Sunset at Docklands
メルボルンの最初の港町は、ヤラ川のクイーン・ブリッジのたもとにあるクイーンワーフ(クイーン桟橋)だ。現在のメルボルン水族館の東側一帯。1835年にタスマニアからの移民団が、クインワーフあたりに上陸したことに始まる。クイン桟橋一帯から定住がはじまり、直ぐ隣にメルボルン税関がコリンズ通り(Collins Street)とウィリアム(William Street)通りの交差点にメルボルン最初のウェストマーケットが出来た。
エティハッド・スタディアム(Etihad Stadium)
2番目の港町は、ポートメルボルンだ。1851年にゴールドラッシュが始まり、大量の金鉱山目当ての移民が始まり、ステーションピアが建設された。毎日、数隻の帆船が到着する大盛況で、サンドリッジの海岸は港町景気に沸いた。クインワーフは、手狭になり閉鎖されたが、現在のクラウンカジノからメルボルン展覧会場周辺がメルボルンで初めての船舶修理ヤードとなった。
ボルテ橋(Bolte Bridge)
ヨーロッパから長距離をやってきた帆船の修理に主に使われた。1880年頃にヤラ川の拡張工事が行われて、大型船がヤラ川へ入ってくるようになった。このころは、帆船から石炭炊きエンジンの船に変わり、1890年ころのヤラ川には煙を吐く大型船が入港していた
メルボルンの人口が急激に増えたため、スペンサー橋が1928年に建設され、大型船がヤラ川をさかのぼってくることはなくなった。ドックランズ(Docklands)は1889年にオープン。1956年にAppleton Dock、1960年にWebb DockとSwanson Dockが建設。Swanson Dockは、ヤラ川のバイパス建設の際の土砂で作られた人工島の上に作られたもので、メルボルンの最初のコンテナヤードだ。
現在のメルボルン港は、年間3500隻以上の外洋船が発着し、200万個以上のコンテナを扱うオーストラリア最大のコンテナ港。ヤラ川や、メルボルン湾の水深が浅くなっており、浚渫作業をする必要があるが、自然保護団体による反対運動が激しくなかなか進展していない。
ドックランズの西側一帯には、コンテナヤードが広がるが、まだ広大な土地が残っており、今後は更に拡大される見込みだ。ニューキー・プロムナード(NewQuey Promenade)には、多くのレストラン、カフェなどがならび週末には行楽客で賑わう。
南半球で一番大きいという観覧車サザンスター(Southern Star)は、開業1ヶ月後の今年1月に熱波の影響で停止したまま、再開のみ通りは立っていない。
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