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ローズが死んだ

ローズが亡くなりました。ファイティング原田と闘ったボクサーのライオネル・ローズ(Lionel Rose)です。と言っても、いまでは誰も覚えていないでしょうね。

アボリジニの血を引くローズは、1968年に、当時の世界チャンピオン(WBA・WBC世界バンタム級)ファイティング原田に挑戦して、判定で破り、見事世界チャンピオンになります。その後3度の防衛戦に勝っています。通算成績は53戦42勝(12KO)11敗でした。

病気で療養していたのですが、今週日曜日の5月8日に亡くなりました。享年62歳でした。

ローズが世界チャンピオンになった1968年は、前年の国民投票でようやくアボリジニに対する政策が改正されることになり、国勢調査にアボリジニが含まれることになった翌年にあたります。

まだまだアボリジニに対する差別はありましたし、そんな中でのローズの勝利はアボリジニはもちろんですが、オーストラリアの白人社会にも大きな感動を与えました。メルボルンに凱旋したローズを10万人の群衆が出迎えたことでもそれは分かります。

アメリカの黒人同様に、差別されている者がその存在を社会的に認められるには、白人に負けない抜きん出た才能を開花させることが一番です。特にスポーツはその最も華々しい近道でした。

アボリジニの世界チャンピオンの誕生は、オーストラリアに大きな衝撃と感動をもたらしました。まさに2000年のシドニーオリンピックでのキャシー・フリーマンの活躍を思わせます。

闘った相手のファイティング原田がオーストラリアでかなり人気のある日本人ボクサーということもあり、日本人にとってもローズはまんざら関係のない人物ではありません。ローズの死によって、改めてこの40年のオーストラリアにおけるアボリジニの存在を考えてみました。

オーストラリアはスポーツ大国ですが、世界の中でどちらかというとあまり国際的にその存在を認めてこられなかった国でもあります。だからこそスポーツ界でのオーストラリア人の活躍は、その劣等感を払拭する大きな力となってきました。そして差別されてきたアボリジニの活躍は、二重の意味で大きな力となったわけです。

その後アボリジニに対する政策的な差別はなくなっていき、また、先住民への土地所有権問題も勝ち取ってきました。2008年には当時のラッド首相による政府としての公式な謝罪がなされるまでになりました。もちろん社会的な差別がまったくないわけではありませんし、今日のアボリジニ社会は、アルコール依存症の問題や、白人に比べて犯罪により収監される比率が高く、平均寿命も短く、健康状態も悪いのが現状です。

多くのアボリジニは都市部に住み、政府からの補助を受けて暮らしていますが、オーストラリアの少数民族として、ほかの国にも見られるような差別問題があるのは確かです。

わたしたちは多民族社会としてのオーストラリアに身を置いていますが、その社会には白人がやってくるはるか昔から暮らしている先住民族が共にいるのだということを、改めて考えてみないといけないのでしょうね。

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