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1リットルの涙

 

皆さん、イースターホリデーを存分に満喫されましたか?

今日は学校に通う人も働く人も憂鬱な気分になってしまう、いわゆる「休み明け」。

頭を休みモードから仕事モードに切り替えるのってきついですよね?

              

私の方は先週の風邪を徹底的に完治させようと、お出掛けするのも控えめに、ひっさりぶりにDVD鑑賞に浸ってみた。

ここ最近、周りが絶賛しながら薦めてくれたドラマがこちら。

「1リットルの涙」 

 題名からして悲しい内容なんだろうな・・・と想像がつくこドラマだが、紹介してくれるみんなが口を揃えて言うのは

 「トイレットペーパーかティッシュペーパーか、とにかく抱えて見たほうがいいよ」

 とのアドバイス。その言葉、私もこれから見る方におすすめします。

 あっあと、次の日に目が腫れて困る場合は見るのを延期した方がいいかも。

 私のドラマの鑑賞方法はPCの画面の半分をDVD画面、半分を仕事画面という、「ながらDVD鑑賞」。

 どうしてもDVDだけをぽかぁーんと見ているのがもったいないと思ってしまう私は、耳だけでドラマの声を聞くことも。

 そうやってあまり集中せずに見ているので、感動やら内容やらという記憶は人よりやや少なめ。

 だが!!!

 このドラマには翌朝、目がぼたぁーっと腫れてしまう位、涙が必要だった。

 ここ最近、「泣く」という行為自体、久しぶりだった中で今回は半年分位の涙を流した気がする。

 生きることの意義、今自分に備わっている健康体への感謝、病や障害に立ち向かって闘っている方々への見方など、様々な想いが私の頭と心を行き巡っていた。

 青春の淡い想いと、病気 という辛い現実との狭間で闘う主人公の少女に対してあなたはどんな想いを感じますか?

 最近涙を流してない方、「生きる」という事に少し疲れを感じてる方、

 1リットルの涙、流してみませんか?

 解説 (映画版)


原作「1リットルの涙~難病と闘い続ける少女亜也の日記」は、闘病中の亜矢さんが日記やメモなど14歳から21歳まで書き溜めていたものを1986年に名古屋の出版社が発刊したものである。高校に入学した15歳の時、難病指定されている「脊髄小脳変性症」を発症する。これは、神経細胞が次第に変化していくという難病で、その後亜也さんは岡崎養護学校に転校する。歩行不能となり寝たきりの生活を強いられながらも家族等の暖かい支えに感謝を捧げながら必死で生きたが、88年5月に25歳で他界した。タイトルは養護学校へ転校を決めた際の亜也さんの心情を表しているという。

作品は、同本に加え、亜也さんのお母さん・潮香さんの手記をまとめた「いのちのハードル」(同出版社/26万部売上)をもとに、難病発症から死までの日々を家族や主治医とのこころのふれあいを中心に描く。ロケの8割は豊橋市で行われた。

 ストーリー


主人公、亜也を襲った病気は「反射的に体のバランスをとり、素早いなめらかな運動に必要な小脳・脳幹・脊髄の神経細胞が変化、ついには消えてしまう」(木藤亜也主治医/藤田保健衛生大学神経内科教授・山本緩子の著述より〉脊髄小脳変性症という難病。
亜也は中学3年生の時に発病するが、難関の県立東高校に入学する。症状の進行と共にやがて動作が鈍くなり、学校内の移動ですら友人らの手助けがなくては困難な状況に…学校から転校を迫られる。
亜也は友人らの負担の限界を知り、養護学校への転校を決断する。
亜也はその時、日記にこう記した…
「私は東高を去ります。身障者という重い荷物をひとりで背負って生きてゆきます。なあんてかっこいいことが言えるようになるには1リットルの涙が必要だった…」
こうして亜也は養護学校での寮生活に入った。養護学校に入っても、亜也は社会へ出て役に立つ仕事がしたいと大学進学への勉強に励むのだが、やがてそれも叶わないこととなる。
養護学校で演劇の発表会が催されることとなり、亜也も裏方として参加する。
発表会は大成功だった。亜也たちの感動もひとしおだった。
「いつもいつも人のやるのを見てばっかり、でもやれたんだ」
養護学校を卒業し、亜也は自宅療養と入院を繰り返すようになる。
それでも亜也は社会へ出て働く希望を捨てない。「何かできる仕事があるはず…」病院での生活はリハビリの毎日。悪くなっても決して良くはならない病気の進行を少しでも食い止めるために不可欠だった。ひたむきにリハビリを続ける亜也にいつしか病院の患者たちも声援を送るようになっていった。そんなある日、亜也は意を決して山本医師に聞いた「先生・・私・・結婚できる?」山本医師は言葉に詰まるが応えて言う「出来ないと思う・・」「先生ありがとう・・本当のとを言ってくれて…」。
亜也の症状はさらに悪化していく。自宅の介護ベットの上で生活することとなり、文字を書くのも困難になっていった。

ある日、亜也は今まで書き溜めた日記を母・潮香に託す。潮香はその日記を夜を徹して読んだ…亜也の苦労を想い、あふれる涙を止めることができなかった。病床の亜也を静かに見守る潮香。

亜也は20歳になっていた。
それから亜也は5年余を生き抜き、25年と10カ月の人生に幕を閉じた。

 

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