕の目標になりました。今はライフガードとして働きながら2度目のパラリンピックを控えていますが、自信がありますし、パリで何が起こるか本当に楽しみです」と、リッキー選手は「Belgravia Foundation」のインタビューで語っています。
パリ大会での活躍が期待されるリッキー選手の献身的なサポートをしているのが、母親であるビーター典子さん。
6歳の頃に自閉症と診断されたリッキー選手に、今となっては彼に欠かせない水泳との出会いを与え、13歳で水泳クラブのコーチからパラリンピック選手としての道を提案されてからも変わらず、厳しいトレーニングの送り迎えや日頃のコミュニケーションを続けてきました。
「リッキーが自閉症だという診断を受けたのは、彼が6歳の時でした。自閉症とADHDという障がいから、なにせ落ち着きのない子でしたが、勉強は難しくても運動は体力がありそうだったので、色々なことを経験させてみたんです。空手やテニスなど本当に色々と体験させてみて、そのうち、水泳だけは自分から率先して準備して用意をしてきたんですよ。水にいるのがすごく気持ちいいのか、心地いいのか、2時間でも3時間でも水にいる子で。家の近所にプールがあったこともあり、それをきっかけに水泳を続けるようになりました」
泳ぐことが好きなリッキー選手。典子さんは「自閉症の子はひとりきりの世界にこもりがちなので、ひとりにさせないように私から無理にでも話しかけたり、 ごはんもひとりで食べていようものなら横に座って、今日どうだったと色々な話をずっとしています」と、水泳の練習でも普段の生活でもリッキーさんのことを気にかけているのが日常です。
「当時住んでいたNSW州リバプールからオーバンの水泳クラブで、障がい者の家族も全くいなくて健常者の家族と泳いでいたんですけど、リッキーは10〜11歳の頃から州大会でも年齢別の上位に入賞してメダルをたくさんもらうレベルでした。そのクラブには、元々パラリンピアンのコーチがチームにいました。リッキーが13歳の時、そのコーチから声をかけられたんです。事前にリッキーに自閉症があることを話していたのですが、『その障がいの認定を受けることで世界レベルでも泳ぐことができる』と提案を受けました」
典子さんは、水泳を楽しむリッキー選手がパラリンピックを視野に入れることについて、初めは少し不安だったそう。
「目に見えない知的障がいなので、人に言わなければわからない。親としてはやっぱり、障がいが子どもにあることを公表するのにちょっと躊躇していたんですけど、リッキー本人はかなり乗り気でした。それで、本人の好きにすればいいかなと。コーチに全部お任せしていたら、あっという間に世界のトップ5レベルまで上り詰めました。
彼は落ち着きがなく学習障がいがあるので、通常のアプローチでは学べずコーチは大変だったと思います。私もどこに行っても恥ずかしい思いはしましたし、リッキーは小学生の頃から先生に怒られていましたし」
パラリンピックを目標に掲げることになり、これまでとトレーニングなどに変化はあったのでしょうか?
「パラリンピックで泳ぐようになったからといって、トレーニング内容が変わったわけではありません。ただ、パラリンピックの競泳では、各障がいレベルによって泳ぐ種目が決まっているんですね。その種目だけしか泳げないので、種目に沿った練習をするようにはなりました。
それよりも、どの水泳選手の親も経験することだと思いますが、水泳って朝早いんですよ。朝5時〜7時ぐらいまで練習して、学校へ行って、放課後またプールに戻って泳ぐ。その送迎がちょっと大変でしたね。リッキーが運転免許を取得するまで、当時はシドニー西部の郊外のリバプールからオーバンの水泳クラブまで、週に4〜5回、朝4時半頃に家を出ないといけなくて(笑)」
典子さんは、リッキーさんが幼い頃から続けているサポートについてこう語ります。
「リッキーが自閉症の診断を受けた時に私が決めたことは、学校や水泳クラブのボランティア活動に参加すること。自分の親がその場にいることで、子どもも周囲に溶け込みやすくなるかなと思ったので。長年水泳クラブの役員を続けていて、学校でもPRC(日本のPTAに当たる役職)になり、子どもがもっと生きやすいように自分から積極的にコミュニティに参加しています。
当初は学校の仕組みもわからなかったし、水泳についてもボランティアを始めてから学びました。リッキーが高校生の頃も水泳クラブの役員として働いていましたが、ある時プールのマネージャーから『水泳の先生にならないか』と誘われたんです。思いきって挑戦してみたら面白くてハマってしまって、今も水泳の先生しているんですよ。QLD州の水泳協会の審判員と水泳クラブのオフィスの事務員もやっています。色々やってよかったなと思っていますね」
