オーストラリアはイギリスの植民地としてはじまりました。最初の移民船団がシドニーに着き、イギリスの流刑地=植民地としてスタートしたわけです。その後タスマニアや、メルボルンのあるビクトリアが植民地として開拓され、その後、現在の各州が独立自治政府として発展してきました。
ご存知のように、1901年1月26日、各州の自治政府がひとつにまとまって連邦政府を作ります。そうしてできたのが現在のオーストラリア連邦です。この時初めてオーストラリアは国家としてイギリスの植民地から独立したことになるわけです。
さあ、そうなるとまず憲法を作り、国旗を制定し、国会議事堂を作り…と、いろいろと国としての体裁を整えなければなりません。もっとも大問題だったのが首都をどこに置くかでした。シドニーとメルボルンがお互いに激しい誘致合戦を展開し、なかなか決着がつかず結局、両都市の間に新しく首都を建設することになったのです。当時のキャンベラは何もない茫漠とした土地で、まったくのゼロから首都建設がはじまりました。
この人工都市のデザインは国際コンペで募集され、アメリカ人の建築家Walter Griffinの案が採用されます。ちなみにキャンベラの街が出来上がるのは1927年で、それまでは首都はメルボルンに置かれていました。
ところでオーストラリアの街や道の名前は、イギリスの地名や政治家の名前がつけられることが多く、「シドニー」は時のイギリスの政治家シドニー卿の名前からとっています。さて、キャンベラという名前ですが、そもそも何もない荒野に建設された街ですからはじめから名前がなかったんですね。首都名決定に至るまではさまざまな案が出され、ああでもない、こうでもないと議論がなされました。
まあ「Australific」は許せるとしても、なかには「Shakespeare」だの、カンガルーとエミューを組み合わせた「Kangaremu」だの、いろんな案が出されたみたい。なかでも傑作なのが、首都だから全部の州都を盛り込んだ「Meladneyperbane」! 笑っちゃいますね。で、最終的にはアボリジニの言葉で“meeting place”を意味する「canburry」から、「Canberra」に決まりました。
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