Fire Service Museum of Victoria
@ Eastern Hill Fire Station
1800年代は、自動車がまだ無い時代だ。電気もほとんど普及してなく、人力を除けば、石炭だきの蒸気エンジンが使用できる唯一のパワーであった。メルボルンがNSW植民地から独立してビクトリア植民地になった1851年に英国からレディドンタイプ(Lady Don)の消防車が輸入された。これは馬で引いて行くタイプで、ポンプも人力であった。
1890年代に梯子車が作成されたが、これも人力又は馬で引いて行くタイプ。1890年代になると最初の蒸気式ポンプ(Shand Mason Steaber)が英国から輸入された。これも移動は、馬で引いて行くタイプだ。
防火服、防火マスク、酸素マスクの各種。これらのコレクションは、オーストラリアで最も古いものが多い。現在のメルボルンは、石材やレンガを用いた建築物が多く、材木製の建物はそれほど多くない。しかし初期のメルボルンは、木造建築が多かった。(代表的な木造建築は、世界遺産のエキジビジョンビルディング。)
過去、数度の大火災をはじめ、市内の火災の記録は多い。過去の歴史で最大の火災は、1897年11月21日深夜午前2時20分にエリザベス通りとフリンダース通りの交差点で発生した。火災発生後30分で、消防隊員全130名が火災に立ち向かった。
しかし馬車式消防車と手動式ポンプ、不十分な防火用水の供給などで、強力な火災には太刀打ちできず、市内の多くのビルが灰燼に帰した。
最初の消防自動車は、1911年に導入された。アメリカで自動車の大量生産が始まる頃のことだ。最初は、メルボルンの有名なオペラ歌手メルバ(Melba)が所有してい乗用車であったので、メルバポンプ車と呼ばれた。メルボルン消防署は、1919年にこの車を購入してポンプ車に改造した。まだ自動車自体が珍しかった時代だ。1913年から1925年にかけて消防自動車が大量に導入され、馬で引くタイプは姿を消した。
フランスから輸入されたホッチキス社のロータリー式ポンプを持つ高性能ポンプ車だった。更に約9mのはしごを装備し、手動式の化学消化装置を備えた近代的な装備を持っていた。35台がメルボルン消防署に導入された。
1891年以前は、消防署は、地域のボランディア団体によって運営されていた。1891年にビクトリア州政府は、法律を改正してメルボルンを守るメトロポリタン消防署と地域消防署が設立された。メルボルン最初のボランティア消防団は、中華街のリトルバーグ通りに置かれたが、直ぐに恒久的な設備である現在のイースタンメルボルン消防署に代わった。
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