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核兵器廃絶訴える 原爆生存者

【シドニー5日AAP】   1945年に長崎の原爆で生き残った田中照美さんは5日、シドニーで核兵器の廃絶を訴えた。田中さんは、他の原爆生存者や1950年代にSA州マラリンガで行われた核実験生存者らとともに、クルーズ「ピースボート」に乗ってシドニー入りした。

田中さんは、「原爆投下後に最初に覚えているのは、目がくらむような白い光が体を覆ったことだ」と通訳を通して話した。意識が戻った時、当時13歳だった田中さんはガラスのドアの下敷きだったが、幸運にも無傷だった。3日後、被爆地の近くに住む叔母2人と叔父、いとこが死亡。祖父もひどいけがを負って間もなく死亡した。

核兵器実験の生存者らは、シドニーで行われた抗議活動に参加。特にオーストラリアと日本に対し、国連の核兵器禁止条約への署名を求めている。同条約は2017年9月に署名式が行われた。国内の反核運動家であるデイブ・スウィーニーさんは、「トランプ米大統領の言葉遣いは、北朝鮮による核戦争の脅威に対し、何の助けにも立っていない」と語った。

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