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空を飛ぶのは大変だ!

日本では羽田空港が国際化し、アジアの格安航空が乗り入れると話題になっていますね。羽田の国際化って、もともと東京国際空港だったのに、成田に座を明け渡して苦節32年、再び国際空港として生まれ変わったわけです。

日本人にとって海外旅行は、東京オリンピックの1964年、一般の人の海外旅行自由化が契機ですね。その当時は一人年に1回しか海外旅行ができない制限がありました。それに料金も非常に高額で、60年代、70年代にオーストラリアに来た人に、船で来たという人が多いんですよ。

当時の若者たちも、いまで言うバックパッカー、当時は貧乏旅行者として海外に出て行きましたが、飛行機で優雅になんて行けませんから、船で横浜からナホトカに行き、そこからシベリア鉄道に乗ってモスクワ経由でヨーロッパへ、というのがお決まりのルートでした。その後、当時の格安航空、パキスタン航空やエジプト航空などに乗って何とかインドまで行き、そこからおんぼろバスで陸路をヨーロッパへ、というルートが開拓されます。

その頃の格安航空は大手航空会社の飛行機の払い下げ機で、貧乏旅行者の間ではエジプト航空など“空飛ぶ棺桶”なんて呼ばれていましたね。スチュワーデスもゴムサンダルや裸足で歩いていました。東南アジアの国内航空会社の飛行機は、中古のそのまた払い下げという感じで、座席の色がバラバラだったり、以前の航空会社のロゴが残っていたり、食事のテーブルがなかったり、と本当にボロボロ飛行機でした。

ネパールの山奥の村をつなぐ飛行機は、山岳地帯を飛ぶためセスナのような小型機で、強風などに弱いため、少しの風でも運休というのがしばしばです。パイロットも元空軍パイロットという熟練でした。

そこで、今日の“歴史が動いた”です。12月17日は「飛行機の日」なんです。1903年のこの日、アメリカでライト兄弟が人類初の動力飛行に成功しました。で、アメリカでは「Wright Brothers Day」(ライト兄弟の日)と言うんですって。

それまで熱気球やグライダーでの飛行はありましたが、ついにエンジンを乗せた動力飛行が実現したのです。

  【1903年12月17日、ライト兄弟が人類初の動力飛行機での有人飛行に成功した時の写真】

ライト兄弟が飛んだという飛行機の写真は、はるか彼方オーストラリアのメルボルンに住むジョン・ドゥイガン青年に大きな影響を与えました。なんとジョン青年は、実物の飛行機を見ることなく、この写真をもとに、一人で飛行機を作っちゃったんです。

ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年7月16日、オーストラリアで初めてのオーストラリア人によるオーストラリア製の飛行機が空を飛んだのでした。空と言っても、地上から7メートルの高さですが…。その後も改良を重ね、10月には、3.5メートルの高さを時速40キロで、180メートル飛ぶまでになります。(でも時速40キロって、落ちないスピードなんですかね。ちょっと心配)

飛行機が実用化したのですから、郵便も飛行機で運ぼうと、航空便が登場します。4年後の1914年7月16日、メルボルンからシドニーに向けてオーストラリア初の航空便が出されました。でも配達されたのは、なんと! 2日後でした。車で運んだほうが早かったみたい。飛行機は悪天候のため途中何度も牧場に着陸したり、大変な思いをして郵便を配達しました。実際の飛行時間は9時間33分です。いまでは日本に行ける時間ですね。

 

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