今年は進化論で有名なダーウィンの生誕200年と『種の起源』出版150年記念ということで、関連のイベントが世界中で行われているようです。ダーウィンは200年前の2月12日にイギリスに生まれた自然科学者ですね。前から気になっていたのですが、ノーザン・テリトリー(北部準州)の州都ダーウィン市は、この科学者のダーウィンと何か関係があるのかな?ということです。
たしかダーウィンはイギリス海軍の測量船「ビーグル号」で世界一周の航海に出て、その航海で集めた野生動物や化石を分析して自然選択説を思いついたということですが、この航海途上、ダーウィンがダーウィンに立ち寄った(ややこしいですが、立ち寄って命名した)ということだと思っていました。でも実際にはこの航海ではシドニーに寄っただけでダーウィンには立ち寄っていないんですね。
ビーグル号は何度か世界航海に出ているんですが、その3回目の航海時にダーウィンに寄っています。でもこの航海にはダーウィンは乗船していません。その当時ダーウィンは、もちろんイギリスの入植地で「パーマストン」と呼ばれていました。ビーグル号によって港として格好の入り江として発見(!?)されて、船長が前の航海で一緒だったダーウィンにちなんで、この入り江をポート・ダーウィンと名づけたというのです。その後、連邦政府が1911年にノーザン・テリトリーを特別地域とした際に、「ダーウィン」が正式な名称になりました。
ところで、ダーウィンは日本軍によって空襲を受けています。1942年2月19日に、真珠湾を攻撃した同じ日本軍に爆撃を受けました。これはオーストラリアにとって初めての外国からの襲撃となったのです。その後日本軍は毎月ダーウィンを爆撃し、さらにタウンズビルやケアンズ、ブルームなどを空襲しています。
シドニー湾に日本軍の特殊潜航艇が襲撃をかけたことはよく知られていますが、実はそれよりも前に、オーストラリア北部は日本軍の爆撃を受けていたのですね。ダーウィンへの空襲では約300人が犠牲になっています。
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