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美味しい料理とワインを楽しむ旅 Vol.2 Hunter Valley

 

ワイナリーやセラー・ドア、レストラン、ギャラリー、アンティークショップや各種アコモデーションの集まるハンターバレーには、地元シドニーはもちろん、遠く海外からも余暇を過ごしに大勢の人々が訪れます。ハンターバレー入植の歴史はオーストラリアにおいてはわりと古いほうですが、最初に簡単に説明いたします。

 

  

  

  

200年ほどの歴史

ハンターバレーの歴史は英国植民地時代にさかのぼります。1797年、英国海軍のジョンショートランド大尉が、拘置所からの逃亡者を追跡してシドニーからこの地を捜索した際に、偶然、木材と石炭が豊富なことを発見します。逃亡者の追跡は失敗に終わりますが、このことを報告した結果、当時、シドニーで深刻な問題であった船の建造に必要な木材と燃料の石炭不足を解消するため、1801年には調査目的の遠征隊が派遣されます。  

1823年から葡萄栽培がはじまる

その後、シドニーから150km北に陸軍が前哨基地を設営し、新たに囚人拘置所が建設され、食料と木材、石炭確保の労働力として多くの囚人が送り込まれます。20年ののち、木材と石炭産業の発達、土地政策、陸路の開通により、

多くの自由移民がこの地にひきよせられます。また、刑期を終えた囚人も増し、1820年代中頃になると葡萄の栽培がはじまります。現在のマイトランドとシングルトンの間、ダルウッド・グレスフォードエリアでは、1823年から川沿いに

20エーカーほどの葡萄の栽培がはじめられ、オーストラリアワイン産業の礎を

築くことになります。

ハンターバレーのワイン

ここで生産されるワインの品種は多種にわたりますが、特にセミオン、

シャルドネ、シラーズは、オーストラリア国内はもとより、広く海外からも絶賛

されています。また、醸造技術と流通網が発達しているため、豪州国内の

他の産地で収穫された葡萄もこの地域で醸造され、ボトルに詰められワイン

として出荷されています。伝統的なヨーロッパのワイン作りと違い、高品質と

安定供給を維持する上で、葡萄の収穫地にこだわるよりも原材料となる葡萄の品質や配合に重点をおいた、斬新で合理的な考え方を取り入れています。  

 

(つづく)

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