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高岡正人総領事に聞く
2014年2月11日、在シドニー日本国総領事に着任した高岡正人(たかおか・まさと)氏に、日豪関係、シドニーの印象などを聞いた。
(2月28日、総領事館で行なわれた日系メディア3社による共同インタビューでの発言要旨)
-シドニーの印象はいかがですか?
前任地のイラクには2012年から駐イラク日本国特命全権大使として15ヵ月滞在し、今回は直接バクダッドからシドニーに来ました。イラク・バグダッドという特殊な環境の中では、寝ても起きても自分の仕事のことばかりで、(シドニーに来ることが決まった時は)正直、他のことは考えられませんでした。
こちらに来て約2週間、ようやく思いが固まってきました。シドニーは日本と比べても、バグダッドと比べても全然違います。これまで(治安のために)要塞のようなところにいただけに、一番印象的なのは、海が広がり、スカッと抜けるように空が美しいことです。大勢の人が朝から元気に走っており、元気いっぱいな人が住む、美しい街だな、と思います。学校でもスポーツなどに取り組んでいますよね。オーストラリアは人口が少ないが、オリンピックなどでたくさん金メダルを獲得し、これがオーストラリアにおけるスポーツの強みなのかな、と着いた翌日に感じました。
-前任地のイラクでは治安や情勢が不安定だったと思います。どのように公務をされていたのですか?
イラクが非常に厳しい状況にある中で、今後どうなっていくのか、日本がその中でどういう役割を果たしていくのか、日本とイラクの関係をどのように発展させていくのか。それから、治安状況が厳しいものですから、我々が大使館の運営をどのようにやっていくのかなど、寝ても覚めても考えていました。
1970〜80年代にかけて、日本はイラクに経済的にもコミュニティとしても非常に大きな影響力がありました。その時に培った日本としての信用、企業の技術力が非常に高く評価されていました。かつ、2003年に戦争が終わってから(注:正規軍同士の戦闘が2003年に終結)、日本は自衛隊をイラクに派遣して復興活動に従事するという歴史的な決定をしました。また、さまざまな経済協力をすることで、イラクの復興に密接に関係してきました。さらに言うと、日本自身、戦後の復興から見事立ち直ったということでイラクからの信頼感が深く、日本に対する尊敬の気持ちが強い。おかげさまで、自分自身は閣僚レベルの人を含む政府の中枢の方とも密接に交流し、イラクのあり方、日本とイラクのあり方を議論してきました。
日本の企業の方がイラクにいらして、日本のビジネスを進めたい、という場合には、情報提供やイラク政府に対する働きかけなどをしてきました。オーストラリアであれば自由にできることも、イラクでは難しいことがあるので、大使館の役割というのが非常に重要でした。
-これまでに最も印象的だった公務について教えてください。
イラクにおいて、国際交流基金から写真を提供してもらい、写真展を行いました。“戦後の日本の変化”ということで、戦争で焼け野原になった写真や、農村の焼けた場所にいる子供たちの写真などを展示しました。焼け野原だった日本が、次第に建設が始まりビルが建った様子や、(復興を遂げるまであった)闇市の様子なども展示することになりました。これをやるなら、イラクの国会でやろう、ということになり、国会のホールでやらせていただきました。この機会に日本の戦後の歴史についても知ってもらおう、ということで私が勉強して、講演会も行いました。国会議員の人たちも来てくれて、評判がよかったです。日本とイラクは相違点があるものの、それぞれを重ね合わせていくことで一つの考えをもってもらう、というのは面白いなと感じました。どの国も違う歴史をたどっているわけですが、似ているところも結構あります。イラクは戦争によって国土を大きく失いました。そのあと、アメリカの占領を経た、というのは日本と一緒です。そこから、どう立ち上がっていくのか、もちろんそれぞれの事情はありますが、(経験や知識を)シェアすることに意味があるのではないかと思います。
-シドニー日本人コミュニティの中でどのような活動を考えておられますか?
