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近江孝行さん(プロサッカー選手)

1982年、滋賀県生まれ。小学生の頃にサッカーを始め、中学生の時に県トレセン*の強化選手に選ばれる。サッカーの強豪校滋賀県立草津東高校に進学し、在学中3年連続全国高校サッカー選手権大会に出場、3年次では日本代表の大久保嘉人選手率いる国見高校と決勝で対戦し、準優勝する。また同大会の優秀選手に選ばれ、ヨーロッパ遠征に参加。その後、近畿大学に進学し、4年次にはサッカー部の主将を務める。大学卒業後、ドイツへ渡り、国内5部リーグのSSV Eintracht Uberherrnに入団。半年在籍したのち、いったん日本へ帰国。再びドイツへ渡航し、ドイツ4部リーグのSF Eisbachtalへ入団する。2008年、新天地を求めてニュージーランドへ渡り、同年8月に国内2部リーグのOnehunga Sportsに入団。シーズン中に大活躍を見せ、同リーグの最優秀選手に輝く。翌年、1部リーグのYoungheart Manawatuへの移籍を経て、2010年に1部リーグの名門チームAuckland City FCに入団。2011年3月初旬に来豪、国内2部リーグのSydney Olympic FCとプロ契約を交わす。現在は選手を続けるかたわら、少年サッカー教室を開講している。

大学卒業後、海外へ飛び出し、ドイツ、ニュージーランド、オーストラリアとさまざまなクラブチームで経験を積んできた近江孝行選手。プレー・スタイル、言語、生活環境のすべてが日本と異なる状況で、サッカーのテクニックのみならず柔軟な思考力と強靭なメンタリティーをも培った。2011年3月、「(選手生命も)あと2年が限界。最後まで燃え尽きたい」との熱い思いを胸に来豪。まもなくして国内2部リーグのSydney Olympic FCへの入団が決定した。現在、プロサッカー選手として活躍するかたわら、現地の子どもたちに向けてサッカー教室を開講している。サッカーを始めた幼少期から立ち止まることなくひたすら走り続けてきた情熱家。彼を突き動かすものはいったい何なのか。

「とにかくドイツ人は陽気でアツいんです」

まずはSydney Olympic FCへの入団、おめでとうございます。

ありがとうございます。最初はクラブのアンダー20の練習に参加させてもらったんですけど、はじめのうちはかなり冷たくされましたね。誰も僕のことを知らないし、日本人だし…。たまたまファースト・グレード(1軍)の練習試合に空きができたみたいで、ゲームに呼ばれて出場しました。そのあとも練習試合に出場させてもらえる機会があって、それで認められたという感じです。

そもそもサッカーを始めたきっかけを教えてください。

親父が野球派だったこともあって、小学生のとき地元で少年野球をやっていたんです。でも当時Jリーグができて、周りのみんながサッカーをやりだしたので僕も始めることにしました。自分の意志というよりも友だちの誘いなんですよ。

中学でトレセン*に選出、高校3年次に全国高校サッカー選手権で準優勝を果たし、大学4年次にはサッカー部で主将も務めました。卒業後、なぜ海外へ行くことにしたのですか?

高校の時、(サッカーの)海外遠征に2回連れていってもらったんです。最初は国体の滋賀県選抜として他に選ばれた15~20人と一緒にオランダとドイツに行きました。そこで現地の有名なコーチから指導を受けて、現地の同世代の子どもたちと練習試合をしました。正直(彼らの)プレーは下手だなと思ったけど、体がでかくて力強さがありましたね。そこでの経験で、海外にはこんなサッカーがあるんだと知って、将来海外でサッカーができたらいいなと思ったんです。

次に高校選手権の優秀選手で構成された日本高校選抜で行ったのがオランダ、ドイツ、スイス。そこで海外に出てサッカーがやりたいと再確認しました。大学の時には行きたい気持ちがあったんですけど、親に大学だけは出ておきなさいと言われたので、とりあえず大学生の間、毎年12月にもらえる1ヵ月の休みには海外に行ってましたね。将来海外でサッカーをやるために必要なこと(ビザとかコネクションとか)を調べて準備してました。

