名誉棄損(Defamation)という言葉を聞くと、芸能人やスポーツ選手など有名人が雑誌の出版社を訴えたりするケースを思い浮かべるかもしれません。しかし、インターネットやソーシャルメディアなど、オンラインで個人が情報を簡単に発信・受信でき、その情報が瞬時に国境を越えて拡散する現代では、一般人が名誉棄損で訴えられるケースが増えているのです。
名誉棄損に関する法令は州ごとにありますが、それぞれの内容は類似したものになっています。NSW州ではDefamation Act 2005 (NSW)がそれにあたり、原則的に民事として扱われますが、加害者の行為が悪質であると認められる場合には、刑事訴追も可能となります。
名誉棄損訴訟で原告となることができるのは、個人やNPO、または従業員10名未満の企業です(第9条)。逆に被告となる対象は、記事を書いた著者や出版社、放送した企業、流通業者(販売代理店)など、幅広く規定されています。
訴えることのできる期間は記事が出てから12カ月以内に限定されます。管轄裁判所は請求する賠償額によって異なり、最高裁判所(Supreme Court)と 州裁判所(District Court) の場合は陪審員が評決を下し、賠償額は裁判官が決定するケースが多くみられます。
同法令第35条は最高賠償額を$398,500と規定しています(2018年7月1日現在)。しかし、名誉棄損により原告の評判が著しく低下、あるいは甚大な精神的ダメージが認められた場合には上限を超える賠償金が出るケースもあります。ただし、同法令は被告に懲罰を科すことを目的とはしていないため裁判所が罰金を命令することはできません。
さらに、裁判が始まる前に被告が謝罪もしくは修正記事を公表していた場合、賠償額は減額の対象となります。裁判所は記事の削除を命令する権限もありますが、表現の自由を保護する必要性とのバランスを考慮しながら慎重に対処します。
被告の抗弁事由は第24~33条に規定されています。記事内容が事実であることや公的文書の公表である場合などがそれに当たります。また、政治に対する意見などの個人思想を自由に発言することが公共の利益になるとした主張も抗弁事由になりえます。
ただしその発言・意見が相手を陥れることを意図して発せられた場合にはこの抗弁の対象とはなりません。さらに、原告に実際的な被害が発生しなかった場合、そのこと自体も抗弁事由となります。
同法令は法廷外の解決策についても規定しています(第12条~20条)。こうした規定により被害者は加害者に対して記事の削除・訂正を依頼します。これを受けて加害者は28日以内にその是非について回答し、賠償額を提示することになります。
被害者が和解案を受け入れ、双方が合意に達することができれば、高額な訴訟費用を回避することが可能になります。仮に合意に達することなく訴訟に発展した場合でも、加害者の提示した和解案が妥当なものであれば、裁判所で加害者の有利に酌量されることもあります。
実はこの法律は発効後、5年後に見直すことが決定されていました(第49条)。その理由は、元々の法律が印刷媒体を念頭に置いて制定されており、インターネットを媒体とした情報や発言などに法制度が追い付いていないためです。
例えば、訴訟期限については、オンライン媒体の場合、問題となる表現や記事が最初に公表された時期のみならず、誰かがアクセス、ダウンロードする度に、新たな期限が継続し続けることになるのです。これでは、訴訟期限を設ける意味がありません。
また、インターネットプロバイダーが名誉棄損の責任を問われるべきなのかについても、未だに法は明確なルールを定めていません。2017年には、SA州の最高裁判所でグーグルのサーチエンジンは、瞬時に情報が検索できるという特徴からも、名誉棄損にあたる情報の拡散に責任を負うという判断が出ています。
さらに、現在の法制度では、原告は高等裁判所で訴訟を起こすしかなく、その裁判には費用と時間がかかります。一方、原告側にはイギリスのような名誉を棄損されたことで実際に深刻な被害を受けたことを証明する必要はなく(Serious Harm Test)、仮に些末な訴えをしても裁判になる前に却下するシステムが存在しないため、裁判所の負担は増えています。
上述のような問題点が明らかであるにもかかわらず、法律の発効から12年が経過しても、未だに法改正は実現していません。ようやく、NSW州の司法長官(Attorney-General)が2018年6月に名誉棄損法の見直しを提言、各州や準州の代表とワーキンググループを設置して検討を開始しました。デジタル時代の技術的な変化に焦点を当て、さまざまな利益団体からの意見を取り上げつつ、2019年第1四半期には提言書が公表される予定です。
特に、公共の利益や重要性に関わる表現の自由を守り、裁判以外の迅速な解決策を提案することが重要な目的となっています。また、従来の主な名誉棄損の訴えは、虚偽の情報で個人の名誉を傷つけた、という内容がほとんどでしたが、最近では公にされるべきではない真実について公表された、という訴えが増加しています。
そういう意味でも、人権やプライバシーの保護の観点ともどのようなバランスを維持すべきなのかが、今後の大きな課題となっています。
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