まちかどメルボルン
30 August 2009 @ Federation Square
1999年8月31日、東ティモール共和国はインドネシアから独立することを選択し、今年10周年を迎える。そんな喜ばしい日をメルボルンでも共有できるイベントが開催された。
民芸品のブースも並び、ハンドメイドで作られた小物やマフラーなどが販売された。ハイライトはステージで行われるライブ・コンサート。夕方から始まったステージ前には少しずつ観客が増えてくる。
東ティモールはインドネシアの東部、ティモール島にある。正式に独立を果たすのは2002年で、1999年8月31日は住民が独立を選んだ日である。独立以前はインドネシアとの対立がやまず、住民投票で独立が決定した後は武装勢力による破壊や虐殺があり、多くの難民が出たとされる。オーストラリア軍を主体とする多国籍軍が派遣されて、ようやく終焉した。
フェデレーション・スクエア(Federation Square)のビッグ・スクリーンに流れる東ティモールの景色は、まだその破壊の名残が多く見かけられ、廃墟で暮らす人々の姿が見られた。2006年には軍人によるストライキがきっかけで、首都のディリで暴徒化した若者があふれて反政府軍と化し、オーストラリア軍ほか3カ国軍の介入により鎮圧。その翌年にも政治がらみの暴動が起きている。独立10年後も未だに政治不安定が続き、色濃く残る貧困の景色が、とても心に刺さってくる。
実は筆者の実家の仕事の関係で、当時独立前の東ティモール出身の研修生を受け入れたことがある。独立問題のことをそのときに知った。とても陽気なフランシスコさんは、国に妻子をおいて日本へきていた。歌とダンスが好きで、突然歌って踊り出す姿をよく見かけた。いつも笑顔を絶やさず、妻子を想う寂しさや独立問題で故郷が苦しんでいることなど微塵も見せなかった。
彼が帰国後に東ティモールが独立を果たしたが、独立前後の緊張感もあり、祖父が出した手紙は届かないことがほとんどだった。オーストラリア経由で届いた彼からの手紙には、その後女児を授かり、祖父の勧めで「サクラ」という名前を付けたことを教えてくれた。家に“あいうえお表”を作って貼ってある写真も入っていた。
その後祖父との文通も途絶え、彼が今何をしているのかも判らない。今日このイベントに参加し、恥ずかしながら初めて東ティモールの風景を見た。困窮感の漂うその写真を見ていると涙があふれてくる。彼が今どうしているのか、そしてサクラちゃんにも会いたいと思った。
ライブ・パフォーマンスが中心のイベントではあったが、バックグラウンドの異なる人々が手を繋いで踊る姿がメルボルンらしい。東ティモールにとって8月30日が住民にとって大切な日であるのかを知る機会にもなった。ステージでスピーチをした女性の口調から、国民が8月30日をとても誇りに思っていることが解る。まだまだ問題や課外が残る東ティモールではあるが、そのプライドと誇りが国民にとっての支えなのかもしれない。
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