ドイツSSV Uberherrnへの入団。念願の海外進出ですね。

1チーム目のSSV Uberherrnは知り合いを介してわりとすんなり決まって、半年間プレーしたんですけど、あんまり強いチームでもなかったんで、このままじゃダメだと思っていったん日本に帰ったんですよ。日本でもプレーしたいという気持ちはあったんですけど、現実的に厳しかったということと、海外でやりたいっていう気持ちがありました。それでまたドイツに戻って、いろんなトライアルなどに参加して、2チーム目(SF Eisbachtal)が決まりました。結局そこには2年くらいいましたね。

「ニュージーランドはテクニックよりも

アグレッシブさですね」

これまで日本、ドイツ、ニュージーランド、オーストラリアでプレーされてきましたが、4国の違いは何ですか?

日本人は(練習のとき)まじめすぎるくらいまじめ。それでもって真剣だけど、試合のときの激しさがあるかといったらそういうわけではない。みんなドイツには厳格なイメージを持ってると思うんですけど、僕が行った2チームは全然そんなことなくて、めちゃくちゃ陽気でしたね。でもオンとオフの切り替えがしっかりしてて、一度スイッチが入るとカーって熱くなるから練習とかすごいんですよ。チームメイト同士のケンカも激しいし言い合いもするけど、終わると普通にビール飲んで仲良くなるっていう。とりあえずドイツ人はアツいですね。だから僕はドイツが好きなんです。

ニュージーランドには、あんまりいい印象がないですね(苦笑)。競技に対する意識が低い。日本もドイツも「みんなでやろう!」っていう意識があったんですけど、ニュージーランドのチームメイトを見る限りそういう感覚はないですね。ラグビーが強いので、一応団体競技は浸透してるみたいですけどね。彼らは個が強くて自分で考えて動くことが多いので、チームのためにやってるっていう選手はあんまりいないんじゃないかな。

オーストラリアは、今まで(いろんなところを廻ったなか)で一番プレーが激しいかな。アグレッシブでラフプレーがすごい。練習中ファウルだらけですよ(笑)。ドイツだったら、試合前とかにラフプレーをすると監督にめちゃくちゃ怒られるんですよね。チームメイトがケガしたら試合に出られなくなるじゃないですか。激しいプレーはいいけど、悪質なファウルや一線を越えてるプレーは向こうではダメでしたね。

どの国のプレー・スタイルが自分に合っていると思いますか?

ドイツもニュージーランドもオーストラリアもテクニックよりアグレッシブさに重点を置いています。例えば、スペインとは全然違うスタイル。そういう意味でこの3国は同じ系統のサッカーですね。それに慣れてしまって、逆に僕は日本で(プレーするのは)キツいと思います。

海外での経験で得たものは?

どこでも生きていけるメンタル面での強さ。外国人に対しての恐怖感もないですね。

言葉の面での苦労などがあったのでは?

ドイツ語ははじめまったくしゃべれなかったので、コミュニケーションは苦労しましたね。ドイツでは監督ともチームメートともドイツ語でしたから。最近の若い人はほとんど英語ができるんですけど、僕がいた場所はちょっと田舎の方だったので英語が話せる人も限られてたんですよ。最終的には勉強して普通に会話できるくらいにはなりました。

ニュージーランドに移ってからも半年間くらいはすごく大変でしたね。ドイツ語と英語は(単語が)似てるんですけど読み方が違うから、途中で自分がどっちをしゃべってるかわかんなくなってよくパニックになりましたね。

最近では海外で活躍する日本人選手も増えてきて、日本国内のレベルも上がりました。いちサッカー選手として、こうした日本の変化をどう見ていましたか?

