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何でもかんでも自分が悪い・・・

DVDで角川映画の「戦艦大和」を見ました。

 

数十年前の日本にあんな極限状態があったのかと思いました。

そこで大変なストレスにさらされた兵隊さん、亡くなっていかなければ

ならなかった兵隊さんたちのことを思いました。

 

同時に、違和感を覚えた部分も正直ありました。

極限状態を生き残った兵隊さんたちがみんな、

戦友たちの死について、「自分が悪い」と

まるで自分が殺人を犯したかのようなたいへんな

罪の意識にさいなまれていることです。

 

ある兵隊さんは戦友の出身地に行って、

その母に「私が悪かったんです。

申し訳ありませんでした。

私を許してください」と

と罪を告白して、許しを請うのです。

 

う~ん・・・

しかもひとりではないのです。

登場する生き残りの兵隊さんたちが

みんなそんな感じなのです。

 

何でもかんでも自分が悪いとする

日本的美徳と言うのでしょうか・・・。

生き残ったことに罪悪感を感じることは

理解できるけれども、極限状態での

戦友の死は、自分の罪なのか???

自分だって、あってはいけない極限状態に

まきこまれた一人なだけではないのか?

 

大変な極限状態を経て、PTSD(外傷後ストレス

症候群)に大半がなっているのに、

そこに「自分が悪い」という日本的美徳の思考で、

うつをますます募らせていく・・・。

 

私たちは何でもかんでも自分が悪いと考え

謝罪する姿勢を美徳とする、もともとは仏教的な考え方から

来た日本的躾が身にしみこんでいます。

心理臨床をやっていると、その弊害に気づかされることも

多いです。

 

一方、うつを中心とした心理療法の最近のメインである

認知行動療法(CBT)は、いかに自分が悪いと思わないか、

他人が悪かった、タイミングが悪かった、運が悪かった、

そういうことだって誰だったあるさ、

あるいは、自分の人格が悪いのでなくあの判断はいまいちだった、

と原因を外在化する思考を徹底的にトレーニングしようとします。

それが、気分を落ち込ませない、精神衛生の要であると言います。

 

この日本的な美徳と、西洋的心理療法がよしとするポイントの、

真逆ぶり。

 

私たちは、何でもかんでも自分が悪いと考えてしまう思考回路の

弊害について、意識し始めた方がいいのかもしれません。

 

シドニーこころの相談室 (サイコロジスト やのしおり)

St. James Trust Building, Suite 219, Level 2, 185 Elizabeth Steet, Sydney 2000

0416-006-835

 

 

 

 

 

 

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