World Heritage Carlton Garden
13 September, 2009 @ Carton
カールトンガーデンとロイヤルエキジビジョンビルディングは、ビクトリア州では唯一のユネスコ世界遺産に登録されている。
カールトンガーデンは、フィッツロイガーデン、ロイヤルボタニックガーデンと並んで非常にゆきとどいた手入れを施された公園だ。
メルボルンを取り巻く庭園は、メルボルンが出来たばかりの1839年にビクトリア植民地初代ラトローブ総督によって、公園用地として確保された。
1856年にメルボルン市が管理することになり、エドワード・ラトローブ・ベイトマン(Edward La Trobe Bateman)に公園の設計を依頼した。
しかし公園施工の予算が限られていたために、十分な設計が出来ずに、不十分なままに残された。
1870年代に、ビクトリア植民地政府は、再度、公園の改修を開始し、公園設計家のクレモント・ホッジキンソン(Clemont Hodgkinson)が担当した。
1880年のメルボルン万国博覧会の際に、設計科のジョセフリード(Joseph Reed)によって大規模に改修が実施された。
改修の施工は、メルボルンの著名な園芸家ウィリアム・サングスター(William Sangster)が受注している。
カールトンガーデンの基本的なデザインは、この頃に出来あがった。
クレモント・ホッジキンソンが設計、施工、改修した主な公園。
1857年 サバーブアルバートパークのセントビンセント公園(St Vincent Gardens)の設計。
1860年に、クレモント・ホッジキンソンは、ビクトリア植民地の公園責任者となっている。
また後年、ホッジキンソンは、植民地の領土管理責任者(Surveyer General)になっている。
1862年 フラッグスタッフガーデン、フィッツロイガーデン。
1865年 ノースフィッツロイのエジンバラガーデン(Edinburgh Gardens)。
1867年 トレジャリーガーデン(Treasury Gardens)。
1867年セントキルダのアルマパーク(Alma Park)。
メルボルンから南西168kmにあるマリーボロー(Maryborough)のプリンセスパーク(Princes Park)。
ダンデノンのオリンダ(Olinda)の街の名前は、クレモント・ホッジキンソンの娘、Alice Olinda Hodgkinsonに由来している。
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