当相談室で大事にしている価値観をいくつかお話します。
<その方が本来持っている機能を最大限に発揮できるようになるように、援助する>
人には、機能の「幅」というものがあると思います。「機能」と難しいことばを使いますが、要はある場面で物事を推し進めたり、人間関係をより円滑にするのに貢献し、その人らしさを生かして活躍できることだと思います。
周囲の状況もよく、本人の気分も良く満ち足りている時に機能できる高いレベルと、それらがみな悪く回ってしまっている時に機能できる低いレベルには、大きな差があります。それが「帯」のようなものとしてひとりの人の中にあり、それは精神状態の高低にほぼ比例して出てくるように思います。
カウンセリングにいらっしゃる時には、本来は素晴らしく機能できる可能性があるにもかかわらず、それがうまく発揮できずにいることに本人も悩んだり、何か不全感があったりして、いらっしゃることが多いと思います。
私は、ある方が「機能の低いレベルで回っている」のは、その方にとっても社会にとっても、不幸でもったいないことだと思います。そして、「その方の機能を良くしたい!」、可能性を広げたい!、その結果本人がもっと満ち足りてハッピーになり、人生をより愛せるようになって欲しい!、その変化を見たいし、それを起こすためだったら私の人生を賭けられる!くらいのとても強いモチベーションが持てる、というのが、私が心理臨床を勉強し始めてから30年弱、臨床をし始めてからは20数年になりますが、一貫した私の強い思いなのだと思います。
だから、当相談室の基本理念は、「その方が本来持っている機能を最大限に発揮できるようになるように、援助する」です。その方にそれが起こるためには何が必要なのかということをよく考え、それにあった技法で、それを実現させようと模索、試行錯誤しプロセスする、それがカウンセリング・心理療法の過程なのだと思います。
<自律性を援助する>
カウンセリングの一時期の中では、ケースによっては治療者に依存的になったり、そのような関係が心理的に意味のある方もいらっしゃいます。しかし人間は本来みな自律的な存在であり、そして治療を終わっていく際には、益々自律的な存在となって行くことを、治療の目標としています。
カウンセリング教育を受け始めたかなり最初期に、私たちは「治療者がクライエントを指導していくのではない。クライエントの人生に対して選択ができ、責任がとれるのはクライエント本人でしかない。どうなって行きたいのか、行った方がいいのかという答えも、治療者ではなくクライエントの中にある」と学びます。
特に、現実的な問題を乗り越えていく「カウンセリング」では、クライエントが自分らしい答えを見つけ出していくのにつきあう、ということが中心になることが多いです。より深い人格変容を目指す「心理療法」では、こんがらがってしまっているものが何なのか、治療者をコーチにしながら、その全容を理解し、プロセスし、ご自分でほどいていくのにつきあう、といったイメージです。
「最後は精神のバランスも自分で保てるようになり、治療者なしでもやっていけるようになる」。これが、(さびしいようですが、笑)カウンセリング・心理療法の「究極的な」目的なのです。
<良い治療的機能を、クライエントの自己内へ取り入れていただく>
治療者は受容的・共感的・ノンジャッジメンタル(価値判断なく)に、クライエントの話をお聞きします。また認知の仕方の工夫や、対人スキルを学ぶ方もいらっしゃるでしょう。このようなカウンセリング・心理療法の経験を通して、どんな出来事、どんな気持ち、どんなご自分のしてしまったことでも、受容的・共感的に聞き、抱えてあげられる機能や、自分の気持ちを落とさずに出来事に対処していける機能を個人の中に育むことも、目的としています。それによってストレスに強い、復元力のある個人を育てて行こうとします。
<平等主義>
何度も書いていますが、治療者とクライエントという、プロフェッショナルなサービスをする側、受ける側という立場のちがいはありますが、「どちらが上でも下でもない対等な人間である」という感覚でクライエントに対します。その上で、質の良い援助活動に極力努力いたします。
<どんな人間も尊く、この世界で貢献できる居場所があるはずである>
世界に二つとない個性のその人が十分な機能を発揮できるように、チャレンジや努力はし続けながらも、自分の持ち味を受け入れて愛していけるよう、そしてこの世界にその人らしい機能が発揮できる居場所を見つけることができることが、究極的なゴールです。