じつは、と典子さんは表情を曇らせました。
「障がい認定を受けたリッキーが国際レベルで泳ぎはじめた時期、SNSの水泳コミュニティなどでバッシングを受けたんです。それまで、QLD州のトップレベルで健常者として泳いでいたのに国際レベルで泳ぐようになったものですから、『どうしてそんな急に障がい者になるんだ』という感じで…。当時リッキーは13〜14歳でしたが、心ないことを書く人がいて辛かったです。本人は気にしていないんですけどね、もう言わせとけと(笑)。
パラリンピアンであるためには、本当に水泳が好きじゃないと無理ですよね。 ある水泳コーチが『水泳選手は変わっているからこういうことをするんだ』と冗談混じりに仰っていて、そう思います。リッキー本人は水泳に熱があることをあんまり認めないんですけど、オリンピックの水泳競技なんかを観ていると、解説者よりも他の選手のことをよく知ってるんですよ。音声解説もなしにずっと観ているんです。もちろん、パラリンピックの選手のこともよく知っているし、各選手の得意なところや具体的なことも理解しているので、やっぱり好きなんだなと思いますね。
結局、その人たちは彼の小さい頃を知らないわけですし、もう開き直るしかないなと思って。だからというか、余計に私もボランティアに参加しようと決めたんです。せめて『そういう人たちよりも私はマシだ』と思える自分になるために」
東京オリンピック2021で、Ricky Betar, Ben Hance, Ruby Storm, Maddie McTernanのオーストラリア代表チームは、混合4x100m自由形リレーS14で銀メダルを獲得/画像引用元:Australian Paralympic Team
前回2020年のパラリンピック東京大会で、リッキー選手はオーストラリア代表チームとして混合4×100m自由形S14で銀メダルを獲得し、個人の200m自由形S14と100mバタフライS14でも決勝進出を決め、それぞれ7位と8位に入賞しました。今回のパリ大会の代表に選ばれるまで、リッキー選手はどのような日々を送っていたのでしょうか?
強いて言うなら「リッキーは我慢を覚えたと思います」というのが、典子さんの答え。
「東京パラリンピックを終えてオーストラリアに帰国後、東京大会に一緒に行ってくれたオーバンのコーチが引退することになり、新しいコーチを探さなくてはけないけなくなったんです。オーバンのコーチは今でもリッキーと連絡とってくださっている人間的にも素晴らしい方です。リッキーにパラリンピックの世界を教えてくださったのもそのコーチですし、13〜17歳までの大事な成長期をコーチと過ごしていました。
そんなコーチがいなくなってロスを感じていたはずですが、リッキーは自分なりに新しいコーチを探していました。新しいコーチを見つけても、最初は上手くいかずにどんどんフォームを崩し、タイムが落ち…。色々なところを転々としてから、キャンベラで今のコーチと出会えて、ようやく調子が戻ってきた時期から、ロックダウンも終わったので私たち家族とまた一緒にQLDに移って暮らすことになりました。
リッキーは自閉症なので、環境が変わること、適応することが苦手なんです。だから、本人は辛かったと思いますが、何も言わず本人なりに調節して、オリンピック選考会では良いコンディションに持ってきて良いタイムが出せました」
典子さんのパートナーや勤め先の人々によるクラウド・ファンディングにより、今回はリッキー選手のいるパリ大会へ典子さんも渡仏することができるそう。パリ大会では、どんなことを楽しみにしているのでしょうか?
「今回、夫の友人や私の勤め先などに支援いただき、おかげさまでゆっくりと行けることになりました。ヨーロッパの街並みを見るのも観光として楽しみですけど、やっぱり色々な人に会えるのが楽しみかな。私、人と話すのが好きなんです。昔、ケアンズでパンパシフィックというパラ水泳大会の国際試合がありまして、小さなプールだったんですけど、各国から親御さんがいらしていて、みなさん国旗を持って大盛り上がりだったんですよ。それをパリのパラリンピックのプールでも見られると思うと、ものすごく楽しみです!」
2020年11月には、Hancock Prospecting Australian Virtual Short Courseの200mメドレーS14で2分7秒77を記録し、世界新記録を樹立したリッキー選手/画像引用元:Australian Paralympic Team
リッキー選手が出場するパラリンピックの水泳競技には、どんな見どころがあるのでしょうか?
