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称賛される日本人

今日で東日本大震災の発生から1カ月が経ちました。いまでも多くの方が避難生活をしています。死者・行方不明者も増えています。

被災地では懸命の復旧作業が進められて、がれきの撤去や道路や電気などのインフラの回復も徐々にではありますが進んでいます。気になるのは原発事故の深刻さです。未だ安定化していない原子炉に、放射線の放出、拡散が懸念され、風評被害も治まってはいません。

そんな中、海外メディアの反応は、原発事故に懸念を示してはいますが、今回の過去にないほどの大きな災害を前にした日本人の冷静な行動を称える記事が多かったと思います。

There was shock, yes – but no panic, just a quiet sence of solidarity.

Increased social cohesion has been evident throughout Japan's triple calamity of earthquake, tsunami and nuclear crisis – and its citizens widely praised in the media for their endurance.

Throughout this crisis … the civility of Japan has been one enduring, positive image.

このような称賛の記事は、過去に起きた、例えば米国南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの災害時の暴動や、ハイチ地震の際の暴動などの事例と比較されて、沈着冷静な日本人の姿を見事だと言っています。

避難所での秩序ある集団生活、水や食料の配給に整然と並ぶ姿、停電や渋滞のために何時間もかけて歩いて帰宅する人々が、きちんと赤信号で止まる姿…。

こうした日本人の行動が称賛され、「どうだ日本人のすごさが分かったか」とばかりに、途端に胸を張る日本人も多く見られます。また、こんなに言われるとなんだか恥ずかしくなってしまいます。

でもこれって、横並び意識が強い日本人を表していますし、お上に弱い日本人の性格でもあります。我慢強いという面も、実際はあきらめてガマンしてしまうことです。

物事には両面があります。表に見られるよい面、評価されている部分は大事にしたいですが、隠れている面、弱い部分には自覚的になる必要があるのでしょうね。

以前、このコラムにも書きましたが、日本にとって、日本人にとって、3.11以前と以降とでは確実に生き方が、社会のあり方が変わります。願わくば、世界から称賛されるような変わり方をしたいものですね。

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