あるひとりの人には、「機能できる幅の帯」があると思います。状況が恵まれて気分もよく回っていれば、「良い方の機能レベル」で発揮されます。状況がストレスで気分もあまりよく回っていなければ、「悪い方の機能レベル」で出ます。
・・・後者って、その方にとっても周囲にとっても社会にとっても損失ですよね。精神状態がよくなれば、機能のレベルもアップし、その方が世界で二つとないご自分の持ち味を受け入れ、人生を愛して楽しんで行ける・・・そのことのために私は働きたいのです。
人生はさまざまなチャレンジに満ちています。順風満帆ではいかないのが人生です。その中で、傷の手当や身体の医療を受けるように、こころの傷にも手当や、看護してくれる人の存在が意味ある時があります。
相談室では、サイコロジストとクライエントの関係は、基本的に平等です。サイコロジストも「強さも弱さも持った、クライエントと同等のただの人間」です。ただその人間が、プロとしての知識と経験に基づいて、クライエントのニーズのために何が援助になるのかを全力で模索しようとします。
基本になるのは、クライエントの人生はその方のもので、サイコロジストは働きかけはできても、それを参考にして最後にやり方を選択しいくのはクライエントご自身です。このクライエントの「自律性」を最大限に育てようとします。
しかしご自分ではなかなか見えない部分を、「こうも見えますが、それは本当のようにお感じになりますか?」「私だったら○○してみるような気もしますが、それは○○さんとしてはどうなのですか?」と問いかけることもあります。ただ受け止めるだけの鏡のような役割だけでは、前進にならないことも多いからです。
サイコロジストの理解のフィードバックを通じて、クライエントが事態をより現実的に正確に理解し、それを解決する具体的なやり方を見つけて行ったり、そのわだかまりをプロセス(処理)して行ったりします。
心理臨床には「カウンセリング」と「心理療法」があると書きました。両者が働きかける部位の深さの違いはありますが、基本的に上記のようなプロセスだと思います。問題によって、「認知行動療法」「動機付け面接」「対人関係療法」「アクセプタンスアンドコミットメントセラピー」「精神力動学や交流分析」などの技法を使うときには、もう少しアクティブに課題をこなすこともあります。しかし私のスタイルは「共感的カウンセリング」が基本であり、その中でクライエントの話をそのまま受け止めることを基本に、その上でこれらの技法を応用しようとします。
「カウンセリング」についての私の原体験は、大学院で同僚の心理臨床専攻の大学院生の友人と、話をしてはそれが「ピア(同僚)・カウンセリング」、あるいは「自己分析」になっていった思い出です。そこで共感的傾聴によって自分自身の考えがどんどん進むことと、その臨床感覚を学んだような気がします。
「心理療法」に関しての私の原体験もあります。私も二十代のほとんどを使って、大学院で心理臨床を学びながら、また教育分析で自分がクライエントになる体験をしながら、自分が抱えていた課題のワークスルーのプロセスをやったんです。それにほぼ十年かかったように思います。それで前に進めた体験があるから、いま目の前のクライエントが何の作業をしようとしているのかが実感として分かるし、またそのプロセスについて見通しを持てるんです。
カウンセリングや心理療法の中で起こる出来事がとても興味深く面白いと思うし、その方の変化や成長についてすばらしい!うれしい!!と思う、その気持ちは、臨床を始めた頃も今でもまったく変わりません。