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なんで祝日なのか、ちょっと考えてみました。

明日は1月26日、オーストラリアの建国記念日でお休みです。というわけで、今日の話題はAustralia Day

ご存知のように1788年のこの日、キャプテン・フィリップ率いる第一次移民船団がシドニー湾に上陸して、ユニオンジャック(英国国旗)を翻らせて、この地を英国の植民地とする宣言を発したわけです。

それでこの日をオーストラリアのバースデー、建国記念日としたわけですね。

でも、その当時は英国の植民地としてだったので、本来の意味からすると、英国から独立をはたして連邦を結成した、1901年1月1日が建国記念日なんでしょうね。

そうすると、もともと元日の1月1日はお祝いの日なので、建国記念日のありがたさが薄れてしまうということで、ここはやっぱり、1月26日にしよう、という意見があったかなかったか、要はもう一日祝日を作るために建国記念日は1月26日となった次第。(ホントかな?)

とにかくこの日はオーストラリア人にとって非常に大事な日であるのは確かです。なにしろ植民地だろうが、なんだろうが、とにかく「オーストラリア」として世界に認知されたわけですから。

何で囚人の流刑地になったの? という素朴な疑問がありますが、簡単に言えば、英国にとって流刑地が足りなくなったんです。それまでは米国が流刑地でした。でも1776年に米国が英国から独立してしまって、もう囚人を送ることができません。そこでキャプテン・クックが1770年に「発見」していた南の果てのオーストラリアに白羽の矢を立てたわけですね。

こうして英国の新しい流刑地が決定し、1787年5月13日、11隻の第一次移民船団が、囚人772人を乗せて英国を出航したんです。もちろん囚人だけでなく、馬や牛、豚、羊、鶏などの動物も乗せていました。この航海中、赤ちゃんが6人生まれています。

そして翌年の1月18日から20日かけて、ボタニー湾に到着しました。シドニー湾ではなくてボタニー湾です。というのも、キャプテン・クックが1770年に着いたのはボタニー湾だったからです。それでボタニー湾植民地を設立するんだ、としてやってきたんですね。

キャプテン・フィリップも最初はこのボタニー湾に上陸して植民地の宣言をするはずでしたが、よく調べると、どうも殖民開拓するには適した土地ではないと判断したんです。いま、ボタニー湾周辺に住む人、ゴメンナサイですね。

で、少し北に行って、素晴らしい天然の良港を見つけたわけです。それが1月26日だったというわけで、“このとき、歴史が動いた”のです。ようやく、建国記念日にたどり着きました。

こうしてヨーロッパ人による開拓が始まるのですが、忘れてならないのはアボリジニの人たちのことです。オーストラリアは誰も人間が住んでいない不毛の大地ではなく、先住民としてアボリジニの人たちがいました。オーストラリア大陸には3万〜5万年ほど前から住みついていると言われています。

ですからアボリジニにとっては1月26日は白人による侵略の日なんですね。結局、白人に酷使されたり、虐殺されたりして、どんどんアボリジニは少なくなっていきます。

政策的に差別することはなくなってきましたが、いまでも差別は存在しています。それに、まだ憲法できちんとアボリジニの存在を規定していないんですね。ギラード政権は、その憲法を改正しようとしていますが、どうなりますか。

 

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