タイムを競う点は一般の水泳と同じですが、パラ水泳の特徴は選手がクラス分けされているところ。機能障がい、視覚障がい、知的障がいなど、障がいの種類もレベルもそれぞれ異なるため、同程度の障がいごとに細かく分けられたクラス内で公平に戦い、競技能力に差が生まれないようにしています。そうして、障がいに応じて泳ぎ方を工夫したり用具を使うなどルールを一部変更することで、選手が持つ身体機能、運動能力を最大限に発揮することを可能にしているのだそう。
「飛び込み台の上に選手が立った時、みなさんは『手がない/足がない人たちが飛び込んで普通に泳いでいる。みんなすごい、自分はあんなに泳げない』と驚く方が多いと思います」と、典子さん。
「そこで、もう一歩踏み込んで見ていただきたいポイントがあります。パラ水泳では腕1本ない/足1本ないという人が飛び込み台の上に立ち、スタートのブザーが鳴るまでじっと動かずにこらえて、スタートしたら飛び込んでまっすぐ泳ぎますが、“まっすぐ泳ぐ”って、ものすごく難しいことなんですよ」
パラリンピックの水泳競技では、独自のルールの一つがスタート方法。障がいによって飛び込めない場合は、水中からのスタートが認められています。また、背泳ぎではグリップを握ってスタートしたり、ベルトや取り付け式用具といった補助具を使用して身体を支える選手も。聴覚障がいのある選手の場合は、スタート音が聴こえないため身振りで合図を伝えたり、シグナルでスタートを知らせることもあります。
「飛び込みの方法も選手によって色々あります。ゴムを持ったり、口でくわえたりだとか。でも、ブザーが鳴るまでは誰も動いちゃダメなので、全員ものすごく努力をしているんです。目が見えない人には杖で頭をコンと叩くサポートがあるのですが、それも練習していないと、かなり難しい。機能障がいのある選手だと、トレーニングするにしろ筋トレ一つにしても、片方が鍛えられないからもう片方だけ鍛えればいいというものでもないし、平泳ぎやバタフライは平行に身体を動かさないと前に進めませんよね。身体を均等に動かさないといけないところ、偏るわけじゃないですか。 本当にすごいこと」
また、パラ水泳では、プールサイドにいるのは選手ひとりきりではありません。競技中はコーチやスタッフの存在にも注目してみてください。彼らは選手の怪我を防ぐため、競技を円滑に進めるため、一人ひとりの選手をサポートする重要な役割を果たしています。
「パラリンピックに出場している人は完成系である」と、典子さんは例えます。「その裏には、幼い頃からいじめに遭ったり心ない言葉をかけられたり、色々あったと思います。特に、パラリンピックに出場できるくらいの実力がある選手というのは、健常者のレベルでも結構上のレベルになります。彼らは健常者と小さい頃から一緒に泳いでいることが多いので、そういう厳しい境遇を越えて、そこに立っている選手たちのことを、ぜひ見てもらいたいなと思います」
“まっすぐ泳ぐ”ことは当たり前と思いがちですが、機能障がい、視覚障がい、知的障がいのある選手たちにとって当たり前ではありません。選手一人ひとりが自分にあった泳ぎ方を試行錯誤し、計り知れないほどの努力を経て“まっすぐ泳ぐ”スタートラインに立つのです。障がいがあると、一般的に良しとされている泳ぎ方がベストとは限らない。これは、パラ水泳の見どころでもあるでしょう。
異なる泳法同士の接戦を応援できるのは、一般の水泳競技にはない面白さです。オリジナリティあふれる泳ぎ方を編み出し、ベストパフォーマンスを披露せんとする選手たちのたゆまぬ努力に敬意を送りながら、楽しく観戦しましょう!
典子さんは、障がいを抱えるお子様を持つ親御さんに向けてこう語ります。
「本人が水泳を好きだったからそれをずっとさせていたら、蓋を開けてみると得意なことでもあったので、私としては本当にラッキーでしたね。色々な人にお世話になりましたし、今のコーチと出会えたことも良かった。
今は自閉症やADHDの診断を受ける子どもたちが多いというか、私たちの子ども時代よりも認知度が上がっているので、その診察を受ける子が多くなっていると思うんですね。親御さんは子どもの扱いが難しいと悩むこともあると思いますが、運動はさせてあげてほしいなと思いますね。もちろん運動でなくても、何かその子の得意な部分を一つ見つけてあげられればいいなと。絶対にあるはずですから」
また、今回のパラリンピックパリ大会について、みなさんへの温かなメッセージも。今までパラリンピックを観戦したことがない方も、オリンピックとの違いに目を向けることがなかった方も、ぜひ典子さんのメッセージを心に留めて、画面の向こうで人生の舞台に立つパラリンピアンたちを応援してみてくださいね!
「パラリンピックの選手たちは、オリンピックの選手たち以上に、今までの人生のどこかにおいて心ない言葉を受けながらも、その舞台に立っている人たちです。そういうバックグラウンドを想像するのも、そんなに難しいことじゃないと私は思うんです。(パラリンピアンに限らず)そういう人はどこにでもいますから。
ですから、さまざまな経緯を越えて彼らがそこに立ってることを、ぜひ讃えてあげてほしいなと思います」
【パラリンピックはどこで視聴できる?】
オーストラリアでは、「Nine Network」の40以上の無料放送チャンネルで生放送されます。「9Now」のストリーミング・プラットフォームでは、大会終了後のハイライトをオンデマンドでも無料視聴することができます。他にも、「Stan Sport」でもライブ配信およびオンデマンド放送が予定されています。
パラリンピックパリ大会は、2024年8月28日(水)から9月8日(日)の日程で開催されます。
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