先日、帰宅途中に電線にぶら下がったスニーカーを見かけました。いつも通る帰り道は閑静な住宅街ですが、これまでは一足も見かけたことがなかっただけに、すごく目を引きました。
それから意識して街を歩いていると、至るところで遭遇する電線に掛けられたスニーカー。大通りを歩いていても、ちょっと脇道に逸れれば頭上にぶら下がったスニーカーが見つかります。そう言えば、メルボルンのストリートアートで有名な場所を訪れた時には、数え切れないほどのシューズで電線が埋め尽くされているのを見かけました。
電線までは簡単に人が届くような高さではないし、いったい誰が何のためにスニーカーを投げるのでしょうか? 疑問に思い、ちょっと調べてみることに。
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The Mystery of Flying Kicks from Closer Productions on Vimeo.
電線に吊るされたスニーカーには英語で「Shoe Tossing」という単語があり、靴を上に投げることを意味するそう。アメリカやヨーロッパ、オーストラリアなど世界中の電線に見られる現象で、それなのにスニーカーを投げる理由は誰にも分からない、謎に包まれた都市伝説のひとつのようです。
そんなShoe Tossingの謎に迫ったオーストラリアの『The Mystery of Flying Kicks』(2010年)というドキュメンタリー映画の中で、世界各国の専門家がShoe Tossingの起源や理由について語っていました。例えば……
・子供のいじめ
・アートやパフォーマンスの一環
・ギャングによる警察への牽制
・ドラッグのやり取りがあるサイン
・童貞を卒業した記念
他にも国や人によってさまざまな意見があり、「Shoe Tossing」で検索しても疑問を持つ人がいるばかりで、コレといった定説はないようです。電線に掛けられたスニーカには明確な理由があるのかと思っていましたが、もしかすると、どこかで始まったアンダーグラウンドな文化が、今やストリートカルチャーとして意味も問われずに定着したのかもしれません。
日本でも渋谷や表参道など、ストリートカルチャーが発展した場所ではShoe Tossingが受け入れられているようですが、どこか治安が悪そうな印象を与えるためなのか、閑静な住宅街の電線にスニーカーがぶら下がっているのはあまり見かけません。
映画の中では、電線に吊るされた靴を集積するシューパトロールと呼ばれる人たちが、「近所の人たちは自分たちで電線のスニーカーを片付けないし、スニーカーのことは誰も気にしてない」と語っていました。多様性や芸術性が受け入れられやすいオーストラリアだからこそ、Shoe Tossingは批判されることも廃れることもなく、文化のひとつとして自然に映るのでしょう。
生まれ育った日本を離れて海外で生活をすると、不思議に思う文化や風習がたくさん見られます。特に、さまざまなバックグラウンドを持った人が共存するオーストラリアでは、本当に自分の常識が周りの常識ではないことに気付かされます。と同時に、他人の考えや行動を受け入れる自分の中のキャパシティーも広くなったような…? Shoe Tossingもそのひとつですが、雑多でエネルギッシュなオーストラリアの文化から、まだまだいろいろなものを吸収していきたいですね。
文:村上 紗英