未分類

ひとりの小学生から見える日豪の違い

1年ぶりに日本へ一時帰国していました。だいたい1年おきに帰国していますが、帰る度に東日本大震災の被災地である地元の変化に驚くことがあります。またオーストラリアにいるからこそ驚く日本ならではのこともあります。

午後3時ごろ、地元をドライブしている時に小学校低学年くらいの男の子が1人で帰宅しているのを見かけ、違和感を感じました。10数年前の自分もそうであったように、子供が1人で通学するのは日本では普通のことですが、オーストラリアでそのくらいの年齢の子供が、1人で街中を歩くことはめったにありません。そこで父がシドニーに遊びに来た際に驚いていたことを思い出しました。

オーストラリアでは保護者が子供を学校に送り届け、そして迎えに来ることがほとんど。迎えのために学校の前に止まっていた車の数に父はびっくりしていました。こんな光景を日本で見ることはなかなかありません。

しかしオーストラリアでは、特に小学校低学年くらいの子であれば、両親やベビーシッターが迎えにきてくれます。また15歳くらいから自動車運転免許取得のために、実技練習を兼ねて通学時に親の指導のもと制服姿で車を運転し、通学するというのもよく見かける光景です。

日本では、保護者と一緒に小学校に通学するということは基本的にありません。その一方で、そんなに幼い子供が安心して通学できているのは、地域のコミュニティがあってこそなのではないでしょうか。逆に学校があるからこそコミュニティができているとも言えます。

例えば、学校が災害時の避難場所・避難所であるのが多いのは、自然災害が身近な日本だからこそ。オーストラリアではそもそも自然災害が少ないということもありますが、必要がある場合は親戚の家や友達の家などに避難するのが通常で、学校が避難先になるケースはあまりないような気がします。日本では学校が災害支援の中核となり、被災者を助けています。


©︎Australian Institute for Disaster Resilience

また日本では全国高校野球選手権大会や全国高校サッカー選手権大会などを通して、その地域が一丸となり地元の学校を応援するという傾向もあります。そのため学校が地域の中心、そして活力になっているような気がします。

まさに今、全国高校野球選手権大会の地区大会が各都道府県で開かれていますが、私もやっぱりかつて通っていた高校や地元の高校の結果は気になります。地元のスポーツチームを応援するというのはオーストラリアも同じではありますが、地域住民が地元の学校のチームを応援する、ということはあまり見かけたことがありません。

日本では地域住民が学校を地域の「アイデンティティ」として認識し、それによって地域コミュニティが形成されていると感じます。学校側でも、授業や校内活動で地域に花を植えゴミ拾いをしたり、地元の産業について学ぶことが多く、住んでいる地域に密着していると言えます。

これらは「協調性」や「集団の一員」という価値を大事にするというすごく日本的な考え方ですが、それがあるからこそ、小さな子供を見守ってくれるコミュニティができ、保護者が付いていなくても安心して学校に通え、子供たちだけで遊ぶことができるのだと思います。

自分もそうやって地元の人たちに見守ってもらえたから、ここまで育ったんだという感謝が改めて感じられる一時帰国になりました。

文:浜登夏海

この記事をシェアする

この投稿者の記事一覧

概要・お問い合わせ

その他の記事はこちら