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高橋なんぐさん(お笑い芸人)

お笑い芸人 吉本興業主催の「全国お笑いコンテスト」で優勝し、地元新潟でお笑い集団を結成して活躍。地元ではかなり知られた存在となり、学校講演や大学で講師を務めたり、テレビ出演など仕事も順調のなか、突然、一切の仕事を断りワーキングホリデーで海外へ脱出。ニュージーランドに1年滞在後、2010年3月末に来豪。1年間の滞在後、日本には2011年4月に帰国予定という。「すべて順調なのになんで?」という声を振り切り、シドニーにやって来たお笑い芸人、高橋なんぐさんに聞いた。

「全国お笑いコンテスト」で優勝したのは15歳の時?

はい、高校1年のときです。たまたまテレビを見ていて新人発掘のお笑いコンテストがあるというのを知ったんです。それまでお笑いなんて一度もやったことがなかったんですが、「賞金100万円!」というのを聞いて、15歳の100万円って、すごい大きいんで。

金に目がくらんだ?

はい、早い話しがそうです。(笑)気がついたら書類書いて送ってました。書類審査が通って、全国8カ所で予選があるんですが、それに来てくれと。新潟はなぜか関東・甲信越地区に入っていて。

関東・甲信越地区って東京が入るから激戦区だね?

そうなんです。その時点で止めようかなと思いました。予選は横浜で行われて、3組が本戦に行けるということでしたが、横浜に行くお金がなかったんです。それで、親に新幹線代2万円貸してくれと。「なんで?」と聞くので、「今日横浜に行くと100万円もらえるんだ」って、よく分からないこと言って説得しました。(笑)

無茶苦茶だね。

よかったのは、実はぼく、それまで引きこもり状態で、人前に出られない子だったんです。学校には行ってたんですが、しゃべれない子で、いじめの対象にもならない、ほとんど存在感のない子でした。そんなぼくがちょっと外に出たいと言ったもんだから、親も喜んで「じゃあ行ってこい」と。で、予選では何とか3組に残って、今度は準決勝と決勝が東京ドームで1カ月後にやることになったんです。

誰かと組んで漫才をしたの?

いえ、ぼくは一人です。まったくお笑いのやり方も分からず、怖いもの知らずでしたね。3分間与えられて、自分で考えたネタをしゃべって。テレビのお笑い番組は見ていましたが、まさか自分がやるなんて思ってもいませんでした。出場者の皆さんは、結構お笑いが大好きでやっているコンビの人がほとんどでした。ぼくは逆で、やったことがないのと怖いものがないということで、審査員も西川きよしさん、桂三枝さんなど有名人でしたが、そんなに緊張感もなくやることができたんです。知らないというか、意識しないでやれたのがかえってよかったんでしょうね。それで、優勝しちゃったんです。これって、3分間の話しで賞金100万円いただいたので、1時間にすると2000万円なんですよ。15歳で時給2000万円の仕事をしたことになるんです。

まあ、計算上はそうなるわね。普通はそんな計算しないけど。

「うわぁ、時給2000万円の仕事があるんだ!」と。近所の総菜屋で時給700円の仕事をするのがばかばかしくなってきたんです。

賞金の100万円は何に使ったの?

えっ?本音と建前で2通りの答えがあるんですが。その頃は、たかられてたんで、「一晩でバアーッと使っちゃった」なんて言ってました。実際は貯金しました。

優勝して吉本に行ったの?

実はこの時、一緒にお笑い集団を立ち上げたスタッフの人が、たまたま新潟でお笑い集団を立ち上げようとしていたんです。それで新潟出身のヤツが決勝まで行ったということで見に来てくれたんです。そこで、優勝したので一緒に新潟でやらないか、力を貸してくれと言われたんです。もちろん吉本からもスカウトがありました。なにせ、新人発掘のコンテストですから。でも、ぼくは非常に天の邪鬼で、人の選ばないほうを選ぶんですよ。(笑)それで新潟を選びました。100万円だけ戴いて吉本はお断りしたんです。出演番組も決まっていたんですが。全部お断りして。

 

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