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広島原爆 当時の状況を知る豪人が語る

【シドニー5日AAP】   8月6日は太平洋戦争中、広島に原子力爆弾が投下された日。今年で69年目を迎える。この原爆の爪跡がまだ深く残っていた戦後直後の広島に派遣されたという元オーストラリア人兵士が、当時のことについて語った。

日本が降伏宣言をした直後の1946年1月、フランク・サベージ軍曹は、連合軍の占領下にあった日本にイギリス連邦占領軍の通信網を設立させるために、ラジオ通信の専門家チームと共に広島入りした。当時22歳だった。

サベージ氏が広島で見かけた地元の人はたったの2人。うち1人は英語を話す教師で、原爆投下の日、すがすがしく晴れた空に米軍機が飛行しているのを見たが、うち一機からドラム缶のようなものが投下された。それが恐ろしい熱を持った爆弾で、6万人を一撃で死亡させたと、同氏に当時の様子を説明した。また、サベージ氏を含むオーストラリア・チームは呉市にキャンプを構えたが、そこでは元神風特攻隊員が、飛行機に乗って自爆するはずだったのに、戦争が終わって酒場で酒を売っていたのを見たという。

現在90歳のサベージ氏は、戦後おもちゃ事業を始め、1980年代に引退するまでオーストラリアおもちゃ協会の会長を務めるなどした。原爆被害を目の当たりにした経験から、「原子力爆弾は二度と使用されるべきではない」と強く訴えている。

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