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わしらの旗をはためかせたい

今日は、オーストラリア・デー記念コラムの最終回として、国旗のお話ですよ。

オーストラリアに国旗が翻ったのは、今のタスマニア島を「発見」したオランダ人の探検家、タスマンが、1642年12月に、タスマニアのブラックマン・ベイにオランダの旗を立てたのが最初です。

その後、キャプテン・フィリップがシドニー湾に上陸して英国の旗を立てたのですが、当時の旗のレプリカは、シドニーのサーキュラー・キーのロフタス・ストリートにあります。

さて、1901年に、それまでの6つの英国植民地が一緒になって英国から独立し、オーストラリア連邦を結成するまでは、各植民地は英国の国旗や、植民地独自のものを使っていました。

連邦結成となるわけですから、当然、われらが旗を考えようよとなり、国旗のデザイン・コンクールが行われます。1901年9月3日、約3万点の国旗のデザインが、メルボルンのエキジビション・ビルディングに並べられ、その中から、似たアイデアを描いた5人が最優秀賞に選ばれます。

こうしてできたのが、オーストラリア国旗の元になったものです。というのは、その後も何度か、細かな部分の修正が加えられて、最終的に現在の国旗として制定されたのが1954年です。で、国旗には2種類あり、青地のものが国旗ですが、赤地のものもあり、こちらは海軍や商船など海上で掲揚するものです。

Australian National Fag

Red Ensign

実は、もうひとつ「国旗」があります。上半分が黒、下半分が赤で、真ん中に黄色の円があるアボリジニの旗です。これは、それまで国民として認められていなかったアボリジニの人たちが、1972年に、我々は外国人扱いされているのだからと、国会議事堂の前にアボリジニの「大使館」としてのテントを設営し、抗議行動をしたことがあります。その際に、大使館には国旗がなければということで、アボリジニの象徴としてこの旗が生まれました。黒はアボリジニの人々を現し、赤は大地と、虐殺されたアボリジニの血を現し、黄色は太陽を現しています。

このようなアボリジニの運動の高まりや、独立したとはいえ、まだまださまざまな面で英国との関係が強固に残る現状に対して、オーストラリアを真の独立国にしなければいけないと考える人々が出てきます。

自分たちの国歌を制定しようという動きもそうですし、当然、自分たちの国旗をデザインしようという人も出てきました。いつまでも英国国旗のユニオン・ジャックを自分たちの国旗に残しておくことはない、というわけです。

そこで民間の国旗制定団体が結成され、独自のデザイン案を公募していきます。この Ausflag が設立されて今年は30周年を迎えます。

何回かのデザイン公募が実施され、これまでに優秀作品が一般公開されてきました。毎年、オーストラリア・デーになると、国旗の論議が繰り返されていますが、共和制の議論と同様、広く国民による議論が必要な時期になっているのでしょうか。

国歌同様、国旗制定の国民投票が、そのうち行われるかもしれませんね。

みなさんは、一体どんなデザインを選びますか?

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