よく言われるように、オーストラリアでは離婚が多いです。日本のように、双方が離婚届に判を押さないと離婚できないことはなく、1年以上の別居で離婚できてしまうということですから、わりと簡単に別れることができるわけですね。
そこでは、離婚原因としての浮気が問われることもなく、実質的に別居しているから、ふたりには愛がないのだろうというわけです。
離婚で問題になるのが財産分与ですね。お互い納得するなら簡単ですが、そこは欲が出てきて、「もっとよこせ」「これは私の物よ」と、醜い争いになってしまいます。とにかく離婚は厄介で、エネルギーがいるものです。
あのときはお互い愛し合っていたけれど、そのうち顔を見るのも嫌になり、最後は憎しみしか残らない…そんな関係だと、当然離婚による財産分与なんて、お互いに一銭たりとも相手には渡したくないものです。
そんな将来の別れる可能性を意識してか、現在、110万人のオーストラリア人が自分のパートナーと別居をして暮らしています。別居しているからといって、べつに別れているわけではありません。お互い愛し合って、いわば事実婚関係にあるのです。
なら、どうして別居しているの? ともっともな疑問が浮かびますが、要は財産分与のややこしさから逃れようとしているわけです。
お互い別々に暮らしているので共有の家具や財産があるわけではなく、実態として毎日会って愛し合っていたとしても、別居の事実はお互いが事実婚ではないことを証明しているというわけですね。
確かに、たとえ短い結婚生活で離婚したとしても、いったん同じ屋根の下で暮らした事実があれば、そこにある財産は基本的に夫婦ふたりの共有財産と看做され、財産分与の対象になってしまいます。結婚前からの所有物だと主張するにはそれなりの証明をしなければならず、また家などは二つに切って分けるわけにもいかず、売却して得たお金を二等分なんてことになりかねません。とにかく財産分与は面倒なものです。
だからこそ最初から別居していれば、別れる際に何の問題もないと考えるのは当然ですね。お互い納得づくの別居生活となります。
ところが法は決してそんなことを許してはくれません。結婚または事実婚に破局が訪れても、夫婦、またはそれと同等な関係にある相手と同居していなくても、法的に財産分与からは逃れられないことになっています。
逆にいうと、法律は別々に暮らしながら人生を共にする、別居して暮らすことを認めているので、別居の事実だけで財産分与問題から逃れることができないということです。
法的にはふたりの関係が事実婚かどうかを見極める基準がいくつかあり、同居はその中のひとつの基準でしかありません。たとえ別居していても、長期にわたる関係性や、ふたりの性的関係、そして抽象的な“人生をシェアしている相互関係”などの基準で判断されるのです。
そうです! 自分の人生を自分本位で楽しみながら、一切義務は負わないという生活は都合がよく、そう単純なものではないということです。
特に熟年カップルの場合に多く見られる別居婚(あえて実態からこう呼びます)が顕著です。お互いに、出会う前からそれぞれ家族を持ち、離婚同士でつきあうケースが多く、経済的にも別居して暮らす余裕があるわけです。では若いカップルはというと、これはこれで、同居することで生じるお金に関するお互いの意見のぶつかり合いに嫌気をさして、いっそのこと別居してそれぞれ暮らす方法を選択するというわけです。その結果が110万人という別居婚の実態です。
こうなると、(別居しているからいざという時に財産分与で問題にはならない)などという考え方は非常に危険で、双方、円満に別れられるのなら良いのですが。万が一こじれて裁判にでもなったとしたら、いくら別居の事実を申し立てても「事実婚」だと認定されて、しっかり財産もふたりで分割なんてことになりかねません。
まあ、きれいに別れる術を身につけることが大事なのか、そんなこと考えずに、愛ある生活を生涯送るのが一番だ、というわけでしょうか。
(水越)