昨年11月にオーストラリアのシドニー北部沿岸で64年ぶりに見つかった旧日本軍の小型潜水艇の慰霊式が6日、豪海軍の主催で発見場所の洋上で執り行われた。潜水艇は1942年5月末にシドニー湾を襲撃した潜水艦「伊24」を母艦とする特殊潜航艇3隻の1つ。
同艇には伴勝久中尉(当時)=愛知県出身=と芦辺守1等兵曹(同)=和歌山県出身=の2人が乗船していたが、攻撃後、行方不明となっていた。発見された同艇は引き揚げされず、そのまま海底に保存されることになっている。
慰霊式は豪海軍の駆逐艦「メルボルン」の甲板で行われ、両国の政府関係者のほか、特殊潜航艇の遺族11人が参列した。
2007年8月6日14時05分。場所は駆逐艦「メルボルン」の後方甲板で、水兵らが見守る中、洋上セレモニーはスタートした。
参列者は日本側から上田秀明駐豪大使、川田司シドニー総領事、豪州側からブルース・ビルソン退役軍人大臣、ラス・シャルダーズ海軍中将らが出席。
まず従軍牧師から祈りの言葉のあと、花輪の献花。献花はビルソン、シャルダーズ、上田大使らが、最後に伴艇の遺族である伴和友さんと竹本ひろみさんが2人で花を海に投げ入れた。
続いて遺族の各々がお酒を海に注いだ。最初は竹本さん。それから、伴さんの遺族。伴さんは亡くなった伴さんが好きだったサントリーウイスキーが好きだった ことから、「響」のウイスキー。竹本さんらは日本酒を海にまいた。一方、豪海軍からは遺族に潜水艇付近で採取した海底の砂が贈呈された。
写真:お酒を海に入れる竹本ひろみさんと伴和友さん
左写真:ビルソン退役軍人大臣から海底の砂を贈呈される竹本ひろみさん
右写真:豪海軍から贈呈された砂を持つ伴和友さん
<砂の贈呈の際、ビルソン氏が述べた言葉>
「今年初め、芦辺守氏の兄弟がオーストラリア政府に対し、沈没しているサイトから記念品が欲しいとの手紙を書いてきた。2、3カ月前、海軍のチームがサイトに潜水し、海底から砂を採取してきた。光栄にも、この砂を伴中尉と芦辺1等兵曹のご家族に差し上げる」。
ビルソン氏から伴和友氏、竹本ひろみさんにそれぞれ木箱が渡された。木箱には砂入りの小瓶。
式終了後、伴和友さんが「ここまでしていただいて、お礼のことばもありません」と、豪海軍幹部、ビルソン氏に感謝した。
<終了後のインタビュー>
<伴和友さん>
Q お兄さんには何と?
A オーストラリア海軍にこのような荘重な慰霊祭を開いていただいて、心から感謝していると、こういうことを申し上げた。
(私から兄に)「兄貴よ。こんなチビだった俺が、とうとうやってきたよ」と言ったら、海底の兄は答えました。
「おう、ちびか、よくやってきたなあ」と。
私から「兄ら(陸軍の)の軍人年金で曲がりなりにも、医者になることができたよ。兄ら(陸軍の)のおかげだよ」と言った。そうすると、兄が答えました。
「よくがんばったなあ」と言ってくれました。
Q 実際にこの現場に来られてどのように感じられたか?
A 兄にこのように問いかけようと思っていましたから。(豪州政府には)やっぱり、こんなことは生涯二度と経験できないことですから、このような荘重
な式をしていただきありがとうございます、ということしかありません。
<竹本ひろみさん>
Q どのようなお気持ちで献花されたか?
A 本当は、父(五男=いつお)が亡くなった守さんの弟にあたるのですが、父と来るつもりだった。でも、体調を崩してしまいまして、私だけ来させていた
だいたんです。父の代わりということで、「安らかにお眠りください、という後に、おとうさんが来れなくて、すみません」ということをまず言いました。
それと、おじさん(守氏)のお母さんにあたる私のおばあちゃん、1967年に他界しているんですが、「おばあちゃんは、守兄さんのことを誇りに思ってた
よ」ということを伝えました。
<松尾さん>
私は今回でオーストラリアに来るのは5回目。伴さんの艇だけみつからなくて、常に気になっていた。ほっとしている。
写真:式終了後、ビルソン退役軍人大臣と握手する伴和友さん