海外で通用する日本人選手はいっぱいいると思っていたので、必然的じゃないかなと。俊敏性が高くて、チームワークも考えるし、ボールタッチなんかの個々の技術も優れてる。(海外では)頭がいいというイメージも持たれている。そういう部分は海外で気に入られると思いますね。今多くの選手が海外で活躍していることに驚きもあるんですけど、いずれこうなるなとは思ってました。

「将来のためにいろんな経験が必要。

まずはコーチングかなと・・・」

ニュージーランドでの活躍後、次のステップとしてオーストラリアに来られました。シドニーを選んだ理由は?

シドニーに日本人サッカー関係者の知り合いがいたこともあって、選手プラスコーチングという目的で来ました。ニュージーランドにいた時も地元や日本人の子どもたちに教えていたんですけど、将来的にはしっかりした組織にしたいなと思ってたんです。シドニーにはこれまで3回ほど来たことがあって、ニュージーランドとの規模の違いを感じましたね。サッカーのレベルも高くて子どもの数も多いんで、ぜひそこで挑戦したいなと思ったんです。日本から選手を誘致したり、日本の少年たちが海外に行くのをオーガナイズしたりすることにも興味があります。シドニーでならできるんじゃないかなと思ったんですよ。とにかくこれからもサッカー関連の仕事をしていくっていうのは譲れないですね。

現在はシドニーでどのようにお過ごしですか?

チームでの練習と試合があるのと、その合間をぬって(シドニー在住の)日本人の子どもを対象にサッカーを教えています。先日は日本人学校(テリーヒルズ)でも教えましたし、(ノース地区の)アーターモンでもやっています。生徒もちょっとずつ増えてきているんで、あと1~2つ教室を増やして、組織をもっと大きくしていけたらと思っています。

今後の目標、展望を教えてください。

まずは、サッカー選手としてできるだけやりたいですね。Sydney Olympicはもちろん、できるならAリーグでもやってみたいです。今28歳なんで、あと2年くらいが限度かなと。それまではどこかでプレーして燃え尽きて、あとはサッカー関係の仕事がしたいです。いろいろ社会的な勉強もしてみたいなとも思ってます。

ワーキングホリデー制度を使って夢を持ってオーストラリアにやって来るたくさんの若者にアドバイスやメッセージがあればお願いします。

自分がどうやっていきたいかというビジョンをある程度持っていた方がいいと思います。もちろんすべてがうまくいくわけじゃないし、僕もほとんど(計画が)狂いましたけど(笑)。もしビジョンがなかったとしても、英語を勉強したいとか何か(目標が)あると思うんですよね。それならできるだけ現地に入り込むのがいいと思います。僕はドイツにいたとき、日本人とほとんど話したり遊んだりしなかったんです。寂しい思いはしたけど、現地の人と交流を持って同じ生活をしたことで得たものは大きかったと思いますね。オーストラリアは日本食のレストランなんかがいっぱいあるし、日本と同じような生活ができてしまうので、そっちに甘えてしまう可能性があると思うんです。それでもいいと思うんですけど、もしそう望まないのであれば、現地にとけ込めるよう努力した方がいいと思いますね。

(注記) *県トレセン:都道府県トレーニングセンター:日本のサッカー強化、発展のため、将来日本代表選手となる優秀な人材を発掘し、整った環境や良い指導を与えてトレーニングを行う組織。対象地域および主催協会によって下位から順に地区トレセン、都道府県トレセン、地域トレセンが設置され、それらを通じて日本全国から選抜された選手がナショナルトレセンに参加する。

近江選手が開講するサッカー教室では、体を動かすことを目的に、

楽しさを重視したサッカーのトレーニングを行っている。

初心者から経験者まで誰でも参加することができる。

KIDSサッカー

日時:毎週月曜日16:00~17:15

場所:Thompson Park(Reserve & Barton Roads, Artarmon)

対象:5歳くらい~12歳くらいまでの子ども(人数が揃い次第、年齢別にグループを分ける予定)

参加費:1人$10(初回は無料)

問い合わせ:

0450-183-919(近江孝行)

takaomi4121@gmail.com

※他の地域、日程も現在検討中。

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