【キャンベラ4日AAP】 NSW州カウラの収容所から日本兵捕虜が脱走し、多数の死傷者を出した「カウラ事件」から、5日未明で75年を迎える。4日には多数の関連行事が開催されるほか、同事件が発生した8月5日の午前1時50分を記念し、5日早朝にカウラで記念式典が行われる。
同事件は、捕虜収容所からの脱走事件としては史上最大で、死者は日本人231名、オーストラリア人4名のほか、日本人の負傷者が108名に上った。歴史家のマット・マクラクラン氏は「日本兵たちは自由を求めて脱走したわけではなく、豪軍に出来る限りの反撃を加え、栄誉ある戦士を遂げようとした」と話す。
1962年には、日本政府が第二次大戦中にオーストラリアで戦死した日本人兵士の遺骨を、カウラに建設した日本人墓地へ埋葬し、63年に墓地はオーストラリア政府の計らいにより、日本に譲渡された。71年にはカウラのベレビュー・ヒルに日本庭園を造る計画が持ち上がり、79年に開園している。マクラクラン氏は「カウラは75年前、大事件が起きた夜から、修復と和解の道しるべになった」と述べた。