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あれから1年…

 

早いもので、あの大震災から、この週末の日曜日には1年を迎えることになります。

 

未曾有の地震と津波の大きさに驚きましたが、追い討ちをかけるような原発事故により、自然災害から人災へと、災害の認識が変わってしまいました。当初はいったい何が起きたのかと半信半疑の状態でしたが、次第に明らかになる被害の惨状に、言葉を失った方が多いのではないかと思います。

 

この1年で明らかになったこと。死者は1万5,800人、行方不明者は3,200人、仮設住宅5万2,000戸、避難民は34万3,000人。瓦礫は1,570万トン。復旧・復興の予算6.7兆円。ただし、人手不足でまだ半分も使われていないとか…。

 

1年が過ぎたとはいっても、おそらく被災者の方に向けて言うべき言葉は、まだ見つからないのではないでしょうか。

 

当時の政府の対応が槍玉に挙がり批判されていますが、批判よりもとにかく一日も早い復興を、というのが本音でしょう。

被災地ではいちおう瓦礫が撤去され、多くの人に笑顔が少しずつ戻ってきたといいます。まだまだこれからですが、三陸の海産物も首都圏に出回りはじめたようです。着々と復旧・復興に向けて歩み始めています。

 

心配なのは「フクシマ」ですね。ついに「ヒロシマ・ナガサキ」と並んで、「フクシマ」が世界に知られてしまいました。

放射能汚染は怖いということで、原発に替わる再生可能エネルギーの議論が起きて、多くの人が自然エネルギーに関心を持つようになったのは、それはそれでよいのですが…。

 

それでも、いま日本では、「原子力ムラ」の人たちによる巻き返しがはじまっているようです。5月頃にはすべての原発が停まってしまうので、定期点検後の再稼働を推進しようという人たちの積極的な働きかけが強まっています。

 

あれほど多くの人が放射能汚染に不安を覚え、「脱原発」を叫んだのに、電力が足りなくなるという話しになると態度が急に変わってしまうようです。それに電気料金が値上げになるというと、早速、原発を容認する声が高まっています。これまでの生活を維持するために、原発やむなしということです。オーストラリアでも電気料金が上がりましたが、人々の反応は、だったら節電に努めるというものです。日本とは逆の反応です。

 

そんな中、子どもを持つ女性たちは敏感に反応しています。母親として、また、子を産む女性として、眼に見えない放射能の怖さを敏感に感じ取って、脱原発の声を上げています。

 

そういえば、広島・長崎に原爆が落とされて、大きな被害が出たのを教訓に、日本政府が原爆(核兵器)反対の声を世界に広げたのかと思うと、そんなことはなくて、それから9年後の1954年、米国のビキニ環礁での水爆実験で、日本の漁船の第五福竜丸が被爆した事件を機に、東京・杉並区の主婦の人たちによる声が、やがて原水爆禁止運動となり、世界に広がっていったわけです。

 

やはり女性の力は偉大ですね。政治家の多くは男性で、いかに男は権力や目先の利益を追いかけているだけ、ということが分かります。

 

さて、あれから1年…。

 

被災地を想い、一日も早い復旧と復興を願い、そして再生可能エネルギーを求め、それぞれでこの1年を振り返って、さらにこれから先の日本を想い描くよい機会です。

3月11日には、そんな思いを込めて復興祈年祭がシドニーで行なわれます。詳細はこちら

 

是非お出かけください。

 

(水越)

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