まだ、こちらに来て2週間ですので、自分の知識が限られていますが、その中で、日系3団体(日本商工会議所、日本人会、日本クラブ)の方々とお話する機会がありました。日本人のコミュニティが一緒になってこの地域における存在感を高めようとされている努力は素晴らしいものがあり、我々としても支援をさせていただきたいな、と非常に強く思っています。クリーン・アップ・デイのような地域的なことも重要だと思いますし、カウラ70周年(注:2014年はカウラ事件から70周年にあたる)のために、皆さんが貢献されようとしているのも大変立派なことだと思います。
組織とは別なところですと、私も先日、行かせていただきました、“生け花インターナショナル”ですとか、(シドニーのような)多文化社会の中で日本の文化を守っていく、ということは素晴らしいですね。生け花はその土地その土地で植物、花が異なり、その中で進化していきます。シドニーのように多様な社会で日本的な香りを持って、融合していく、文化的な進化論といいますか、興味深いなと感じています。日本人が日本人であるということはもちろん重要なのですが、多文化の中で日本のフレーバーをどう出していくのか、というのは面白いですね。
前任のバグダッドでは、日本の企業が1社あるだけで、在留邦人も数十人と限られた人数でしたが、シドニーには大勢の日本人の方がいらっしゃいます。国と国との結びつきの中で、人というのは基本だと思うので、シドニーに大勢の日本人がいる、大勢の方が日本から来る、またその逆もある、ということは日本とオーストラリアの結びつきの強さが窺えます。同時に、在留邦人の援護というのは総領事館の仕事の中でも重要なことです。在留邦人の方にとって、役に立つ存在でありたい、と思っています。
-日豪関係についてお聞かせください。
私自身、日本にいたときに、日豪のEPA交渉を担当していました。その交渉はまだ終わっていません。交渉が成功することを期待しています。
今、日本企業の方からどういうお仕事をされているか説明を受けています。私としては日本の企業活動が日豪の経済的なつながりに資するものであると考えています。同時にそうした活動が、オーストラリアの経済、社会生活に貢献している、ということも実感します。オーストラリアにおいて、日本の存在感を高める、という意味でも役に立てば、と思っています。
日本の企業の方は、長くこちらにいらして、オーストラリアの経済発展のために大きな役割を果たされていると思います。また、日本は安定的で頼れる経済パートナーであると認識していただいているところが多いと思います。アジア太平洋という地域において、オーストラリアとの関係は重要ですから経済だけでなく、政治や安全保障、文化的なところでも、そういう方との信頼関係を強めて、しっかりした安定した関係を築いていくのは重要なことだと思います。在留邦人の皆様もその中で人と人との関係において大きな役割を果たしています。
-日豪間、他国との懸念材料についてどのように考えておられますか?
捕鯨問題は確かにあります。日本とオーストラリア全体の関係を見た上で考えなければならないと思っています。ですが、捕鯨問題があったとしても日豪関係が損なわれるものではないであろうし、捕鯨問題によってオーストラリアとの関係が損なわれてはいけないと思います。
中国、韓国との関係性についてですが、日本自身が「戦争は二度と起こさない」という戦争に対する反省があり、アジアの地域を含めていろいろな形で平和作りに貢献してきた、というのは紛れもない事実だと思っています。イラクについても同様で、平和的な社会を作るために、一生懸命頑張ってきたと思います。そういったところを理解していただくというのも我々の仕事のひとつなのだと思います。
-シドニーで個人的になさりたいことはありますか。
私の好きなことのひとつはトレッキングです。日本の山にも登りました。山に登って写真を撮っていると楽しい気持ちになるので、オーストラリアでもそういうことをやりたいですね。まだ、オーストラリアの山についてはわからないので、これからできたらいいですね。
高岡正人(たかおか・まさと) 兵庫県生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。ハーバード大学ケネディー・スクールで公共政策を学び、修士号取得。1981年外務省入省。東京では外務省経済局参事官(2008-2010年)、財務省国際局審議官(2010-2012年)、在外では在インド大使館政務担当公使(2003-2005年)、在英国大使館経済担当公使(2005-2008年)などを歴任。前任地は在バグダッド大使館。2014年2月11日に、在シドニー日本国総領事として着任。
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*総領事からのお知らせ*
治安情報には十分に留意してください、というお知らせを確実に発信していきたいと思っています。日本では(犯罪に巻き込まれないように)自分自身で注意して、というのが一番ですが、在留届をだしていただければ、こういった情報もお届けできますので、ぜひ、在留届の提出をお願いします。
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