シドニーから西に260キロ、車で約3時間半の距離にオレンジ(Orange)という街があります。フルーツピッキングやワインで知られる街です。オレンジというぐらいだから、みかんの産地かと思う人がほとんどですが、リンゴが名産です。
この街に、日曜日に日帰りでドライブしてきました。
シドニーからM4を走り、ブルーマウンテンを越えて、リスゴー(Lithgow)の街を抜け、右手に「原発?」かと思ってしまう火力発電所の白煙を吐き出している大きな煙突ドームを見ながら、さらに進んで、バサースト(Bathurst)で休憩。ここからカウラ(Cowra)に行く道とオレンジに行く道に分かれます。
オレンジは人口3万8,000人の街です。色とりどりの花が咲くカラフルな街(Australia's colour city)としても知られ、農業が中心の小都市です。ここに日本人が4、5人住んでいます。数年前にシドニーから移り住んできたIさんにお話しを聞きました。
オレンジの街が気に入っているというIさんは、夏は少し涼しい気候で快適だが、冬は寒くて大変だと言います。引っ越した当時は魚屋もあったそうですが、そのうち閉店してしまい、日本食などはスクールホリデー毎にシドニーまで出かけて買い出しするそうです。それでもこの街が気に入っているという彼女は、すっかり地元コミュニティーに溶け込んでいるようです。とにかく小さい街なので、歩いていても、顔見知りの人にしょっちゅう出会うそうです。
Iさんは、今回の日本の大震災に、お友だちと日本の被災者支援のために何かできないかと思い、3月のHarmony Dayのイベントで巻き寿司を販売して売り上げを寄付することにしました。お友だちは、フリーマーケットに参加してその売り上げを寄付するため、友人や家族に声をかけて雑貨品を集めました。ほかのお友だちも当日、子どもたちを連れて参加し、折り鶴を10セントで販売しました。そのために地元の新聞に紹介記事を書いてもらったそうです。
「巻き寿司の販売で売上が300ドルと、ほかに募金が約250ドル集まりました。3時間という短い時間でしたけど、お寿司は完売。オーストラリア人の方々の温かい気持ちに感謝です」と話してくれました。
失礼ながら、こんな小さな街にも日本人が住んでいて、そして自ら被災者支援のために立ち上がって募金活動をされたということに感動しました。おそらくオーストラリア全国で、日本の方々が自らできる範囲でさまざまな活動を行っているのでしょう。
「今回、小さい力も集まれば、大きな力になることを学ばされました」と話すIさん。おそらく日本の方はもちろん、シドニーで募金活動やチャリティーイベントに参加された方々、皆さんがそう実感されているのではないでしょうか。
「今回は、被災者以外の人達も学ぶことがたくさんあったと思います。生きてゆきましょう」とも話してくれたIさん。本当に多くのことを学ばされました。日本の復興にはまだまだ長い時間がかかりますが、海外に住む日本の方一人一人が、皆さん同じような思いを持って、日本の復興のお手伝いを何かしたいと考えているはずです。
オレンジは茨城県牛久市と姉妹都市です。お互いに子どもたちの交換留学を行なっています。こういうときだからこそ、自粛などと言わず、これまでと変わりなく、お互い交流しあってもらいたいですね。その積み重ねが、相互理解につながり、国際交流になり、そして、被災者支援にとつながるのでしょう。
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