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水泳をお家芸とするオーストラリアは、これまでイアン・ソープを筆頭とする数多くの素晴らしいスイマーを輩出してきたが、これらの選手たちは強豪国ならではのプレッシャーを常にかかえており、若くして引退する者も少なくない。2000年シドニーオリンピックで銅メダルを獲得したバタフライの第一人者、ジェフ・ヒューギルさんもそのひとり。2004年のアテネオリンピックを最後に引退し自由な生活を謳歌。しかし水泳への情熱は捨てきれず、2008年に復帰を宣言。プールから離れていた間に増量した45キロのぜい肉をそぎ落としてのカムバックが話題となったが、31歳とベテランスイマーとして挑んだ昨年10月のコモンウェルスゲームズで金2、銀1と合計3つのメダルを取る大活躍を見せ、一際注目を浴びた。遠征で数回訪日した経験から、「日本が大好き」と話すヒューギルさん。選手生活やダイエットのことを伺ったほか、東北関東大震災の被災者の方々への暖かいメッセージもいただいた。 取材・文・写真:飯田裕子 |
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水泳を始めたきっかけは何ですか?
クイーンズランド州北部育ちというのもあり、4歳で水泳を始めました。あの辺りは本当に暑いので水に入ることが多い。家族が私に、水の事故を事前に防げるスキルを身につけてほしかったというのもあり、幼い時から水泳をやっていました。やっているうちにこのスポーツに対する情熱が沸き起こり、今に至ります。初めてすぐ、5歳ぐらいからクラブレベルの試合にで始めました。11歳か12歳の誕生日を迎える少し前に素質を買われてブリスベンに移ることになりました。最初はひとりで移動しましたが、その後家族もブリスベンに引っ越してきました。もし国代表レベルになるのなら、田舎を去って都会に移動しなければならないと思っていました。5歳の頃から、『オーストラリア代表になる』と心に決めていました。小さなころから、『オーストラリアのために泳ぎたい』と思っていました。
北部準州のゴーブ生まれとのことですが、こちらでの生活は覚えていますか?
父が鉱夫だったので、ここで生まれました。12カ月ここで暮らした後、ビクトリア州に移動し、その後クイーンズランド州北部のマッカイに移り住みましたが、水泳はそのマッカイで始めました。ゴーブでの暮らしは何も思い出せません。
選手生活の中で最も印象に残っている試合は何ですか?
2000年のシドニーオリンピックは、私が最も好きだった大会のひとつです。オリンピックに出場することはそう滅多にあることではありませんが、それが自国開催のオリンピックとなるとなおさらで、人生一度きりの経験です。私にとって、このオリンピックに出場できたことは、まさに夢の実現であったと思います。男子100mバタフライで銅メダルを、そして、400mメドレーリレーでは銀メダルを取ることができました。どちらのメダルも本当にうれしかったですし、このオリンピックは一生忘れられない経験になりました。
2004年のアテネオリンピックの後に引退しました。その理由は何でしたか?
あの時は、私の心の中に「水泳」がなくなっており、人生で何か別のことをしたいと感じていました。選手は、一日最長5時間水中にいるわけです。情熱がなければこんな生活を続けられません。まさに非常に孤独な「人生の一人旅」です。そこで何か別の目標を目指して、別のことをやろうと心に決めたのです。水泳に関しては「もう十分だ」という気持ちでした。15年間同じプールで、同じコーチに指導を受けて、同じことを繰り返す…、この間に泳いだ距離は、シドニーとロンドン間の往復と同じ距離だった。あの時は本当に「次に移ろう」と思いましたね。
引退してから45キロ増量したそうですが?
スポーツから離れるとすべてから離れることになります。運動もしたくなかったし、食事も好き勝手にできました。ジャンクフードによく手を出していた上に運動はゼロ。そんな生活を送って非常に不健康でした。選手時代は運動も良くしていましたし、食事にも気を付けていたので、引退後に太るのはいたって簡単なことでした。
4年間ほど、水泳から遠ざかっていたことになりますが、物足りなさを感じたことはありませんか?
たしかに水泳を恋しいと思ったことはありましたが、当時は、復帰して真剣に泳ぐことはまったく考えられませんでした。
そして2008年終わりに復帰を宣言されました。どのような理由で復帰を決意されましたか?
2007年にプールに戻りましたが、国際試合出場を狙っての復帰を宣言したのは2008年です。もちろん2010年コモンウェルスゲームズでオーストラリア代表として出場することを目指しての復帰でした。当時29歳で、復帰するには年齢的にも厳しかったですが、まだ水泳に対する情熱がありましたし、エクササイズとして泳いでいるだけでもかなり良いレベルで泳げていました。国を代表して泳ぐ最後のチャンスと思って復帰しました。そして、国を代表するチャンスも2度目となると本当にありがたく思うものです。私は後悔することを常に嫌いますしね。時期を同じくして、現在のビジネスパートナーであるキース・サガーと出会い、私たちはいろいろなことを話し合いました。彼に「今も水泳への情熱がある」と伝えたところ、彼は私が水泳に復帰できるように支援をしてくれると申し出てくれました。復帰を決意した際、私はシドニーに住んでいました。代表に返り咲くには良いチームで練習することが不可欠でした。現在所属するNSWISは世界屈指のトレーニングチームで、このチームで良い練習をつめれば私が復帰しても成功すると確信していました。
そして45キロ減量をして復帰しました。その減量が成功した秘訣は何でしょうか?
最も大事なのは「一貫性」です。減量においては、食事日誌のようなものをつけ始め、食べられる「予算」を設定しました。減量は、自分が食べている量が分からないと絶対に成功しません。口に入れた食べ物はすべて日誌につけました。チョコレートひとかけらでも、水でも、アルコールでも、すべてです。つけ始めてから1~2週間で、自分がどれだけ食べているのか把握できるようになり、いかに食べ過ぎているかを痛感しました。そこから、『これは食べないよう』などと考えるようになりました。食生活を変えるのは、自分が何を食べているのかを把握しないことには始まりません。以前とくらべて食事量も減りましたし、食べているものも変化しながら、今の独自の食生活が成り立ったと思います。(ピザなどを食べることもなくなりましたか?)今もピザは食べますよ。でもホールで食べるのではなく、ひと切れですね(笑)。
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