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資源の輸出は知ってたけれど、お金まで輸出していたとは。

大事な大事なお金のお話…。

オーストラリアのお金(豪ドル)が登場したのは、今から45年前の1966年2月14日です。えっ、だって、もっとずっと前からオーストラリアにお金はあったでしょ?

それはそうです。ただし、英国の植民地だったために、ポンドやシリングという通貨を使っていました。それよりも、もっともっと前は?お金がなかったんですね。

第一次移民船団でやってきた人たちのポケットに残っていたお金が、唯一のオーストラリアでの通貨だったんです。ですから、移民開拓当時はまさに物々交換の経済だったんですね。ちなみにシドニー病院の建設に従事した人たちは、給料の代わりに「ラム酒」を支給されたそうです。まあ、給料をもらってもすぐお酒を飲んでしまうので、これでよかったのかもしれませんが…。

英国の通貨、ポンドを正式にオーストラリアの通貨と決めたのが、1826年です。そのため英国の王立造幣局の分室がシドニー、メルボルン、パースに開設されて、オーストラリア製の1ポンド金貨が発行されました。

これが1966年まで続き、2月14日にポンドからドルに移行したのですが、英国に先駆けて、10進法のドル制度になったわけです。ちなみに、何故オーストラリア独自の通貨が「ドル」になったのでしょう。当時の首相は「Royal(ロイヤル)」にしたいと言ってましたが、最終的に「ドル」になったんです。やはり宗主国英国を思わせる「ロイヤル」は人気がなかったんですね。

ポンドからドルへの移行には3年の準備期間と、導入後も2年間はドルとポンドの併用を行い、徐々に国民に広めていきました。それでも交換比率に便乗した値上げや、複雑な交換比率に音を上げたり、当初はもちろん、国民は混乱したようです。

で、本家の英国では、1971年の今日、2月15日に、通貨制度を十進法に切り替えました。それまでは、1ポンドは20シリング、1シリングは12ペンスになっていて、いわば、12進法と20進法が混在した通貨制度だったわけですね。それを1ポンド=240ペンスから1ポンド=100ペンスにしたので、この日は「十進法の日」とも呼ばれています。

オーストラリアのお金はご存じのように、プラスチック製ですね。1988年に初めて登場した時には、ほほぉ、これが紙じゃないお札かと、ビックリしたものです。何せ透明な窓がついているわけですから、みな驚きました。ところが案の定、すぐにこの透明な窓の部分がひび割れたり、穴が空いたりと、不良品がどんどん出回る結果になりました。

世界で初めて、薄いプラスチックシート(ポリマー)に印刷された紙幣は、偽造防止という意味ではかなり成功しているようです。もちろん水に濡れても大丈夫だし、丈夫で長持ちするようで、お札の耐用年数も伸びたということです。(でもなかなか折り曲げられないです)

今では世界の18カ国の通貨を印刷するまでになったというわけで、実はオーストラリアはお金を輸出する国だったんですね。輸出するほどあるのなら、もう少し国民に回してくれてもよいものを、なんて思ったりしますが…。

 

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