調理専門学校の新しいキッチンに行ってきました!
シドニーとアデレードにある、調理の専門学校Quality College of Australiaのキッチンが新しくオープンしたという案内を受けて…
ストラスフィールドにある高齢者向けの介護施設「Columbia Aged Care」で、アシスタントナースとして働く小池貴洋さん。幼少期に発症した病気が原因で、入院生活を通して看護師と接する機会が多かったことが、この道に進んだきっかけ。
山梨県立大学の看護学部を卒業後、念願の看護師になるという夢を叶えたものの、とある縁から訪れたフィリピン随一のスラム街であるトンド地区で悲惨な医療現場の現状を目にする。そこから貧困地域で生活する人々を救うという新たな夢を追いかけることに。
安定した日本での看護師の仕事を辞め、まずは目標達成のために英語力の向上のためオーストラリアに渡った。”ゼロ英語”からスタートし、今では英語環境の中でバリバリ働くまでに至った行動力の秘訣や意外と知られていないアシスタントナースの働き方について話を伺った。
茨城県出身、28歳です。山梨県立大学の看護学部を卒業後、日本の病院で看護師として4年間働いていました。2016年に看護留学のため、学生ビザでオーストラリアへ来た後、現在はワーキングホリデービザでアシスタントナースとして働いています。
オーストラリアで留学生活をスタートした当初は「Do」と「Does」の違いも分からなかった僕ですが、猛勉強の末に語学学校のアカデミックコースからTAFEのアシスタントナースコース(Assistant in Nurssing)へ入ることができました。
幼少期に手術を受け、リハビリをしなければいけなかった環境の中、病院で過ごす時間や看護師と接する時間が多かったことが、看護の道に進んだきっかけです。
母親が看護師だったことや、従兄弟が看護師をしていたこともあり、女性が多い看護業界の中で看護師を目指すのに抵抗がなかったこともあると思います。
日本で働いていた頃、新興国の貧困層の人たちが生活するエリアでのボランティア活動に興味があって、フィリピンの知り合いを頼って現地ボランティアに参加してみたんです。
そこはフィリピンの首都マニラの中心地からすぐにあるトンドと呼ばれる町で、今でも殺人や強盗が後を絶たないと言われるフィリピン最大のスラム街でした。『クレイジージャーニー』というテレビ番組でも取り上げられたことのあるエリアですね。
トンドの中心地から車で15分くらいの「ミッショナリーオブチャリティーズ」という、経済的な理由で病院に行くことができない、または医療費が支払えず病院を追い出された人たちを無料で受け入れる施設で活動をしました。
そこで働く人たちはシスター(修道婦)なので、十分な医療知識や経験がない人が大多数。そうした環境で悪戦苦闘しながら、助けが必要な人たちを介護している状況でした。
たくさんのショッキングな現状を目の当たりにしました。
ある時には、気管切開チューブ(気道確保を助ける管のこと)をつけたままの人を見つけました。事情を聞くと、お金が払えず病院を追い出され、路上にいたところを発見されて運ばれてきたとのこと。気管切開チューブは今にも抜け落ちそうで、外れてしまえば息ができない状態です。日本の医療システムとのギャップに驚きを隠せませんでした。
そんな現状を変えたい、自分の医療知識や経験をこの人たちのために役立てたい、という気持ちが僕の中で強くなりました。しかし、看護の知識や経験はあっても伝える手段(言語)がないことに気づき、まずはフィリピン公用語のひとつでもあった英語と、医療英語の知識を身につけることが第一と思い、オーストラリアへの看護留学を決めました。
とにかく英語で授業についていくため必死に勉強しました。たまたま日本人は僕一人で、ご飯を食べる時間と寝る時間以外は勉強していたと言ってもいいくらいです(笑)。
TAFEの看護科に進むことができてからは、日本では使ったことのないオーストラリアの医療器具や機械を授業で使いながら、日本とオーストラリアの医療の違いを体験することができました。
星の数ほどある医療用語もすべて英語で覚え直す必要があるので、簡単ではありませんでしたが、日本での看護師時代の経験でなんとか授業についていくことができました。
語学学校とTAFEの看護科に半年ずつ通ったのですが、そこで英語力は格段に伸びたと思います。
学生ビザの時にお世話になっていた職場で、そろそろワーホリでの最長就労期間の6カ月に達するという時に、その事を職場の同僚に相談したら、「仕事を紹介してあげて」と、ボスにかけあってくれました(笑)。今の職場の「Columbia Aged Care」はその縁で働かせてもらっています。
「Columbia Aged Care」は高齢者向けの介護施設です。仕事内容は主に利用者さんのお手伝い。朝の起床から着替えやシャワー、食事をする際のお手伝い、トイレの付き添いなど、日本の介護士に近いです。これはオーストラリアでのアシスタントナースが、もともとその名の通り「看護師の仕事をサポート」し、なるべく看護師への負担を減らすためにできた資格だからです。
アシスタントナースの仕事は注射器を使った測定など、少し医療的な部分もあり、日本の介護士よりできることが多い気がします。それに利用者さんとゆっくりお話できたり、利用者さんの笑顔が見られるのも介護施設で仕事をしていて楽しいところですね。
やはり一番は、言語の壁。ただでさえ、英語でのコミュニケーションが難しい上に、介護施設の利用者さんは多国籍。英語が母国語でなかったり、英語がまったく話せなかったりする利用者さんもいますし、認知症やもの忘れのため、英語を話すことを忘れてしまい、母国の言語が出てきてしまう場合も。
重い認知症を患っている利用者さんの中には、感情の起伏が激しくなって突然怒り出してしまったり、時には暴れてしまったりする人もいます。そんな時には、日本での看護師経験を生かし、利用者さんと同じ目線に立って話すようにしたり、利用者さんが怖がらないようボディタッチを多くとったりするように心がけています。
その結果、利用者さんの喜んでくれる笑顔が見られたり、ありがとうと言ってもらえたりして、この仕事をしていてよかったなと思えますね。
オーストラリアの多国籍な環境で働いて感じたのは、やはり日本人は仕事が正確で丁寧ということ。他国から来た看護師の中には、細かいことを気にしないのはとにかく、時にはぶっきらぼうな対応をする人もいて、少し利用者さんが気の毒になることも……。
日本人として正確な医療知識と判断で利用者さんの気持ちを察してあげたり、利用者さんの立場になって優しく接することは、日本人ならではと思います。もちろん、どのスタッフも必要な知識や技術、ホスピタリティー精神は持っていまよ(笑)
今年(2018年)9月にワーキングホリデービザが切れるので、一旦は日本に帰国します。このままオーストラリアで正看護師の資格を取得して、オーストラリアで生活していくことも考えたのですが、やっぱりそれは違うかなと。
実は看護師の資格以外に、地区活動や健康教育・保健指導などを通じて疾病の予防や健康増進といった公衆衛生活動をする「保健師」の資格も持っているのですが、発展途上国では病気やけがをした人を看護する看護師よりも、病気の予防方法や健康指導などができる保健師としての仕事が大事ではないかと、最近思い始めました。
具体的な予定は決まっていませんが、オーストラリアで知り合った人がネパールでボランティアをしているので、そこへ行く可能性もあります。僕の夢は途上国の人々を救う活動をすること。そのためなら、どんなことでも頑張れますね。
取材・文・写真:山田真優
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