【メルボルン17日AAP】 70年前の1942年2月19日に日本軍による2度の空襲を受けたダーウィンでは19日、追悼記念式典が開催される。
同市は日本軍から合計64回の攻撃を受けているが、この初めの2回の空襲では少なくても240人が死亡した。また、7隻の船舶が沈没し、飛行場のほぼすべての飛行機が破壊され、市民の大部分が疎開した。
同日の空襲には日本軍機242機が当たったが、その多くが2ヶ月前に真珠湾での対米攻撃に参加した4隻の空母「赤城」、「加賀」、「飛龍」、「蒼龍」から発進したものだったとされている。
シンガポール陥落のわずか4日後に起こったダーウィン爆撃は、オーストラリアにとって全面的侵略の前触れだと広く見られていた。当時のカーティン首相は翌日の新聞記事の中で、「ダーウィンのこの襲撃から・・・国民ひとりひとりが試練に立ち向かう覚悟をすることを誓おう」と述べたことが報告されており、その深刻さのほどが分かる。
今年70周年を迎える空襲記念式典には、当時の空襲体験者らもそれぞれの思い出を胸にしながら参列する見込みだ。